最終話 後輩と告白
それは、十月のある月曜日の放課後のことだった。
お見舞いの甲斐もあってか休日のうちに風邪も治り、いつものように
「ねえ、先輩」
「ん、なんだ?」
「愛してるゲームをやりませんか?」
「……は?」
明日の天気でも訊ねるみたいに何気なく唐突だったその提案は、およそ普段の
「いやいや、愛してるゲームって……なんでいきなりそんなこと言い出したんだよ。そもそも
「最近、文化祭が近づいているせいで、恋人を作ろうとしている人が私の学年で増え始めたんです。それで今日、クラスの子が好きな男の子と愛してるゲームを教室でやっているのを見かけたので」
「……ので?」
「これをやったら先輩をたくさん揶揄えて楽しそうだなと思いました」
「お前、ついに俺で遊んでることすら繕わなくなったな……」
素直に無邪気な悪意を伝えられるとかえって怒る気力も沸かないらしい。無表情のまま明け透けに言い切る鹿波がそれでもどこか楽しげに見えてしまった俺にはもはやこれ見よがしに溜め息をつくことしかできない。
もしかして恋愛的な駆け引きをされているのかと思って心の端で一ミリほどどきどきしていたのだが、どうやら今日はどんな風に弄ばれてしまうのだろうという恐怖による動悸だったらしい。なんて悲しい勘違いだ。
「いいじゃないですか。ゲームとはいえ女の子から告白をされた回数が増えるわけですし、私という後輩に合法的に愛を囁けるんですから」
「俺が鹿波に告白するのは違法だったのか!?」
「冗談ですよ。違法じゃないので、私が本音で返事をしてもいいのならいつでも告白してくれて大丈夫です」
「……実はこの前鹿波に借りた小説、難しくてよくわかんなかったのに適当に話を合わせてたんだ、ごめん」
「そんな告白は求めていませんし、そんなことはわかってたので大丈夫ですよ。私も、話を合わせようと苦戦している先輩で楽しんでいたのでちょっと申し訳ないと思ってました」
「あれ!? そうだったの!?」
嘘が下手だという事実も忘れ、小説を理解したふりが鹿波に秒でバレているとは露知らず「あれマジ深かったよな」とか「あの関係性痺れるわ」とか少ないレパートリーを駆使して相槌を打っていた俺がピエロすぎる。借りた本を鹿波に返したとき、やけに具体的な感想ばっかり訊かれるなと思ってたんだ。珍しく鹿波が少しだけ和らいだ顔で話を聞いてくれるから罪悪感で心がちくちくしていつ言い出そうか悩んでいたのに、あれは遊ばれていただけだったのか……。
今回ばっかりは俺が悪いから何も言い返せない。いつも大して言い返せてないけど。
言いようのない敗北感にぐぬぐぬしていると、ちょうど解き終えたのかペンを走らせていたプリントを仕舞い、鹿波が話を切り替えるように言った。
「……まあ、愛してるゲームがやりたいのは先輩で遊ぼうとしているのも確かにあるんですけど。というより、それが主な理由なんですけど」
「うん、普通に失礼だな、俺に」
「でも、もちろんそれ以外の理由もあるんですよ」
鹿波は一度そこで言葉を区切って、暮れゆく秋の夕空を眺めた。開け放った窓から、誰かが帰り道で響かせる笑い声や文化祭準備に勤しむ喧騒が聞こえた。それらは、校舎の隅にあるこの静かな部室とは別の世界から聞こえていると感じるほど他人事みたいな響きをしていた。
その遠さに感じ入るような間の後、鹿波はさりげない声音で、けれどもどこか真剣な響きで続ける。
「別に、今こうして先輩と一緒にいる時間にこれといって不満はないですけど。……強いて言えば小説の感想もちゃんと話したいくらいですけど」
「はい、善処します」
俺が言うと、ほんの少し微笑んだ鹿波は「そうしてください」と返した。
「不満はないですけど、たまには先輩と普通の青春らしいことをやってみたいなと思ったんです。……学校中が文化祭を楽しもうとしている空気にあてられて、私も少し、柄にもなく浮かれてみたくなっただけです」
そう言った鹿波の気持ちが、少し拗ねたようなその苦笑の意味が、俺にはよくわかった。
どれだけ割り切って俯瞰して、所詮はくだらないものだと言い聞かせて、卑屈になって諦めてみても、それでもやはり羨ましいものは羨ましく、眩しいものは眩しいのだ。青春とは結局そういうものなのだ。限りなく綺麗な、一種の呪いみたいなものなのかもしれない。
「一緒に浮かれる相手を探そうにも、私、男子どころか女子の友達もいなくなってしまったので、頼めるのが先輩だけなんです」
そう言って鹿波は俺を見た。
「なので、先輩にお願いしたいんです。……ダメですか?」
そこに茶化そうとする意図や俺を揶揄おうとするつもりは見受けられなかった、ように思う。何よりも真摯な願いというわけではないけれど、確かに少しだけ鹿波の本心に触れている、そんなお願いだったのだと思う。
「別に、無理にとは言いません。先輩が嫌なら大丈夫ですから」
そんな風に頼まれてしまっては断るという選択を取るのは極めて難しいんじゃないだろうか、と俺は内心でぼやいた。俺はいつだって、愛想のない毒舌な彼女にも弱いが、時折見せてくれる普通の優しい少女としての鹿波にもとことん弱いのだ。
「……わかった、わかったよ。やろう、愛してるゲーム。やります。やらせてください」
「……ふふ、ありがとうごさいます。まあ、先輩がそこまでやりたいと言うなら仕方ないですね。面倒ですけどやってあげます」
「おい、さっきまでの健気ムーブはどこにいったんだ。ちょっと心にぐっときてたのに」
途端に手のひらを返して呆れてみせる鹿波は、それでも少し楽しそうだった。
◇◇◇◇◇
そうして、俺は鹿波と愛してるゲームをやることになった。
愛してるゲームとは、その名のとおり相手に愛してると言い合い照れさせる頭の悪いゲームだ。ずっと受け身のままでいるのはさすがに情けないとか、先に言ってしまえば後は楽だとか、そういう思惑もあって俺から先に言わせてもらうことになった。
「さて……」
調子を切り替え、冷静になる。俺は今から、愛してると鹿波に言うのか。なるほどな。
鹿波は長机の正面に座り、本を読んだり課題を解いたりせず、きちんと座って俺を見ている。やっぱりやめないか? とか、到底言えそうになかった。言っても鹿波は決して怒らないだろうが、多少の落胆はするだろうし、何より俺が意気地なしすぎてしばらくはそのネタで揶揄われ続けるだろう。それは避けなければならない。
覚悟を、決めるしかない。
「……よし、いくぞ」
棒読みをしたらいいだけ。所詮ただの遊びだ。互いに遊びだと割り切っているんだから適当に言ってしまえ。さらりと言ってみれば案外なんてことない。
脳内で言い訳のようにずっとそんなことを考えながら、俺はでき得る限りスマートに愛を伝えた。
「あー、あのな、鹿波。……あい、あー……あ、……ぁいしてる」
誰がなんと言おうとこれはスマートなんだ。愛してるという単語が気障すぎて鹿波からずっと目を逸らしているが、物凄く首元が熱い気がするが、それでもこれはスマートなのだ。
「……」
反応がないのを不思議に思い、恐る恐る正面の鹿波へ目を向ける。
彼女はピクリとも照れていなかった。信じられないくらい真顔で、平淡な調子のまま俺をじっと見ていた。ふざけんな、少しは照れろ。頑張った俺が可哀想だろ。
「ふ、ふん。なかなかやるな……」
腕を組み、精一杯の虚勢を張りながら俺は言った。こんな頭の悪い浮かれたゲームにも慣れっこな強者の余裕を演出したかったのに、どう足掻いても三下感しか出ていなかった。
やがて、俺としてはかなり居心地の悪い沈黙があった後、興味深そうに鹿波が口を開いた。
「……なるほど。こういう感じなんですね」
「おいやめろ、改めて咀嚼するみたいな感じでこっちを見るな。……いいから、次はそっちの番だ。早く終わらせようぜ」
「……ゲームにかこつけてこっぱずかしい台詞を後輩に言わせようという魂胆ですね?」
「このゲームやろうって言ってきたのそっちなんだが!?」
「はいはい、先輩がそこまで言うなら仕方ないですね。つきあってあげましょうか、私は優しいので」
何もかも腑に落ちない。この言われようも、それなりに恥ずかしい思いを堪えて言ったのに一ミリも照れていない鹿波も、何もかも腑に落ちない。この後輩、実は感情制御の訓練を積んだエージェントとかじゃなかろうか。愛してるゲームで勝てる未来が微塵も想像できないということにもっと早く思い至るべきだった。
文句を言ってやりたい気持ちで山々だったが、鹿波が言った一言で現実へ引き戻される。
「じゃあ、いきますね」
そう、俺は今から、鹿波に告白をされるのだ。ゲームだけど、ゲームとはいえあの鹿波に、だ。口が悪く不愛想で、先輩を先輩とも思わず、何事にも興味がなさそうな顔をしておきながら意外と気分屋な彼女に、愛してると言われるのだ。
たかがゲームだとわかっていてもつい緊張してしまい、唾を呑み込む。ごくりと音が鳴って余計に気恥ずかしい。
鹿波が口を開く瞬間、息を吸う音がやけに鮮明に聞こえた。心臓が跳ねるみたいな予感がした。
そして、鹿波は言った。
びっくりするくらいゆるい感じで。
「……せんぱい。私……先輩のこと愛してるんです! …………はわわ……っ」
きゅるんっ! という効果音が聞こえた気がした。いつもどおりのローテンションな表情を保ったままの鹿波から、シロップで砂糖菓子を煮詰めたみたいな甘ったるい口調の愛してるが飛び出してきた。顔と声の雰囲気が一致してなさすぎて怖い。
「そんなあからさまな演技で照れるか! 卑怯だぞ!? ご丁寧に萌え袖までして、何が『はわわ……っ』だふざけやがって。鹿波はそんなこと言わない! 誰だお前は、俺のかわいい後輩を返せ!」
思わず声を荒げてしまった。
「わ、わかりました。ぶりっ子の私が解釈違いだったのは謝るので落ち着いてください先輩。恥ずかしいことまで口走っちゃってますから」
「……はあ、はあ……悪い、取り乱してた」
素に戻った困惑気味の鹿波に宥められ、俺はようやく正気を取り戻した。鹿波が厄介オタクを見る目でこちらを見ていた。
「……それにしてもおかしいですね。女の子耐性ゼロの雑魚先輩ならこれでイチコロのはずなのに……」
「誰がヘタレクソ雑魚ヘナチョコオタクだ。お前は俺をなんだと思ってるんだ……」
「そこまで酷くは言ってないですけど……じゃあ」
こほん、と鹿波は息を整える。そして、寸劇かのように大仰な身振り手振りで愛を口にした。テンションや表情の起伏などはいつもと変わらないものの、そこには様々な声音で、言葉遣いで、節操なく愛を告げる鹿波がいた。
「たとえ世界中を敵に回しても私の想いは止まらないよ。先輩、私は君を愛している」
まるで男女ともに人気を集める性別を超越した麗人のように。
「先輩、ちょー愛してるっす」
底なしの元気を与えてくれる気安く明るい子のように。
「愛してるぜ、先輩」
心に固い信念を持った義侠心に溢れた子のように。
「殺したいほどあなたを愛してます、先輩。じゃあ殺すね」
行き過ぎた愛を瞳に宿らせながら。
「ああ、先輩。死体になっても愛しいです……」
暴走した愛情に恍惚としながら。というかしっかりと俺が殺されていた。殺すな。
何だろうこれは、俺はいつの間にか愛してる万博の会場にでも来てしまったのだろうか……。
俺が半ば気圧されながらひたすらに戸惑っていると、バリエーションが尽きたのかスンといつもどおりの表情に戻った鹿波が訊ねてきた。
「先輩、どうでしたか?」
数秒前までとの落差が凄い。
「そうだな……理由もなく俺を殺そうとしてくる解釈の浅いヤンデレが混じっててめちゃくちゃ怖いけど、それでもすごいな。まるであらゆる性癖に対応する勢いだ。俺が百戦錬磨の日本男児じゃなかったら勢い余って求婚してるところだ。……ていうか鹿波、今日に限って何故か相当テンションが高くないか?」
「そうですか? ……まあ、ちゃんと浮かれようと無意識のうちに努めているのかもしれません。私は優等生なので、浮かれ方まで真面目なんですよ、たぶん」
「なんだよ真面目な浮かれ方って……」
「しかし先輩、こんなに色々やったのに全然照れてないですね。これ、仮にも愛してるゲームだったんですけど」
「まあな。あまりにも芝居がかってたせいで途中から観客みたいな気分になってたからな。あ、俺はちなみに二番目の元気な子が好きだったぞ」
「ふーん。……そうですか」
偉そうな俺の講評を不服そうに聞いていた鹿波は、少し考えこむように俯いてからまた顔を上げて俺を見た。
「……じゃあ、最後に一回だけ攻撃権をください」
「ん? ああ、いいけど。……攻撃されていたのか俺は」
もちろんです、と鹿波が小さく相槌を打った。攻撃だと認める速度に物申したい。もっと言い訳とかしろ。
しかし、今度はどんなタイプの女の子で仕掛けてくるつもりなんだろうか。まだ出ていないのだと、ですわ口調のお嬢様とか奇を衒わない清楚系とかだろうか。鹿波には悪いが、例え手を変え品を変え愛を告げられたとて微塵も照れる気がしない。むしろ今度はどんな子に愛してると言われるんだろうと少しワクワクしているくらいだ。
「じゃあ、いきますね」
準備が整ったらしい鹿波が切り替えるように言う。俺はそれを身構えるでもなく眺めた。どんなキャラを演じてくるのだろう、なんて呑気に思っていたのだ。
芝居がかった言葉を発するでもなく、ふと鹿波は立ち上がった。
正面の席を立ち、長机のこちら側へ回り、その様を目で追っていた俺の右隣まで歩いてきた。
「ん? ……なんだよ」
何をするつもりだろうか、と不思議に思った俺は座ったまま鹿波の目を見つめる。何を考えているのかわからない顔で彼女も俺をじっと見下ろしていた。相も変わらず冷めた表情さえかわいいな、なんて内心で呆けた感想を抱いた。見惚れていた、とも言えるかもしれない。
不意に鹿波の顔が近づく。彼女が屈んで、俺の耳の傍に顔を寄せたのだ。遅れて靡いた彼女の髪から柔らかな香りがした、と思った瞬間のことだった。
「好きです、先輩」
鹿波が、耳元で囁くように好きと言った。それは決してはっきりとした声量でも芝居がかった大げさなものでもなく、むしろ伝わらなくてもいいとさえ思っているような、愛想のない言い方だった。
そう、愛想がなかったのだ。
何も偽らない普段通りの声音で、少し平淡な口調で、やや小さな声で、鹿波はぽつりと言った。
その意味を脳が処理した途端、体中が一度完全に静止したような気がした。
「私、先輩のこと好きです」
ダメ押しをするように、言葉の重みを増すように、鹿波は酷く蠱惑的に囁いた。それに伴い、じわじわと全身に熱が押し寄せてくる。耳が熱を持ったように熱い。心臓から首のあたりがやけにドクドクしている。思考が完全にやられて、鹿波の言葉の余韻を無意識になぞることしかできない。
「たぶん世界で一番、先輩のこと好きですよ」
最後にそう囁きを残して、鹿波は俺の耳元から顔を離した。そして、硬直している俺を見てから、鹿波は満足そうに目を細めてほんの少し悪戯っぽく微笑んだ。
「先輩、どうでしたか?」
「……愛してるゲームだって言ってただろ」
「好意を伝えたらいいんですから、言葉なんて些細なことですよ。愛の形は人それぞれですから」
「……はあぁ」
もはやそんな言い訳に反論する気力もなく、俺は心のうちに溜まった恥ずかしさやら熱やらを逃がそうと盛大な溜め息をついた。今のめちゃくちゃな表情を見られたくなくて長机にうつ伏せになって身を投げ出す。
俺に完全勝利を収めた鹿波はどことなく上機嫌だった。俺はしばらくそのまま不貞腐れていた。
◇◇◇◇◇
黙々と小説を読み始めた鹿波に倣って、俺も大人しく漫画でも読んでいようか、と先のゲームの敗北を渋々認めようとしていたときだった。鹿波が言った。
「……でも、いざやってみて思いましたが、このゲーム、ルールに欠陥がありますね。こんなのあからさまに嘘っぽく愛してるって言い合えば照れるはずもないんですから」
「あー、確かに。ゲームを成立させるためには『真面目に言い合う』ってルールを設けたほうがいいのかもな」
そう返すと、少し意外そうに鹿波は呟く。
「……先輩がいいなら私はそれでいいですけど」
「え? まあ俺も別に構わないけど……」
改まって確認してきた意図がわからず、深く考えずに相槌を打った矢先のことだった。
「じゃあ、次は先輩の番ですね」
秘策を明かすみたいに鹿波は言った。
「え?」
「え? じゃないですよ。お互いに言い合うゲームなんですから、私が愛してるって言った回数分だけ先輩も言ってくれないと」
呆気に取られる俺を置いて彼女はさらに続ける。
「楽しみです。年頃の少女にあんなに愛を囁かせた挙句講評までしていた先輩がまさか負けたことにしてゲームから降りるなんてことはしないでしょうし、真剣な顔で、まるで本気の告白みたいに愛してるって何回も言ってくれるでしょうから」
小説に目を通しながら鹿波は得意げに言う。
それはやや飛躍した論理ではあったが、それでも一理はあると思った。このままでは『言い合う』という愛してるゲームの主旨に反しているし、何より不平等だ。しかし、真剣な告白をしなければならないという条件にまで従う義理はない、と思う自分もいた。
迷いながら、なんとなく視線を彷徨わせた。長机の上に転がっているプリントやペンを見やり、コチコチと時間を刻む壁掛け時計を見つめ、窓の外に広がる茜色の空を眺めた。そこには、いつもどおりの部室しかなかった。いつもどおりの、部室があった。
ぱらり、と鹿波がページを捲る音がした。
鹿波は、満たされているというか、楽しそうというか。どれだけ表情に愛想がなくても伝わってくるくらい、この時間を楽しんでいるような顔をしていた。冷めた目が、あまり変わらない表情が、ほんの少しだけ柔らかに歪んだ口元が、彼女の感情を物語っていた。
その、誰にも見せるつもりがないはずの、つい零れてしまっている彼女の笑顔を見た瞬間、全部どうでもよくなった。まあいいか、と俺は思った。
「あのな、鹿波。悪いけど、本気っぽくやらなきゃいけないっていうその条件だとゲームにならねえよ」
「え? どうしてですか?」
一瞬だけこちらを見て、本を読みながら彼女は訊く。
だってそうだろう。ゲームというのは、本心から好きではないからこそ遊戯たりえるのだ。伝えるための言葉も本気で、そこに込められた想いも本物なら、それはもうただの告白だ。
そもそも、鹿波に本気でお願いされたら俺は大抵のことは断れないのだ。逆らえない理由があるとか、断れない事情があるとか、そういうことではまったくない。単に俺が断りたくないだけだ。
まあつまりは、惚れた弱みというやつだ。
「好きだ、鹿波」
「……はあ。あのですね、先輩。さっき本気でやるって言ったばかりなんですから、もっと耳元で囁いてみるとか、いっそのこと抱きしめてみたりとか――」
そこで言葉を区切った鹿波と目が合った。夕陽が染め上げる、はぐれ者に相応しい放課後の静かな部室で、俺と鹿波は見つめ合った。鹿波が小さく息を呑んだ。夕日のせいか、目を丸くしている鹿波の頬は染まって見えた。いつも冷静な彼女が心底驚いて言葉に詰まっているのは初めてで、年相応な彼女がかわいくて笑ってしまった。
ややあって、鹿波は戸惑いながらも、その事実を信じられないかのように言った。
「え、えと……先輩……私のこと好きなんですか?」
「ああ、好きだ」
「好きって……その、どのくらいですか?」
「つい好きだって言っちゃうくらい大好きだ」
動揺しているのか、珍しく要領を得ない質問をする鹿波に口角が上がる。いつもはあんなに俺が鹿波を好きな前提で話しているくせに、すぐにはその言葉の意味を信じ切れないいじらしさが微笑ましかった。
「あの、……先輩、冗談で言ってくれてたりしませんか? ゲームだからって、言ってくれてたりは……」
「冗談なんかじゃない。……わかるだろ」
不器用だ。俺も、この後輩も。好きだという感情一つを認めるのにこれだけの時間を使わないといけないのだから。この期に及んで好意的な言葉一つさえすぐには信じられないのだから。素直になるのに、これだけ時間が必要なのだから。
本当に、俺たちはどこまでも青春がへたくそだ。
「俺はちゃんと、鹿波のことが好きだよ」
それは、覚悟を決めたとか、勇気を振り絞ったとか、そういう大層なものじゃなかった。そういうものを一足飛びに越えて、ただ好きだと言いたくなった。だから、心の準備なんてしなくても、自分でも驚くほど自然に言えた。
告白なんて、ふとしたくなった瞬間にしていいんだ。何も特別じゃなくたって、さりげなくたって、きっとそれでもいいんだ。始まりは確かに特殊だったけれど、何か劇的なことがあって好きになったわけじゃない。運命を感じたわけでもない。だから、普通の告白でいいんだ。ありふれた言葉でいいんだ。
だって俺は、鹿波とのなんでもない日々が好きなのだから。そんな日々を重ねた彼女のことを好きになったのだから。
心優しい毒舌系後輩が言葉を返せないところを見たのはその日が初めてだった。
◇◇◇◇◇
こうして、毒舌系後輩少女だった鹿波との日々は幕を閉じた。
以前、この青春をラブではないコメディだと心の中で評したことがあった。それはもう撤回しなければいけないかもしれない。好意を認めてしまった以上、それはもうただのコメディではいられない。
喩えるなら、明日から始まる日々は。
毒舌系後輩彼女とのラブコメディなのだ。
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