因幡流合氣道

 自分のせいだ。

 自分が不用意に鬼を殺したから、報復に来たんだ。

 外の大人達の叫び声からそう悟った輝夜かぐやは、激しい後悔の念に駆られて囲炉裏の側で我が身を抱えて震えていた。


 浅はかだった。

 軽率だった。


 我が身を守るためとはいえ、いつか村を襲撃される恐れがあったとはいえ、下手に手を出すべきではなかった。

 少なからず、自分は村に戻って来ず、すぐに村を出て行くべきだった。

 自分のせいだ。

 自分が、軽率だった。


「輝夜!」

「母上……」

「逃げるぞ!」

「……母上。僕は皆とは別方向に逃げます。そうすれば、鬼は僕を追い掛けて皆の方には行かないかもしれない。だから――」

「そうか。なら行くぞ、輝夜。刀を差せ、最低限の荷物を持て。早く立て」

「は、母上……! 母上も皆と一緒に――!」


 両肩を強く掴まれ、頭突きされる。

 痛む額を再度こすり付けられ、鋭い眼光が自分の目の中を見つめて来た。


「おまえは因幡の息子。我が腹を痛めて生んだ訳ではない……血の繋がりはない。だがしかし、私はおまえが息子以外の何者にも見えないし思えない。ならば、母親が息子のために命を賭けるなど至極当然。息子よ、母の務めを、私に全うさせてくれ」

「……母上」


 刀を腰に。

 最低限度の荷物とわずかな食糧とを持ち、虎徹こてつと共に他の者達とは逆方向に走る。

 皆は逃げやすい道を逃げただけあって、こちらは足場も悪く、逃げづらい。


 鬼はまだ――


「魔王様の言う通りだ!」

「こっちに来たぞ殺せぇっ!」


 先回りされていた。

 即座に抜刀、しようとするが、先に虎徹が走る。


「はっはっは! 女ぁ、俺に勝てるつもりかぁ?!」


 振り下ろされる棍棒を躱し、前傾姿勢で後ろの足を体当たりするように払う。

 前のめりに倒れそうになった鬼は踏ん張って堪え、振り返った下顎を打ち上げられて卒倒。背中を打ち付けた痛みで悶える鬼の太い首に、虎徹の足刀が突き刺さった。


「な……が……ぐぉ……」

「力だけの能無しが、私に敵うつもりだったか?」


 合氣道。

 相手の力を利用し、相手を意のままに操る武道。

 柔道や空手、中つ国の武術と比べると歴史は浅く、まだ出来たばかりの新参者。


 故に、未だ対抗手段は見出されていない。

 その歴史の浅さが、この世界における合氣道の最大の強みだった。


 転生する前の輝夜の世界でも、そこまで使い手がいなかった武道。

 その使い手であり、更には師範代を務めるだけの実力を持っている虎徹を相手に、鬼達は翻弄される。


 翼を広げ、槍を持って突っ込んで来た鬼の顔と首を掴み、突進力を利用して地面に叩き付け、顔面に向けての下段突き。

 鬼の顔面中央を穿ち、頭蓋を割って殴り殺す。


 背後から跳び掛かって来た鬼を肩で払い除けて地面に転がし、再度襲い掛かって来た鬼の腕を掴んで背負い投げ。

 止めを輝夜の剣が刺し、弐人はすぐさま走り出す。


 長年合氣とは離れた生活をしていたはずなのに、教えて貰った頃と腕は全く衰えていない。

 父然り母然り、武芸者とは年齢によって体力や筋力が衰えても、術技が衰える事はないらしい。


 前世。青き星にて自身を育ててくれた誰か。

 月の冠を被ってしまって、もう思い出す事は出来ないけれど、もしあの世界で存命しているのならば、心配しないで欲しい。

 あなた達の娘は姫ではなくなってしまいましたが、あなた達と同じくらい、素晴らしい両親に拾って頂けました。


「何体かまだ来ているな。全員を相手すると、こちらが消耗するだけだ。輝夜。このまま先を行くと、隣の村に繋がる洞窟がある。そこを通って逃げるぞ」

「はい、母上!」

「……いたぞ!」


 敵はまたも三体。


 まずは初手。

 大きく振り上げてからの唐竹。

 だが虎徹は剣を躱しながら手刀で剣を握る両手を下に打ち、足を引っ掛けて前のめりにし、鬼に自分の喉を貫かせる。


 次に襲い来るのは槍。

 繰り出される刺突に対して背中を向けた虎徹は回転。肩、背中、肩と受け流した勢いのまま鬼の首目掛けて手刀を繰り出して頸椎を外す。


 最後は打拳。

 打ち込まれる拳を取りながら後ろへと送り出し、前のめりに倒す。

 拳を掴んだままの手はもう一方で鬼の肘を捕まえ、逆方向に曲げて折った。

 悲鳴を上げる鬼の首を、他の弐体にも一応の止めを刺しながら来た輝夜が刎ねる。


 相手の攻撃が初歩的なのは否めないが、それでも虎徹が強い。

 繰り出された攻撃に対して必ず最善手を繰り出し、再起不能に追い込んでいる。

 実際、最初の鬼は輝夜の手など要らなかったし、次の鬼も一応の処理を施したに過ぎない。輝夜が役立ったのは、本当に最後の一体だけだった。


「私は不要ですね、母上」

「おまえが不要だった事など、一度もないよ」


 優しい母は、そう言ってくれる。

 だがその後も母の合氣は鬼共を手玉に取るかのように弄び、次々と命を取っていく。

 一度でも選択肢を間違えれば致命傷を負いかねない状況が続き、体力だけでなく精神力までも擦り減らしていく中、虎徹は鬼を輝夜へと近付けさせなかった。


 守られて、ばかりだった。


 およそ拾町の距離を走り、何体の鬼を返り討ちにしたかもわからなくなって来た頃、目指していた洞窟が見えて来た。

 待ち伏せは、いない。


「先に行け。昔遊び場にしていたお前の方が、土地勘はあろう」

「はい!」


 母に言われた通り、洞窟の中は幼少期の頃の遊び場の一つだった。

 だから真っ暗だが、洞窟の中の構図は記憶している。隣の村までの近道なのも、幼き輝夜が発見した事だ。


「母上、お早く!」

「あぁ――」


 と、虎徹の動きが止まる。

 背後を振り返ったまま、動かない。

 どうしたんだと母へ手を伸ばそうとして、輝夜は咄嗟に突き飛ばされた。

 見ると、肆本の腕を持つ巨漢の鬼が迫って来ていた。


「行け」

「しかし母上! あの体格相手では、さすがの母上も――」

「母を舐めるな! 行け! 行け!!!」


 洞窟の奥まで、虎徹の声が反響する。

 自分がいては足手纏いなんだと言われた感覚に陥った輝夜はすぐさま洞窟へと走り、最短距離を稼げる小さな穴の中へと潜っていった。


「引けい人間……我は羅生門鬼。羅生門に千年生きる者。貴様程度、我が手に掛かれば有象無象の壱匹に過ぎず。速やかに、疾く逃げるがいい。我はそれを追い掛け、後ろからおまえを殺す」

「千年も生きている癖して、学がないな、鬼よ。教えよう。子供を守るためならば、親は鬼すら殺すのだ」

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