因幡流

 因幡流剣術六代目師範、因幡いなば龍臣たつおみ

 彼は陸代続く因幡流において、最強と謳われる。


 無論、その称号に所以あり。

 六代目の師範を決める時、伍代目は当時育てていた龍臣を含む陸人の弟子を戦わせ、後継を決めようとしていた。

 だが、真剣勝負ではない。因幡流は活人剣。人を殺さぬ剣と称された剣術の後継者を決めるのに、真剣は使わない。故に勝負も、木刀を使用しての立ち合いを予定していた。


 だがそれに異を唱える弟子がいた。

 剣は結局殺しの技。活人剣も結局は他者の死あってのもの、ならば真剣勝負こそ相応しい。

 そう考えた壱人は、後継を決める日に自分だけ真剣を持って現れ、止めようとした弟子弐人を殺害。当時の伍代目の片腕を奪う重傷を負わせた。

 その時に暴走する弟子を破り、首を突いて折ったのが龍臣であった。


 真剣相手に木刀で勝った。

 同じ流派、同じ型、酷似した体格ならば、武器の違いは勝負に大きな影響を与える。

 龍臣はその場で陸代目を襲名した――が、因幡流は活人剣。凶行に走ったとはいえ、同じ釜の飯を食った弟子を殺してしまった事を隠すため、龍臣は六代目を襲名しながら、道場を去った。


 そして今の村に辿り着き、今の妻に出会い、現在に至る。


 滅茶苦茶な攻撃の軌道。型も流派もあったものじゃない出鱈目な怪力無双。

 体格は言うまでもなく相手が上。

 にも関わらず、拮抗している。龍臣の剣は世に珍しい直刀でありながら、茨木いばらきの攻撃を捌き切り、壱寸たりとも変形していなかった。


 軽く捻ってやれば済む。

 敵の力を軽視していた茨木は、自らと対等以上にやり合う人間の存在に苛立ちを御し切れない。


「どういう事だ!?」


 風を切る戦斧。

 受ける直刀は戦斧の刃を受け止めるのではなく、受け流す。

 力の限り振るわれた戦斧は徐々に茨木の体勢を前へ前へと傾け、側面に回った因幡の足に引っ掛けられた茨木の体をよろめかせた。


 因幡流剣術、攻式之壱――“げき”!


 後頭部に叩き付けられる渾身の唐竹。

 真剣で叩き斬られたのだ。頭蓋は砕かれている。例え峰打ちであっても、脳震盪は確実だ。

 だが茨木はすぐさま振り返るより先に腕を伸ばし、龍臣を捕まえようとして来た。すぐさま後退して逃れた龍臣を追い、茨木の戦斧が再び空を切る。


「クソ! クソ! クソ! 何でだ! 何で当たらねぇ!!!」

「因幡流剣術、守式之参――“やわら”。鬼と言うのは剛力だと聞いていたが、どうやらその通りのようだな。そっちの力が強いお陰で、簡単に躱せるぞ」

「舐めやがって――! 死ね!!!」


 因幡流剣術、攻式之玖――“はく”!


 戦斧より先に叩き込まれる斬撃。

 茨木の顔面から腹、股まで裂いた壱撃を繰り出した龍臣の体が、真っ弐つに引き裂かれたと誰もが思った直後、背後にいた龍臣の剣が再び茨木の体を斬り付け、振り返りながら戦斧で薙ぎ払われた茨木の側面から、また龍臣が現れて斬り付ける。


 茨木が斬るのは悉くが残像。龍臣本人には、壱寸たりとも届かない。

 対して、龍臣の剣は茨木の体を斬る、斬る、斬る。

 その都度斬撃の深さに違いはあれど、確実に茨木の体に痛みを蓄積させ、体力を消耗させていく。


「何故だ……! 何故俺ばかりが斬られる?! 何故俺ばかりが追い詰められる!? 人間風情に何故、ここまで……!!!」

「人間風情だからぞ」

「……は?」

「人間は弱い。武器を持たねば怪異は疎か、獣にさえ負ける。だから己を鍛え、知恵を巡らせ、術を学ぶ。人間風情は弱い生き物。だからこそ、ただの力には屈しない」

「何を……訳の分からない事を!!!」

「力を持つ者に、持たざる者の気持ちはわからぬか」

「俺は悪鬼の息子……! 茨木童子だぁぁぁっ!!!」


 迷いなく、壱直線に振り下ろされる唐竹壱閃。

 力は全力。速度は最速。これ以上ない壱撃であった。

 鎧兜を身に着けていたところで、元がひ弱な人間では圧し潰されて終いだろう。


 尤もそれら全て、当たっていればの話だが。


「は?」


 振り下ろした戦斧の上に、跳び上がっている龍臣の姿を見つけてつい、間の抜けた声が出てしまう。

 だってそこは戦斧の真上で、躱したとしてもあり得ない場所で。いやそもそも、躱せる速度ではなかった。だって今までは手加減をして――


「因幡流剣術、守式之伍――“くずし”」


 同時に放たれた。

 あり得ない。

 肆つもの斬撃が、壱度に同時に放たれるなど。

 だが戦いを見ていた人々全てがそう誤認するほどの速度で、龍臣は呆然と自分を眺める茨木の両腕と両脚の腱を断ち斬り、最後に首筋に刃を当てた。


「鬼とは、再生力に特化した肉体を持つという。肆肢の腱を斬ったとはいえ、貴様もすぐに回復するのだろう。だが体力と気力は、その分消耗するはずぞ。故に今選べ。大人しく引き下がるか、ここで斬られて死ぬか。おまえに選択の余地を与えようぞ」


 何を言ってるんだ。

 そんな悠長な事を言っている場合か、さっさと殺せ。


 村人の誰もがそう思う。が、決して誰も口には出さない。

 鬼と真っ向からやり合い、圧倒的な勝利を収めた龍臣は、もう田舎の村に隠遁を決めた元余所者ではなく、壱人の剣客として映っていた。

 彼の性格をよく知る人々は、口出ししたところで殺されないことくらいわかっている。

 だが、今も鬼の首に剣を向ける彼に口を出すのは、先に彼へと石を投げられた自分でさえも出来ないと思い込み、誰も動けなかった。


「さぁ、どうするぞ。それとも回復を待ってまだやり合うつもりか?」

「この……勝った気になってんじゃねぇぞ、人間風情が――」

「もういい、茨木。どう見ても貴様の負けだ」

「親――」


 茨木の頭が破裂する。

 咄嗟に剣で弾いた龍臣だったが、自分が何を弾いたのかは宙を飛んで返り、落ちて来てから確認した。


 禍々しい赤い光沢を放つ、漆黒の黒刀。

 鬼の首を斬るどころか、爆ぜさせるなど、人間ではあり得ない。

 何より、まだ数町先離れた場所にいるにも関わらず、伝わって来る存在感。今まで気付けなかったのが嘘と思うくらいに、龍臣の悪寒を逆撫でる。

 それがこの黒刀を投げたのだとしたら――


「全員、逃げろ」

「へ?」

「いいから、さっさと逃げろ! 殿しんがりは儂が引き受ける! 子供も老人も関係ない! とにかく逃げろ!!!」


 血相を欠いた龍臣の言葉に、壱呼吸遅れて皆走る。

 貴重品を持ち、生活必需品を持ち、女は子供を抱え、男は老人を背負って逃げる。

 そんな中、逆走する影が壱つ。

 混乱の只中を掻き分け、夫の下へと駆け付けた妻の虎徹こてつがどうしたんだと視線で問いかけ、龍臣は言葉を詰まらせた。


「殿は、儂が引き受ける……輝夜かぐやを連れ、疾く逃げろ」

「ならばわたくしも――」

「逃げろ! ……逃げてくれ。ここで死なせるのは、儂は辛い」

「ならばせめて」


 と、虎徹は両の手を叩く。

 さながら、火打石を叩くが如く。

 火花こそ出なかったが、虎徹の手からは昨日まで平和に聞こえていた音が出た。


「ご武運を」

「……おまえのような妻をめとれて、幸せだったぞ」


 虎徹は走る。

 武術の世界に壱時は身を置いた者として、涙は流さない。

 遠くなっていく旦那の存在を噛み締めながら、ひた走る。


 そうして虎徹の姿までもが見えなくなった頃、数百の鬼の群れを引き連れた首魁が、黒刀を拾って担ぎ上げた。


「茨木を仕留めたその腕見事。名を訊いておこう、人間」

「因幡流、陸代目師範。因幡龍臣」

「因幡……龍臣、か。しかと憶えた。貴様の相手は我、魔王第六天がするとしよう」

「鬼の首魁……それも魔王、か。相手にとって不足なし! いざ尋常に、勝負!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る