対峙、対決
明日は剣の修行に身を入れるため、夜のうちに罠を仕掛けておく。
獣道に仕掛けた罠は伍つ。今日壱匹掛かっていたから、明日も掛かっていればかなりの幸運と言えるだろう。
伍つの罠を仕掛け終え、天を仰ぐ。
夜の世界は静寂そのもので、真上を見上げると真円を描く月が空を、天を照らしている。
自分が破壊した月の形が変わった事を知らない
後ろから聞こえる跫音。
音からして弐足歩行。そして、こちらに向かって走って来ている。
後ろから声も掛けずに駆け寄る理由など、命を狙うか金を狙うかそれとも両方か。いずれにせよ、撃退する以外に無い。
衣の下に隠す形で帯刀していた刀を抜刀。
そのままの勢いで背後へと振り払って繰り出した斬撃は、襲撃者を斬り裂いた。
が、輝夜の予想と少し違った。
てっきり相手の腰辺りを斬ったかと思えば、斬ったのは目。
跫音から感じた重さの割りに、随分と小さな体躯。血涙を流して呻く声は汚く、頭に生えた弐本の角は、鹿や猪の類ではない。
何より自分に当てるつもりだったのだろう石の斧は、既に何かの血で濡れていた。
月明かりが、襲撃者の姿を照らす。
弐本の角。灰色の肌。鋭い犬歯。歪んだ顔に肆本しかない指についた鋭い爪。
怪異――鬼だ。
「この山にも来たのか……!」
目が見えなくなった鬼は、石の斧を滅茶苦茶に振り回す。
瘦せ細った腕の割りにかなりの力。乱雑な軌道でぶつかった木は叩き斬られ、木こりも顔負けの勢いで薙ぎ倒していく。
だが、隙はある。
父の剣に比べれば、滅茶苦茶に振られる攻撃など隙だらけも同然。
一度収めた刀の鯉口を切り、体勢を前に傾ける。
「
石の斧、鬼の頭蓋が砕ける。
弐本の角が真っ二つに割れ、食いしばった犬歯が噛み砕かれた。
「“
基礎中の基礎。力の限り振り下ろす渾身の唐竹。
頭を叩き割られた鬼は断末魔を上げる間もなく絶命。
そのまま前のめりに倒れて動かないのを確認し、輝夜は刀を収めながら息を吐き切った。
「これが、鬼……偵察か? それとも群れからはぐれた渡りか? いずれにせよ、父上に報告せねば――」
自分を覆う影に気付き、咄嗟に飛び退く。
数拍後れて振り下ろされた戦斧が鬼の亡骸諸共山肌を割り、戦斧を下ろした怪異の口角から漏れ出す炎が周囲の木々を燃やし始めた。
「コロシタな……コロシタなぁぁぁ!!!」
敵は先よりも大型かつ巨漢。
腕一本の太さが丁度輝夜の胴と同じくらい。輝夜の胴が細いというよりは、敵の腕が太いと言う方が正しい。
そして戦斧。
これは先の小鬼の持っていたそれとは別格だ。ただ振り下ろすだけで地面が割れた。刀で受けるなど絶対に無理だ。
父ほどの膂力と剣で力を受け流す技術があれば出来たかもしれないが、そこは未熟な自分を恥じる以外に無い。
「シネぇぇぇっ!!!」
「因幡流剣術、守式之参――“
全身から脱力。
膝から崩れ落ちそうになるほど力の抜けた体は、振られる戦斧の生み出す威力の外へと吹き飛ばされ、勝手に躱す。
その後も滅茶苦茶な軌道で振り回される戦斧を躱し、再び地面を割る攻撃が来た際には背後に飛んで回避した。
「このままでは不味い。土砂崩れが起きようものなら、村が吞み込まれかねん……どうする」
因幡流剣術は攻めの型が十二。守りの型が十二の合計二四編制。
使い手は攻めと守りの二択だけでなく、どの型を使うかの十二択。最大二四択から最善手を選ばねばならない。
師範の父曰く、輝夜は剣の才にこそ恵まれていたものの、戦闘経験値の少なさから正当な型を選び出す判断能力が乏しかった。
故に迷う。
迷っている間に詰められる。時間も、距離も。
「コロスぅぅぅっ!!!」
「因幡流剣術、攻式之玖――“
薙ぎ払われ、振り下ろされる戦斧を躱しながら攪乱。
山中という足場の悪い環境下ながら、普段から山中を駆け回っている経験が、輝夜の足取りを緩ませない。
電光石火で駆け抜ける輝夜を追い掛け、背後に聞こえた足音に戦斧を叩き付けた鬼の腕と頬、側腹部に斬撃を叩き付けたが、命を取るには届かなかった。
だが斬れる。
先の小鬼のように容易くとはいかないが、斬撃は通じる。
なかなかに硬い皮膚だが、斬撃が通じない訳ではない。勝ち目は、ある。
「コノ……コノぉぉぉ!!!」
「“柔”」
力任せの攻撃程、“柔”は通じやすい。
だが同じ技を連続で使用するのは、軽率かつ悪手だ。敵が例え力任せの怪力バカでも、いずれは順応し、対応する。その時殺されるのは他の誰でもない、自分だ。
「因幡流剣術、攻式之伍――“
鬼の視界から、輝夜が消える。
不意に現れた剣に片目を抉り取られ、痛みに悶えながらも戦斧を振るが手応えがない。
また姿を消した輝夜を追うでもなく、探すでもなく、滅茶苦茶に戦斧を振り回す鬼の背後に現れた輝夜の刺突が、鬼の膝裏を突いて立つ力を奪った。
そしてまた、消える。
攻式之伍は剣術というより歩法だ。
相手の意識の隙間。脳が処理し切れず捨ててしまっている刹那の間に入り込み、自分がいないと錯覚させる高等技法。
故に相手は一定時間、輝夜の姿を捉えられない。
だが輝夜のそれはまだ未完。
一対一の状況でしか使えない上、暗闇の中でしか術中に完全に嵌める事は出来ない。
父のそれは昼間だろうと多人数相手だろうと通用する。故に、未完。
しかし今は夜。それも月以外の光源がない。
更に片目を潰し、視界を半分にした。
頭に血が上っている今の鬼に、輝夜の姿を捉える余裕はないだろう。いつ攻められるかわからない恐怖に駆られて戦斧を振れば振るほど、輝夜の攻撃回数が増えていく。
だが不意に、輝夜の攻撃が止まった。
目はずっと、鬼の首に――正確には、鬼の首から下がっている物へと向けられている。
月明かりしか光源がない山中。首の下にあるのでずっとよく見えていなかったが、鬼が首から下げているのはただの首飾りではなく、人間の頭部を切って繋げて作った数珠だった。
見てしまった。気付いてしまった。
襲って来る吐き気。悪寒。
先まで冴えていた足運びが揺らぐ。先まで鋭かった剣が揺らぐ。
その一瞬を見逃さなかった鬼の戦斧が、輝夜目掛けて振り下ろされる。
山肌が割れ、削れた地面が木々を巻き添えにして滑り落ちていく。
奪われた片目を覆いながらも勝利を確信した鬼は笑い、笑い、笑い、笑い続けた喉に焼けるような痛みを感じた時、自分の口から剣が突き出ている事に気付いた。
因幡流剣術、守式之壱――“
相手の攻撃を敢えて紙一重で回避する事で、敵の反撃、迎撃を遅らせる技。
相手が強い興奮状態にあると、斬ったと錯覚させる事さえある。
この技を使って鬼に誤認させた輝夜の刀が、後頭部から喉を貫き、大きく開いた鬼の口から突き出ていた。
気付いたのは一瞬。終わったのは一生。膝から崩れ落ちた鬼の体が、自ら削った山肌をなぞって落ちていく。
刀を収めた輝夜は少し距離を開けると、木陰に肩を預けてもたれかかり、耐え切れずに嘔吐した。
相手の攻撃は一度も受けていない。
だが悪趣味な装飾品の見せる無惨な死に顔が、頭にこびりついて離れない。
先に父から聞いた、弐つ隣の山の者達だろうか。いや、もう誰でもいい。どうか安らかに休んでくれ。おまえ達を殺した鬼は、もういないから――
輝夜は嘔吐を繰り返す。
仏教に入信していれば経でも唱えてやりたかったが、悪趣味な首飾りのせいで嘔吐が止まらず、仮に経典を暗記していたとしても、今の彼には出来なかった。
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