第2話
ピリリと、ドレスの上に羽織ったコートの内ポケットに隠した連絡機器がいやな、見知った音を発する。
屋上から出るドアに、ドアノブに手を掛けながら私は、それをいつもの人物からだと無意識のうちに確認しながら手に取った。
見なくても分かる。
「…はい」
≪…………ハノ≫
少し間があった。電話の向こう側では強い風が吹いているらしい。カジノの外にでも車をつけているのかと背筋を冷やしながらも平静を装ってドアノブを捻る。
≪…………が≫
「…何を言っているの?聞こえない――」
空いた手で、仮面を外して見据えた先は、光の中。
代わりに背を向けた、闇の中。
――手をとられて勢いよく振り返ったのは――闇の中の方だった。
「ハノ、」
仮面を付けたままの彼は、そっと私に額を寄せて…口づけた。
放心する私に、顔を上げた彼は自分の仮面に初めて手を触れて。
目前でゆっくりと外し、その艶やかな眸を一歩踏み出した光の中で露わにした。
「っ」
「……まさか貴女様が私の別世界だったとは」
「貴、方」
それは、私が抜け出して、今から戻るべき世界に置いて去ってきたはずの、『執事』の素顔だった。
「唇、失礼致しました。まさか貴女から、我が執事長の話を耳にするとは――貴女が私の、『理性の通用しない女性』だったとは――…」
私の意識の追いつかぬまま彼は眸を細ませた。
綺麗なひとだと思っていた。
あ、と。
思った時には、気づいたときには、もう恋に落ちていたのに知らぬ振りをしていたのに。
どうしてこの、別の世界で、貴方と恋に落ちていたのだろう。
まるでロマンチックな悲劇だとでも嘲笑う。
貴方は、一執事で。
私は、その主だ。
「この5分間が終わった後、いつもこの屋上を出て貴女に連絡することが私の元の世界へ戻る合図でした」
背を屈めて風より冷たい指先で私の唇を拭う。
まるでキスを後悔するように。
何も言わないでと堰き止めるように。
やさしく、触れる『執事』が嫌いだった。
はっきりしなくて。
激情の欠片も隙も、見せない。
「貴方は、仮面を着けていてもいなくても私に素性を明かさなかったのに。私を、好きだったなんてそんなこと」
「申し訳ありません…貴女が別の誰かとご結婚なさったとしてもこの想いは告げずにいるつもりでした」
「それなのに、あんなくちづけをするのね」
執事は口を噤み、崩した耳元の髪にくしゃりと触れた。
「女性が悪い男を好むのは、男が、悪い男にでもならないと愛する女性の心に爪痕を遺すことができないからですね」
もっと触れたいとでも、いうかのような執事は初めて見た。
「もう、時間だと、最後の今夜も行ってしまわれますか――――?」
私は、“私の知る限りで貴方は一番の悪い男”と囁いて、ふたりが互いに手にしていた仮面を重ね合わせてもう一度、くちびるを寄せた。
「…行ってしまわれるもなにも、元から貴方の元に、でしょう?」
end.
劇団星屑 鳴神ハルコ @nalgamihalco
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