家族のために

 誰かが言った。

 此の世で最も恐ろしいのは神でも仏でもなければ、怪異でも幽霊でもない。人間である、と。


 なるほどそれは正しいのかもしれない。

 人は仏のような寵愛を他者に振り撒く事もあれば、恩讐に駆られて鬼となる事もある変幻自在の生き物だからだ。


 正しいのかもしれない。

 まさか悪鬼羅刹、魑魅魍魎の怪異の一種たる鬼の首領が、額に角を一本生やしている点を除けば、見た目人間と変わらぬ姿をしているとは思わなかった。

 しかも、女。


 ただし、ただの女ではない。緋色の長髪に南蛮渡来の漆黒の衣。

 踵が異様に持ち上がり、膝まで丈のある辺鄙へんぴ草鞋わらじを履いているせいもあるだろうが、背丈は拾尺(三メートル)に近いほど高い。


 そして力は、まさに怪力。

 破邪の御太刀が如き長刀を片手で振り回す様は、鬼が女である事を忘れさせる。

 薙ぎ払えば正面の物体は払い除けられ、振り下ろせば大地が割れ、振り上げれば天上を泳ぐ雲が斬れる。

 対決する龍臣たつおみも果敢に挑むが、剣の間合いが違い過ぎて攻めきれずにいた。


 が、龍臣も引かない。

 魔王の手を煩わせまいと襲い来る鬼を、次々と斬り捨てて肉薄。

 長刀の間合いが存分に発揮される事のない接近戦を挑む。


「因幡流剣術、攻式之陸……“ひらめき”!!!」


 相手の体格、武器、戦闘手段から有効な軌道を見出し、繰り出す連続斬撃。

 相手の戦闘方法から体格から、繰り出される防御の先読みを間違えれば一太刀とて通らない。

 が、龍臣は全ての斬撃を魔王の玉体に叩き付けた。


「貴様ぁ!」

「よくも魔王様の体に!」

「殺せ! 殺せぇ!」


 鬼共が襲い来る――より先に、魔王の斬撃が龍臣へと叩き付けられ、周囲の瓦礫諸共鬼らを吹き飛ばした。


「ほぉ、やはり止めるか。鬼の中でも、我が一撃をまともに受け止められる者はないと言うに」


 因幡流剣術、守式之陸――“こう”。


 相手の攻撃を、わずかにズラして受ける。

 相手の攻撃力を削ぎながら受ける事で、致命傷を受けないための体捌き。動かすのは、周囲が龍臣が正面から受けているように見える程ほんのわずかのみ。

 攻撃している魔王でさえ、違和感こそ感じてもその正体にまでは気付けない。


 速攻で繰り出される連続攻撃を全て受け、後退。

 間合いの利点を駆使されると厄介なので、即座に肉薄。距離を詰め、接近戦を仕掛ける。

 その途中で斬撃を叩き込まれたが、斬られたのは龍臣の残した残像だった。


「因幡流剣術、攻式之玖――“はく”!!!」


 残像を残す程の超高速移動による特攻。

 距離が壱から零になるまでの数拍を捉え切れなかった魔王は、肩にわずかな斬撃を受けながら、遅れた反応で剣を懐に入れ、弾き返す。

 その後も繰り出される猛攻は先までの速度を遥か超え、魔王の知る人間の域を逸脱していた。


 刺突から滑る様に走る袈裟。

 翻っての逆袈裟、を途中で止めての右薙ぎ。

 下がった間合いをまた詰めながら唐竹――は牽制。唐竹にて深く沈んだ体勢から繰り出した逆風が、燕返しが如く魔王の喉を狙う。


「――不倶戴天ふぐたいてん


 刀剣が姿を変える。

 ただの馬鹿に大きく長かっただけの刀の刀身がわずかにだが縮み、代わりに先端からおよそ参尺分に細い空洞が出来て、赤い光が行き来していた。

 そして刀身の代わりなのか、柄が随分と刀に対して相応なくらいに長くなった。まるで、神話に語られる十束の剣でも模しているかのような。


「よもや。我が恩讐刀、不倶戴天を人間相手に開放する時が来るとは……素晴らしいぞ、因幡龍臣。因幡流剣術と語るくらいなのだから、奥義の壱つもあるだろう。是非見せて貰いたいな」

「ならば喰らうか? 因幡の奥義、極みの技。尤も魔王よ。これを見たとき、おまえが立っているかは保証せんぞ」

「くっくくく……虚勢でもそんな事を言う奴はいなかったなぁ。少なくとも、人間には!」


 嵐のような連撃剣。

 まるで二本以上の剣に攻められているかのようだ。

 普通の刀剣よりも長いので、間合いも広い剣でどうやってそんな連撃が繰り出せるのかと思うが、不思議ではない。相手は人間ではなく、鬼。それも首領なのだから。


 ひと薙ぎ灰燼。塵芥。

 弐撃必滅。


「因幡流剣術、攻式之玖――“迫”!!!」


 壱太刀で万物を焼き焦がし、弐撃目で斬って捨てる魔王の剣。

 壱度距離を取った龍臣はまた、残像を残しながらの超高速特攻攻撃で肉薄し、魔王の剣と炎を爆ぜさせる。


 弐人が打ち合っている間に龍臣の背後へと回った鬼が攻めて来たが、龍臣の意識は背中にも目が付いているかのように正確に捉えていた。


「因幡流剣術、守式之肆――“かい”!」


 魔王の剣を弾いた一瞬で回転。

 全ての得物を弾き飛ばし、相手の体勢を崩す。


 魔王の重心が完全に後ろへ向いたのを確認してから、背後から来た鬼を順に斬り捨て、うち壱体の首を刎ねて飛ばし、目くらましに使う。

 魔王はその首を叩き斬りながら、斬り掛かって来た龍臣の剣を受けた。


「今の一瞬、何故攻めて来なかった」

「それではつまらん。おまえは万全の状態で殺したい……いや、それよりいい方法があるな。おまえ、

「何……?」

「おまえほどの人間を殺すのは惜しい。私とて、人間を全滅させる気は無い。おまえのような人間こそ生きるべきだ。どうだ?」

「……もし私がそちらに行けば、息子の処遇はどうなる」

「それは覆らぬ。あれは我が兄弟分の手下を殺した。我が義兄弟を殺されたも同じだ。家族の仇を見逃してやるほど、私はお人好しではないのだ。そも、人ではないからな」

「そうか……ならば答えは決まっているぞ。貴様とは行けん!」

「そうか、残念だ!」


 残念と言いながら楽しそうに笑う魔王まで、龍臣は距離を取る。

 先まで距離を詰めていた人間が距離を取る理由は弐つに壱つ。

 逃げるための道を模索しているか、助走距離を確保しているか。そしてそのどちらを選んでいるかは、相手の顔つきからわかる。此度は、あからまさな後者。


「そんなに自分の子供が大事か?!」

「おまえと同じぞ。家族のためなら命を懸ける。懸けるだけの価値を、あの子は与えてくれた! 故に受けるがいいぞ、第六天。因幡の剣、その極み――!」

「……! 受けて立とう!」

「因幡流剣術、攻式之きわみ、拾弐――!!!」


 凄まじい気迫に、周囲で構えていた鬼達が気圧される。

 魔王は喉に剣の切っ先を向けられているような感覚に陥り、背筋がと震えてしまった。


 構えは単調。

 どんな攻撃なのかも、助走距離を確保した事から予測出来る。

 だがその構えに壱部の隙も見出せず、掻き乱せる場所を見出せない。


 受けて立つには真っ向勝負しかない。

 悟った魔王は、恩讐刀を高々と掲げていた。


「来い!」

「“金色こんじき拾弐じゅうに月夜つくよ”!!!」


 勝負は壱瞬。


 衝突する気迫と鬼迫。

 力を持たぬ鬼は意識を保つ事さえままならず、その場に膝から崩れ落ちる。

 同時、刀を振り下ろした魔王の左腕が、彼女から遠い場所に斬られて落ちた。


「こ奴め……最期の最後で、鬼の首魁の腕を取りおった。命と、引き換えにな」


 わずかに軌道がズラされて袈裟切りになったが、魔王の刀は龍臣の肩から芯の臓に掛けて焼き切っていた。

 だが、龍臣は倒れない。

 激しい戦いを繰り広げ、最期まで抗い抜いた男の体はすぐさま固まり、絶命して尚倒れなかった。


 魔王は刀を収め、斬られた左腕を焼き捨てる。


「こいつの息子を探して殺せ。せめてもの慈悲だ。家族皆、同じ所へ送ってやろう」


 と、背を向けた魔王だったが、周囲の鬼が龍臣の遺体に近付こうとすると、猛獣も気圧される眼光と気迫を向けた。


龍臣それを穢す事は私が許さん。地獄を見たくなければ、さっさとこいつの息子を探して来い!」


 散り散りになって消えていく鬼の中で、壱体だけ残っている鬼がいた。

 村を襲い、龍臣が斬り殺した鬼の親だ。


「やるなら徹底的にやって欲しかったな、首領」

「奴らは貴様の息子をしっかり火葬した。葬儀も埋葬もしない我ら鬼が、これ以上何が出来る。貴様の息子が、あいつより弱かった。そして仇は取った。もう満足しろ」

「文句はない。しかし、何故左腕を治さない。おまえなら数刻もあれば――」


 魔王は通り過ぎ、歩き出す。

 その後誰が何度訪ねても、魔王が左腕を治さない理由は言わなかった。

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