蛇足

 あの日以来、鹿波かなみと二人で帰るようになった。今日はその習慣ができて三日目の水曜日だ。ようやく照れくささにも慣れてきた頃だった。


 俺と鹿波かなみの関係や在り方は、大きく変わったというわけではなかった。ただ二人でいる理由に確固たるものが追加され、関係にしっかりとした名前がつき、互いに受け入れられる範囲が広がったという、言葉にしてみればそれくらいの変化である。


 そんな、週末に文化祭を控えた秋の日の帰り道のことだった。


「ねえ、先輩。先輩は私のどんなところが好きなんですか?」


 脈絡もなく鹿波かなみが訊いてきた。


「顔」


「そういう照れ隠しはいいですから。本当はどこが好きなんですか」


「顔と声」


「怒りますよ」


「顔と声と性格」


「もう一声」


「……仕草」


 渋々言うと、鹿波は取り澄ました顔を作って言った。


「ふーん。具体的にはどんな仕草が好きなんですか?」


「……本を読んでるときの興味なさそうな目とか、言葉を区切るときにちゃんと相手の目を見る癖とか、あとはまあ……色々な仕草が丁寧で好きだ。具体的なことを言えと言われてもわからん」


 一息に言い切って返すと、鹿波は面食らったように少し目を丸くした。


「……急に真面目に答えないでください。びっくりするので」


 こういうところ、かわいいよなと思う。


「でも一番好きなのは俺を好きでいてくれるところかな。こう見えても俺、鹿波が隣にいてくれてすごく救われてるんだぜ」


 珍しくかなり素直な本音を吐露したというのに、鹿波の反応は鈍い。


「好きって……、……別に、先輩のことは、まあ……好きというか、まあ……」


「なんだよ歯切れ悪いな」


 ていうか好きって言葉に拒否反応示してない? 地味に傷つくんだが。


「いえ、自分が先輩に対してこんなに恋をしているという事実が屈辱だっただけです」


「屈辱!? 酷い言われようじゃない!? 俺、仮にも彼氏なのに……」


「仮じゃなくて先輩はちゃんと私の彼氏ですよ。……次に仮って言ったら拗ねますから」


「……はい」


 ついでに口が悪いところも案外好きだと伝えたら、帰り道での鹿波はいつもより少し毒舌で、いつもよりずっと機嫌がよさそうだった。


◇◇◇◇◇


 木曜日のことだった。


「ねえ先輩。私、先輩の色んなものを繋いであげてるじゃないですか」


「え? なんだよ急に。……なんの話?」」


 唐突な鹿波の言葉に困惑を示してみたものの、彼女が何を言いたいのかはなんとなく察しがついていた。たぶん俺も同じことを思っていたから。


「先輩は勉強とか私に頼りきりなので、実質首輪をつけられてるみたいなもので、だとしたらそのリードは私に繋がれてると言えますし」


「言えねえよ。理屈に無理があるだろ」


 論法がめちゃくちゃだ。そしてさりげなく俺が首輪をつけられていることになっていた。舐めんな。


「あとは、先輩があんまり自分から喋らないので会話も私が繋いでますし」


「恩に着せようとするな。生憎、俺は無言が苦痛じゃないタイプの人間だ」


「私もですよ?」


「ん? ……じゃあ、なんでいつも会話を繋いでくれてるんだよ」


「私が先輩とお話ししたいからです」


 えー、なにそれ。超かわいいんですけど。興味のなさそうな冷めた表情とのギャップが凄かった。健気さにやられて、思わず溜め息をついてから観念して言ってしまうくらいには。


「……じゃあ、色んなもの繋いでくれてるついでに、俺の右手も繋いでおいてくれ。もう十月も終わるし、そろそろ寒くなってきたんだ」


 意外そうで、けれども待ち望んでいたみたいに鹿波が少しきょとんとする。


「……寒さだけが理由ですか?」


「……かわいい彼女と手を繋ぎたいんだ」


「……ふふ、よく言えました」


 そう言って彼女が白い手を差し出してきたので、スマートな仕草を心がけてその手を握った。まあ、スマートな仕草を心がけて取り繕おうとしていること自体がバレているだろうからあんまり意味はないけど。


 彼女の指先は秋風に吹かれていて、冷たく、それでも温かかった。


「……あの、恥ずかしくなってきたんだけど、手、外していいか?」


「……先輩は本当に先輩ですね」


 二分くらいでそんなことを言ったら、しばらくそのネタで揶揄われることになった。あのときの鹿波もちょっと頬が赤かったけどな、と指摘してやろうかと思った。


◇◇◇◇◇

 

 土日に開かれる文化祭を翌日に控えた金曜日のことだった。その日は、鹿波に貸してもらった小説の感想を話しながら帰路に就いていた。以前からそうだったが、鹿波は毒にも薬にもならない会話を存外に好んでいる。その日彼女が振ってきた話題は、小説の中にあった『世界を敵に回しても』という文言についてだった。


「もし世界中が先輩の敵になったなら、さすがに分が悪いので私も先輩の敵側につきますけど」


「あ、味方はできないとかじゃなく普通に敵になるんだ」


「もちろんです。私ほど先輩の弱点を知ってる人間もそういないですし」


 効率よく俺を屠る気満々だった。彼女なんだから、せめて敵陣営にいるけどこちらに情が残っているため攻撃には参加しない、みたいなポジションであれよ。蹂躙されてる俺から苦々しげな顔で目を逸らす、みたいな感じでいろよ。別にいいけど。


 内心で少し拗ねていると、まっすぐ前を見ながら歩く彼女が何気なく言った。仕方ない、と肩を竦めながらそれでも楽しそうに。


「でも、敵になったのが世界の半分くらいまでなら私は先輩の味方をしてあげますよ。なんといったって彼女ですから。仕方ないですね」


 それはつまり、三十五億人を二人で分ける計算だから、鹿波は十七億人くらいまでなら背負ってくれるわけだ。十七億人より俺を優先すると、この後輩は言っているのだ。冗談でも愛が重い。そしてきっと、世界とはいかずとも仮に学校中くらいの人数が俺の敵になっても鹿波は俺の味方をしてくれるだろうとわかるからこそ、それをただの冗談として流すのは躊躇われたし、ただの冗談からでは得られない充足を感じた。


 鹿波さん、涼しい顔して愛が重い。


「……鹿波はいい女だなぁ」


「今更気づいたんですか? 先輩はダメな男ですね」


「はは、知ってるよ」


「でも、そんなダメな先輩に引っかかっちゃったので、私も結局ダメな女なのかもしれませんね」


 そう言って、鹿波は他意なく微笑んだ。珍しく、混じり気のない優しさで笑った。どうしてこいつはこんなにかわいいんだろう、と少し見惚れた。


「……じゃあ、ダメなやつ同士、仲良く一緒にいるとしますか」


「ですね」


 半歩分だけ、鹿波が体をこちらに寄せる。女の子だからか、彼女は俺より歩くのが遅くて、俺は彼女にバレないよう歩幅を合わせる。そんな些細なことすら楽しく思ってしまう。


「ちなみに、先輩は敵が何人までなら私の味方をしてくれますか?」


「えー……八人くらい?」


「……もう少し頑張れませんか?」


 適当に返すと、鹿波が残念なやつを見る目で俺を見ていた。


「……じゃあ七十億人」


 俺は遠くの空を見たまま答えた。少しの沈黙の後、鹿波がふふ、と小さく笑った。


「……そうですか。先輩、私のこと大好きですね」


「はあ……うるさいうるさい。いいから、早く帰るぞ」


「はい、帰りましょうか」


 いつもの帰り道で、彼女があえてゆっくりと歩いていたのだと俺が知るのはもっとずっと後のことだった。

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毒舌系後輩少女とのラブではないコメディ @huhuhu-888

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