もういっかい、重ねて

心沢 みうら

もういっかい、重ねて

「つむぎはほんとに、わたしでよかった?」

 

 私があずさの首筋に三つめのキスを落とし、上着のボタンをふたつ外し終えたとき、彼女は唐突にそう言った。

 よかったに決まってるじゃんどうしたの。そう言おうとして顔をあげると、驚くほどに凪いだ顔が目に入って。いたずらっぽい笑顔か、泣きそうな顔かの二択だと思っていた私は、思わず固まってしまった。


「……どーしたの。今日はこういうことする気分じゃない?」

「そういうわけじゃないよ」


 梓が眉を下げた。それから、ミルキーピンクの薄いくちびるを尖らす。何かを考える時の梓の癖だ。もっと言えば、話したいことは決まっていて、伝え方を迷っているときの。


「つむぎは異性愛者でしょ?」

「まあ、そうだね」


 だから梓が特別。そう続けようとして、くちびるが塞がれて、「ん」とも「む」ともつかない音だけが漏れる。とぅるんと潤った梓のくちびると対照的に、かさかさで色の薄い自分のそれ。


 つむぎは可愛いからそのままでいいよ、ケアもメイクも社会人になってからでいい。でももし気が乗ったら、まずは色つきリップから、一緒に買いに行こう? そう言われて約束した日は、たしかちょうど一週間後だった。


「同い年じゃなくて、の子が好きでしょ」

「いや、別にそんな」


 梓の暖かい手が私の首筋をなでた。ぞわり、と気持ちいいのか悪いのかわからない不思議な感覚におそわれる。それから首の後ろの右の方をとんとん、と予告するように叩かれて、くちびるを寄せられて、強く吸われる。

 きっと今、私の首に、梓のくちびるの色に似た花が咲いた。


「そんな、じゃないよ。つむぎが好きなのは年下の男の子。わたしは同い年の女」


 淡々とした声。こういう話をするときにのっていてしかるべき怒りも嫉妬も悲しみも諦念もなにもない、相変わらず凪いだ声。


「ねえ梓、本当にどうしたの」

「どうもしないよ?」

「そんなわけないじゃん。ねえ、私なにか誤解させるようなことした?」


 梓は何も答えなかった。

 とん。私はベッドに仰向けで倒れ込む。梓に押し倒されたのだ、と気づくまでしばらく時間を要した。


 押し倒されたのはこれが初めてだった。私がするばかりだったから。梓は付き合うまでは強気にアプローチしてきていたくせに、いざ交際が始まるととことん受け身だった。

 もしかしたら、異性愛者の私に遠慮していたのかもしれない。


 梓は相変わらず無言で私の上にまたがっていた。そこそこ重い。


「え、なに、今日はこういうプレイなの」


 混乱した私が捻り出した言葉は確実にそぐわないものだった。歪んだ梓の顔に、やらかした、と思う。


「ごめ、」

「あっはは、やばい、プレイてなに」


 けれど耳に入ったのは、けらけらと笑う梓の声だった。唖然としている私をよそに、梓は目に涙を浮かべて爆笑する。


「絶対こんなプレイないでしょ! あー……やっぱり、つむぎって面白いわ」


 あー腹筋いたい、と言って、梓は私の隣に寝転がった。

 私達のくちびるの距離は十センチ。さっきなんかゼロだったのに、なぜかそれを遥かにしのぐ恥ずかしさをおぼえる。

 

「結局なんだったの? さっきのは」

「ほんとになんでもないよ。からかってただけ」

「なんなのそれ! 私本当に怖かったんだからね」

「ごめんごめん」


 梓は悪びれぬ顔で笑って、私の頬にキスをした。そのまま、ぺろりと舐めあげられる。

 きもちいい。とっさに出てきた自分の感想の不適切さに驚いて、少し怖くなって首を振った。


「猫じゃないんだから、やめてよ」

「じゃ、じゃあ、わたし猫だにゃあ」 

「まったく、この年になって梓ってば。もうほんと、いい加減にしてよね」


 しばらくそうやって戯れあっていて、次第に私達の口数は少なくなって、お互いの肌を撫であって、けれどその先には進まないという暗黙の了解があって、静かなふたりきりの空間が心地よくて。


 梓がふ、と、背を向けた。


 あのね、つむぎ。柔らかく、もろいひらがなが私を呼ぶ。


「ほんとはね、ちょっとだけ、本気でいってたんだ」

「うん」

「わたしの友達がね、つむぎみたいな異性愛者の子と三年間、つきあってて、でもふられちゃってね」

「うん」

「友達がなんで、って聞いたら、付き合ってすぐに違うって気づいてて、でも我慢してて、もう限界なんだって泣かれちゃったらしくてね」


 ぽつりぽつりと雨のようにおとされる梓の言葉は、やはりどんな感情も含んでいない。押し殺していたのだ、とやっとわかった。


「私は梓が好きだよ」

「うん、知ってる」

「どんなイケメンとでもなくて、梓と結婚したいの私」

「そっか」


 私は梓を後ろから抱きしめる。人差し指で撫でたミルキーピンクは、しっとりと濡れていた。

 きっと今すぐに梓の不安は拭えないから、いっしょうかけて証明しようと決める。


「私も梓と同じ色のリップ買おうかな」

「えー、つむぎはイエベだから似合わないんじゃないかな」

「いいじゃん、私梓とお揃いにしたい」

「仕方ないなあ」


 梓が笑って、私はかさついた唇で、その首元にお揃いの花を刻んだ。

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