第7話 大団円
そんな宗教団来の恐ろしさを暴露しようと考え、ひそかに内偵していた新聞記者がいた。彼は、警察組織の中に、そのような組織の暴露を狙っているという、
「警察組織がある」
ということを知らなかった。
彼が下手に探ると、その警察組織の行動に制限を掛けることになる。
もちろんだからといって、警察組織が新聞記者の行動に制限を掛けたりするわけにはいかない。警察組織だって、自分たちの存在を、警察内部に知られることすら、御法度だというのに、新聞記者に知られるなどという軽率なことができるはずもないのだ。
それを考えると、自分から何かをすることなどできるはずもなく、だからといって、新聞記者だけを気にしていては、本当の内偵などできるはずもない。何しろ、相手は、
「犯罪組織」
なのだからである。
つまり、この問題は、
「三すくみ」
のような関係になってしまっていた。
お互いに下手に動けば、そこから足が就いたり、身に危険が及んだりするだろう。秘密警察としては、まず何が先決なのかというと、
「悪の組織が、どこまでこちらの行動を把握しているか?」
ということである。
「秘密警察が動いている」
ということと、
「新聞記者が暗躍している」
ということである。
秘密警察側とすれば、彼らはそれなりに、
「プロの立場」
ということなのだから、それなりに、
「相手に知られるようなへまなことはしない」
と思っている。
しかし、新聞記者は、
「特ダネ」
に対しての嗅覚は、さすがと思えるところはあるだろうが、だからといって、暗躍であったり、
「諜報活動のプロ」
という域まで達することはないだろう。
そうなると、彼が組織に狙われる可能性は高い。
なぜなら、新聞記者連中は、ある程度考えが甘かったりしている可能性も高い。だとすると、
「彼のまわりには、絶えず危険と隣り合わせになっている」
という可能性が排除できるわけではないということで、秘密警察としても、どうしても、無視することはできないのだ。
下手に教えでもすれば、却って臆病になった状態で行動されると、実にその行動派、相手にバレルということを陽動してしまうかも知れない。
これこそ、
「本末転倒」
というもので、その行動は、
「秘密警察としては、最悪のシナリオを描くことになるのではないか?」
ということを描いているということになるのではないだろうか?
そもそも警察としては、
「暗躍している新聞記者が、本当に一人で動いているのか?」
ということも分かっていない。
もし、それが複数であったとすれば、その行動が。
「単独行動がいくつか蠢いている」
ということになるのか、それとも、
「一つ、あるいは、二つくらいの組織が、蠢いているのか?」
ということでの、
「いかなる規模による行動なのか?」
ということが分かっているか、いないかということで変わってくるといってもいいだろう。
今回の潜入した宗教団体は、調べれば調べるほど、怪しいところはないという感覚であった。
怪しいどころか調べれば調べるほど、実際には、
「世の中のためになっているのではないか?」
と感じるのであった。
それを、
「薬や洗脳によるものだと思っていたので、自分の中で、葛藤が広がっている」
と刑事は思っていた。
それは、まるで、自分の中にある、
「良心回路」
のようなものが、頭をもたげるのであった。
そうなると、
「何が正しいのか?」
ということが自分の中で分からなくなってきて。その発想が、いかにうまく一つの形にできるかということで、宗教団体を、
「悪の秘密結社」
として考えるか?
ということになるのだ。
それこそ、
「悪の秘密結社の連中が、まわりの人間と入れ替わっている」
などという、
「カプグラ症候群」
と似ているのかも知れない。
昔のアニメや特撮では、
「それが主題」
ということではないのだが、実際に、
「同じようなストーリーではないのに、このカプグラ症候群を使った話題が結構あるのではないか?」
ということがあったような気がする。
そもそも、
「カプグラ症候群」
という考え方は、昔からあったものではなく、
「20世紀後半から出てきた考え」
ということで、考えてみれば、
「アニメや特撮が先なのか、それとも、この発想が先なのか?」
ということである。
これはまるで。
「タマゴが先か、ニワトリが先か?」
といってもいいのではないだろうか?
それを考えると、
「三すくみ」
などの考え方からも、
「面白い発想が出てくるのではないか?」
と思えるのであった。
三すくみというのは、
「三つの勢力が、三角形の頂点にあり、その関係性が、問題になる」
ということではないだろうか?
それぞれ、二つを相対するという存在があり、それぞれに、
「片方には強いが、片方には弱い」
という関係性を持つことで、それぞれに力の均衡が保たれているということで、
「お互いに、まったく同じ力関係」
というものによって築かれている、
「三つ巴」
という関係と、
「双璧を成している」
といってもいいだろう。
それぞれに、力関係は、
「拮抗している」
といってもいいのだろうが、
「抑止力」
という意味では、
「三すくみ」
という関係がその形を示しているといえるのである。
つまり、
「三すくみというのは、その力関係と距離間から、動くことはできない」
ということになるのだろう。
もし、一つが動くと、当然、自分が優位に対している相手に飛びつくことであり、その相手は、自分を狙っているやつを、狙ってくれているということで、力の均衡が保たれ、それが、抑止力となっているというわけである。
つまり、どういうことなのかというと、
「動いた者に対して優位性を持っているものが、最後には生き残る」
ということになるのだ。
ただ、そのような抑止力というのは、
「命というものを守る」
ということだけに特化したものである。
だから、
「三すくみという関係性の中で、抑止に守られながら、じっとしているということは、精神的なストレスや、身動きができないということの地獄を一切考えない」
とした場合に言えることである。
だから、
「人間というものが、そんな三すくみの中にいると、精神的に押しつぶされるのは必至であり。動物だからこそ、本能からなのか、抑止力の中に嵌ることができる」
ということであろう。
ただ、これお、人間というものの中にいるから考えられることであって、どこまでその通りなのかは分からない。
だから、
「洗脳であったり、薬の作用」
というもので、何とかなるというのは、
「人間だけではないだろうか?」
といえるのだ。
それは、生物であっても、生物でないとしてもいえることであり。それがロボットやAIというものにも言えるとすれば、
「やはりロボット開発など、人間には無理なんだ」
ということで、それこそ。宗教的な発想になるのではないだろうか?
今まで、
「テロ組織」
と言われるような宗教団体ばかりを見ているから、
「宗教団体というのは、ろくなものではない」
ということになるのであろう。
最近の新興宗教は、
「霊感商法」
などといって、家庭を壊して、私腹を肥やすところが増えてきている。
ただ、これは今に始まったことではなくて、昔からなのだが、
「テロ組織」
と双極的なことだと思うと、最近の傾向としては、
「テロよりも、霊感商法的なやり方」
ということになると、
「結局は、それでも、洗脳、薬による力が、余計に必要なのかも知れない」
と感じる。
だからといって。
「テロを認めるわけではないが、テロに匹敵する発想としての、カプグラ症候群が、蔓延る世界になってくると、それこそ、テロが戦争を凌駕する世の中になるかも知れない」
といえるのではないだろうか?
新聞記者による、
「暴露」
というものは、時期尚早であり、
「いたずらに、世間を混乱させるだけではないか?」
と思えるのは、それだけ、国家というものが、安定していないということであり、下手をすれば、
「国家までもが、というよりも、国家自体が、本来の悪の秘密結社だということにしか行きつかないことになるだろう」
すべての社会問題の根源は、
「政府や国家によって作られたもの」
という、子供でも分かる理屈に戻ってくるということだ。
大人には、どうしても理性というものがあるから、それを肯定できないところがあり、そこが、
「人間らしさ」
ということになるのであろう。
「行方不明者や、記憶喪失者が増えてくる」
ということは、そこに、
「カプグラ症候群的な発想が蔓延る」
ということで、社会問題は、消えてなくなることはなく、
「限りなくゼロに近い無限」
というものを築いていくことになるのだろう。
( 完 )
国家によるカプグラ症候群 森本 晃次 @kakku
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