四
あいつとカナが出会ったのは、私の知っている限りなら高2の夏休みごろだったと思う。
その頃はたぶんどの高校生もその親も、教師も受験を意識し始めるはずだよね。私の親もそうだったし、どの家も似たりよったりだった。カナのところも例外じゃなくて。そういうとき、親は子供を塾に入れればいいって考えるんだよね。安直だと思わない? 勉強する時間と勉強する場所を用意してやれば、上手く勉強するようになるだろうって。
カナの親のことは知ってる仲だけど、けっこう厳しいんだよね。ああしなさい、こうしなさいって。昔、夕食が並んだ机に、スマホを置いてたら、取り上げられたって聞いたこともある。夕食とスマホ、両方。子供の頃も、なんども外に放り出されてたって。
そんな親だから、塾に行かせたかったのも納得。私は結局行かなかった。高三の後期にはもう、『おまじない』の力を信じ切っていたし、自分でも勉強するようになってたから。
とにかくカナは高2の夏休みに塾に通い出した。あの子の通ってたところは、二人の生徒を一人の大学生が受け持つ、みたいな形式のところだった。あいつの担当は数学だった。そんな塾って、まあ、言っちゃえば恋愛に発展しちゃうのも無理はないよなあ、と思うの。先生と生徒の年齢も距離も近い。会う日も多い。試験前とかで追い込みをかけてるときには、特に。そういうのなんていうんだっけ。吊り橋効果? みたいな。でもだからって、教える側がそれを利用するのは許せない。
あいつには、はじめからカナを教えるつもりなんかなかった。いま思い返しても吐き気がする。あいつはバイキングで好みの料理を品定めするみたいに生徒のことを見てたんだ。
でもしばらくのあいだカナは楽しそうだったし、私も応援した。だって純粋な恋愛だったら、それはとっても素敵なことに思えたもん。生徒と先生。そこには親だって、踏み込めない絆ができることもある。そういうふうに思うの。
カナとも何度かそういう話をしたよ。でも彼女の場合そうはならなかった。私はその話を聞いたとき、体の中身が全部のたうちまわってるみたいな吐き気を覚えた。実際に吐いたし。通話してるカナの声はかすれて、震えてた。何度も何度もむせび泣いて、嗚咽したあとのあの声。
私は『おまじない』を結び直した。いま私が強烈に感じている不幸。それをなんとかして、って。勉強なんかどうでもよかった。将来とか、私のためじゃない『おまじない』。結果はこのまえ話した通りだよ。
私、バカだったかな。いけないことをしたと思う?
でももしも『おまじない』の結果を知っていたとしても、仮にそれで誰に責められたとしても、私はやっぱり今と同じことをすると思うな。人の命は重い。それでも私は「自分のしたことの責任は自分の命をもって償います」なんて、むしのいい話だと思うの。カナからあいつがマンションから飛び降りたって話を聞いたときも、私はまず「なんだ、それ」って思ったもん。
ねえ、先生。もうどうしていいかわからないの。私。
人間って、どうしたら『幸せ』になれるの?
それは人を不幸にしないと手に入らないものなの?
私はこれからも『おまじない』にすがり続けるの?
もう、そんなのは嫌なの。私は私の意志で、『幸せ』になりたい。『おまじない』を知ったのは偶然で、しかたのないこと。でもそれはただの運命。私はそれを否定したい。
それで私はこうして、また先生と話したいと思ったの。これからもあなたに、いろんなことを教えてほしい。あの美術室で、私に絵の具の使い方や色の組み合わせを教えてくれたみたいに。
ずっとずっとあなたのことが好きでした。そばにいてください。私を『幸せ』にしてください。
え? 髪に?
ああ、藁だ。さっき、ついたんだと思う。
……ううん。なんでもないの。今日は風がつよいだけじゃないかな。
了
幸せのおまじない 乙川アヤト @otukawa02
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます