襲来

 山肌を滑落した鬼の亡骸。

 近辺をねぐらにする肉食獣が巨大な餌に群がり、喰らい付く。


 久方振りのご馳走に一心不乱に喰らい付く獣達――基、鬼の亡骸に近付く影があっても寸前まで気付かず、影が亡骸を覆うまで獣達は影の存在に気付けなかった。

 影を作る巨体の存在に気付き、小さな獣は一目散に逃げ出していく。


 だが山中でも頂点を張る大熊が二足歩行で立ち上がり、咆哮。両腕を大きく広げて威嚇するが、やって来た影の担い手が繰り出した腕の一振りで熊の巨体が払い除けられ、大木に叩き付けられて頭蓋を粉砕。

 一撃で絶命した熊には目もくれず、影の担い手は食い散らかされた鬼の残骸を見て肩を揺らし、徐々に声量を上げて笑い始める。


 静寂で包まれた山の中。竹を割ったような笑い声が響く、響く。

 その背後からゆっくりと歩み寄る足音が聞こえると、笑っていた影は嬉しそうに。


「親父! この近くに俺達おにを殺せる奴がいるぞ!」


 親父と言われた鬼は煙管から吸った煙を吐く。

 同胞の亡骸を見た親父は刻み煙草を捨て、踏み潰した。


「臭う。臭うな……まだそう時間も経ってない。今日のうちに仕留められたなら、まだそう遠くへも行ってはないだろう。愚息よ、行けるか」

「わざわざ問うかよ、親父殿。任せておけよ。俺は悪鬼の一角、酒吞しゅてんの息子。茨木いばらき童子どうじだぜ」

「……なら、行って来い」


 村に戻った輝夜は、すぐに布団へ潜って横になっていた。

 普段は布団に入ったら四半時(約三〇分)もすれば眠れるのに、今日はなかなか眠れない。


 鬼の存在は父にも母にも話せなかった。

 それだけ衝撃的だったのと、大きい鬼が首から下げていた人の頭の悲愴の面相が頭にこびりついて離れず、なかなか眠れなかった。

 まだ残暑の厳しい季節にも関わらず、震えが止まらない。


「どうした、輝夜かぐや。寒気がするのか?」

「い、いえ母上……大丈夫です……父上は」

「何か気になる事があると、先程出て行ったが……まだ、戻って来ないな」


 因幡いなば龍臣たつおみは村の外に陣取っていた。

 さながら戦国時代の武将が如く、己が陣を敷いて座る姿は威風堂々。並の敵はもちろんの事、そこらの猪も避けて通るほどの覇気を纏う。


 誰もが避けるだろう彼の背に声を掛けるのは、彼が生まれた頃より知る村の長であった。


「龍臣よ、こんな時間に何をしているのだ」

「……息子が、何やら血相を欠いて帰って来た。当人は隠し切れているつもりかもしれないが、あんなに青ざめた顔をされて、わからぬ親がいるものか」

「何があったと言うのだ」

「それはわからぬ。だが何やら山の方から夥しい数の氣を感じる。人間ではなかろうぞ」

「まさか……物の怪の類か……?! で、ではすぐに避難を……!」

「何処に逃げる。まして人の足が物の怪の類に勝てるはずもあるまい。女、子供、老人は見殺しか?」

「それは……」

「おい、因幡……」


 大声を出した覚えはないが、不穏な気配を感じ取った村人が数人、起きて来た。

 物の怪の類と聞いて、最近巷を騒がせている怪異の存在を思い出し、皆が脂汗を掻く。


「く、来るのか? ここに化け物達が……何で?!」

「さぁのぉ……都を襲撃するための拠点にするつもりなのか。それともただ単に腹が減ったのか。いずれにせよ、奴らはもうじきここに来るぞ。逃げたいのならば逃げても構わんが、儂が守り切れん」

「どうするつもりなんだ、因幡……」

「氣の具合からして、向こうの群れにも大将はおろう。ならばその者と対峙し、一対一で決着を付ける。勝った方の言い分を――儂の言い分を通す」

「そんな事……!」

「出来る訳ない、か?」


 龍臣の実力は知っている。

 彼の下で剣を学んでいる自分の子供達が、歳を経る毎勇ましくなっていく様も見て来た。


 だが、さすがに怪異と戦うなんて無謀にも程がある。

 しかも相手が決闘の約束を守ってくれる保証なんて、万に一つもない。そも、言葉の通じる相手かもわからない。もしそんな物わかりのいい相手なら、都が半壊などするはずもない。


 混乱は伝播し、多くの人々へ伝達する。


 何故。どうして。

 怪異の大移動が何故こちらに向かっているのだと、訝しむ人々の疑問符が不安に変わり、皆の心を侵食する。


 唯一平静を保っていた長は、短い時間で判断を迫られていた。


「……勝てるのか」

「敵の力量も計らずに、勝てると断言は出来んな」


 村一番の実力者にして、唯一の武芸者がそんな事を言う者だから、皆の不安が煽られる。

 だがもう、迷っている時間はなかった。

 誰が最初に気付いたか、村人の一人が指差す方から飛んで来た赤い塊が因幡の目の前に着地。一歩下がった因幡の真横を紙一重ですり抜けた剣が、地面に突き立てられる。


 全身真っ赤に燃え盛った鬼が、嬉々として目をらんらんと輝かせると、他の村人らは忽ち霧散するように逃げていく。

 逃げずに退かない龍臣と、腰を抜かして動けない長だけが残った。


「臭う。臭うな……おまえか? いや、違うな。おまえの近くにいるな。俺の部下を斬った奴が」

「近く……?」


 そこまで言われて、腑に落ちた。


 顔面蒼白で帰って来た息子に感じられた違和感。

 息子からわずかに臭った血の気。

 そして今、目の前にやって来た鬼。


「い、因幡……おまえの息子が斬ったのか? そいつの子分を、鬼を、斬り殺したのか?」


 逃げた村人の一人が、物陰から問う。

 自分と同じ回答に辿り着いたらしい者達が次々と出始め、それに気付くと、彼らは瞬く間に徒党を組んで戻って来た。

 鬼と戦うためにではない。彼らはあろう事か、龍臣に対して石を投げた。


「何余計な事をしてくれたんだ!」

「自分から怪異に喧嘩を売るだなんて!」

「俺達を巻き添えにするんじゃねぇよ!」

「ここには嫁も家族もいるんだぞ! ふざけるな!」


 嫁も息子もいるのは、こちらとて同じだ。

 だが龍臣は彼らを責めなかった。

 同時、息子を責めなかった。


 息子がわざわざ、鬼に喧嘩を売ったとは思えない。

 偶然遭遇し、襲われ、なくなく撃退したのだろう。


 良くも悪くも、あれは初めて獣以外の命を斬ったはずだ。

 物の怪とはいえ、怪異とはいえ、鬼とはいえ、初めて他者の命を奪った感覚を知っただろう。

 だから怖くなって、顔色を悪くして帰って来たのだろう――まぁ、他に要因があるのかもしれないが、少なからず、龍臣には息子を責める事は出来なかった。


「仮に儂の息子が貴様の部下を斬ったとして、何処が問題か。貴様の部下は生きるために息子を襲った。息子も生きるために斬った。生きる権利を賭して戦った両者の決着に、第三者が口を挟むなど、野暮というものではないか?」

「何だと?」

「息子に仇討ちをしたいというのなら、素直に差し出す事は出来んな。どうしてもと言うのなら、息子に代わって、儂が貴様の相手をしようぞ」

「こ、の……人間風情が!」


 鬼の大剣と龍臣の剣が、衝突。

 火花を散らしながら、耳を劈く金属音が響き渡った。

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