実は俺には秘密がある――


 本は見つからないけど、奥さん忙しそうだし、主任戻ってこないし。


 夜のライブまでは時間あるから、一旦、帰るか。


 みのりに帰ると告げようと、トイレから出た島村は二階を振り仰ぎ言おうとした。


「奥さ……」


 ところが目の前には凶器を手に、悪鬼の表情をした信太郎がいた。


「なにが奥さんだ……


 気安く呼ぶな」

と低い声で言いながら、


 みしり、


   みしり……


と床を鳴らして、信太郎が近づいてくる。


 なにこれ、ひいいいっ。


 どんなホラーッ!?


「島村さんっ」

とみのりが二階から駆け下りてきて、信太郎の横をすり抜け、自分のところに来る。


 後ろには扉があるが、開けるために振り向いたらられそうだ。


 追い詰められた二人は恐怖のあまり、身を寄せ合い、手を握り合う。


 まるで追い詰められた間男と浮気妻だが、なんの関係もないうえに。


 吊り橋効果で、愛が芽生える気配もない。


 本当にピンチなときには、そんな余裕ないからだ。


「なんなんですかっ。

 数少ないデートでテーマパークに出かけたとき。


 あなたが莫迦莫迦ばかばかしいから入りたくないとと行ったお化け屋敷より怖いんですけどっ」

とみのりが叫び、


「……デートか。

 そんなこともあったな……」

と少し寂しげに信太郎が呟いていた。


 そのとき、信太郎が手にしていた凶器が鳴る。


「はい」

と寂しげなまま信太郎がそれに出た。


「部長、お疲れ様です。

 ……は?

 その書類なら青いファイルに挟んだ茶封筒に。


 中身が違う?」


 ん? 茶封筒?

と思った島村はリビングにとって返すと、急いで此処に持参していた茶封筒の中身を確認し、信太郎に渡した。


 信太郎は茶封筒から書類を出し、見たあとで、


「すみません。

 此処にあります。


 おい、なんで此処にあるんだ」

と島村を見て、訊いてきた。


「す、すみません。

 イベントの持ち出し可能な資料と間違って持ってきちゃったみたいで。


 ライブチケット取りに来るついでに、イベント内容の確認をしてもらおうかと思って持ってきたんです。


 今すぐ会社に持っていきますっ」

と島村は言って逃げようとしたが、首根っこを信太郎は捕まえられる。


「部長、すぐに島村が持っていくそうです」


 はい、失礼します、と言って信太郎は電話を切り、こちらを見た。




「なんでライブチケットの話が先だっ。

 資料間違えたら、すぐに持っていけっ」


「すっ、すみません。

 まだ中開けてなかったんで気づいてなかったんですよ~っ」


 信太郎に叱られている島村を見ながら、みのりは、よかった……と思っていた。


 とりあえず、島村さん、殺されそうにはない、と思ったからだ。


 すみません、すみませんっ、と謝る島村にいきなり信太郎が近づき、ひっ、と島村は身を縮めたが。


 信太郎は扉を開けて奥に行き、チケットらしきものを手に戻ってきた。


「これだろ、ほら」

「あ、ありがとうございますっ」


「すまない。

 後ろの方のページに挟まってたから気づかなかった」


 いえいえそんな、滅相めっそうもない、と島村は、ぺこぺこ詫びていた。


「日曜の家族団欒かぞくだんらんのひとときにお邪魔いたしまして」


「……お前、みのりとはなにも関係ないんだろうな」


「な、ないもなにも、僕、結婚式にも出てないんで。

 奥さん、今、お会いしたばかりで。


 ……びっくりするくらいお似合いですよね」

と島村は、おべんちゃらのようなことを言い出したが、その目はなにやら本気だった。


 どういう方向にお似合いなのか気になる……と思いながら、引きつった笑顔のまま帰っていく島村を見送った。





 島村を見送ったあと、扉を閉めると、ひんやりとした玄関に二人きりになった。


 このひんやりが違うひんやりな気がして怖いんですけど……。


 そう思いはしたが、さっきまでの信太郎の言動を思い出したみのりは、つい、微笑んでいた。


「な、なんなんだ……」

と信太郎が照れたような顔で言ってくる。


いてくださってありがとうございます」


 いや、ちょっと軽く殺されるかと思いましたけど……と思いながらも、みのりはそう礼を言った。


「別にっ。

 お前のような妻でも、部下と浮気とかされたら、俺が不甲斐ふがいないみたいに、みんなに思われるからなっ」


 目を合わさないまま、そんな憎まれ口を叩いてくるが、なんとなく可愛いと思ってしまう。


 俯きそこに立っていた信太郎だが。


 やがて、こちらを見ないまま言ってきた。


「みのり」


 はい。


「実は俺には秘密がある――」


 えっ?

 な、なんでしょうっ、とみのりは身構える。


「実は……」


 実は?

とみのりは身を乗り出す。


 信太郎はしばらく言葉を選んでいるようだったが、しばらくして、口を開いた。


「見合いの日。

 窓の外に立っていたお前が俺に向かい、手を振ってきた、あのときに――。


 お前と待ち合わせて、お前に笑いかけられる男は、この先も俺だけであって欲しいと願ってしまったんだ」


 信太郎が言うとも思えないセリフにみのりはなんだか胸が熱くなる。


「わっ、私もですっ」

とみのりは告白した。


「あなたが謎めいた女が好きだと言ったから、謎めいた女になりたいと思ってっ。

 訳あって、偽装結婚したいフリをしてましたっ」


 いや、何処も謎めいてなかったが……、

という顔を信太郎はしたが。


 すぐに笑って、みのりを抱き上げた。


 うわっ、結婚式でも笑わなかったのに、笑ってますよっ、と間近にある信太郎の顔を見て、みのりは赤くなる。


「みのり」

「はっ、はいっ」


「あのときのセリフは撤回しよう。

 俺は訳あって、お前と結婚したい」


 ……いや、なにも変わってないですよ、と思うみのりに信太郎は言った。


「俺はお前と結婚したい。

 お前を誰にも渡したくないという訳があるからだ――」


 泣きそうになりながら、みのりも言った。


「私も訳あって、あなたと結婚したいですっ。

 なんか怖いし、得体が知れないし、怒るとお化け屋敷より怖いけどっ」


「怖いが二回入ってるが……」


「でも、実はあなたと一生一緒にいたいからっ。

 だから、このまま、あなたと結婚していたいですっ」


 そう言って、みのりは信太郎の腕に抱かれたまま、彼の胸にしがみつく。


 温かな信太郎の匂いを嗅ぎながら、みのりは言った。


「実はってつくと、なんでも秘密っぽくなりますよね~……。


 実は今日は煮物です」


「そうだな。

 実は俺は、明日、会社に行くぞ」


 はあ、まあ、月曜ですからね、と思うみのりを抱いて、信太郎は階段を上がる。


「実は、俺はお前が好きだ」


 まだ秘密なんですか、そこ……と苦笑しながら、みのりも言った。


「実は、私もあなたが好きです」


 信太郎は前を見たまま、ちょっと微笑み、訊いてきた。


「……他になにか秘密はないのか?」


「あっ、ありますよ、そういえばっ。

 大学生のとき、仮面浪人してました。


 親にも言ってなかったんですけど」


「ほう。

 で、受験し変えたのか?」


 釣書つりがきには、そんなこと書いてなかったが、と信太郎は呟く。


「いいえ。

 大学生活が楽しかったので、そのまま卒業してしまいまして。

 仮面浪人だったことは誰も知らないままです」


「……それは仮面浪人じゃないな。

 っていうか、お前の偽装は昔から上手くいかなかったんだな」


 偽装大学生のはずが、楽しく大学生をやり、卒業してしまったというみのりに、信太郎が訊いてくる。


「で、偽装結婚の方はどうだ?」


「……た、楽しいです」

とみのりはちょっと照れたように答えた。


「そうか。

 じゃあ、このまま結婚してろ」

と言ったあとで、信太郎は、


「島村、すぐに帰ってくれてよかったな」

と笑う。


「え? なんでですか?」


 そういえば、お茶出す暇もなかったなと思ったとき、信太郎が言ってきた。


「これから偽装夫婦じゃなくなるからだよ」


 謎めいた仮面を外した夫は、寝室のドアを開け、


 いまいち謎めけなかった妻に、そっとやさしくキスをした――。





                           完



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仮面の夫婦 櫻井彰斗(菱沼あゆ・あゆみん) @akito1

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