新参者

増田朋美

新参者

その日は10月というのに暑い日で、まだみんな半袖を着て行動していた。その日も杉ちゃんたちは、水穂さんにご飯を食べさせようと、躍起になっていたところであったが、

「あーあ、だめだこりゃ。相変わらず、たくあん一切れしか食べてないやあ。」

杉ちゃんは大きなため息をついた。

「本当ですね。なんとかしてご飯を食べてもらいたいんだけど、このままではなんにも変わりませんよ。」

ジョチさんも、困った顔をした。

「医者に見せても、ご飯を食べるようになる薬があるわけではないしねえ。まあ、西洋医学には、できないこともあるか。こういうときは、どうにもできないわけか。」

「まあでも、精神関係というものは、西洋医学では、何にもならない分野でもありますしね。そういうときは、鍼とか、灸とかで、体を刺激したほうがいいのかもしれませんね。」

杉ちゃんがいうと、ジョチさんが提案した。

「ほんなら、涼さんに電話してみるか?」

と、杉ちゃんが言ったため、ジョチさんはスマートフォンを出して、電話をかけ始めた。

「もしもし、涼さん。またお願いしたいんですけど、来てもらえませんかね?」

「ああ、水穂さんですか。また食べなくなってしまったのですか?」

涼さんは、予想していたように言った。

「そうなんです。そういうわけですから、鍼や灸で、体を刺激したほうが、いいのではないかと思いましてね。」

ジョチさんがそう言うと、

「そうですか。すぐにでも富士へ行ければいいのですが、実は最近いそがしくて、富士まで行けないんですよ。」

涼さんがそう言うと、ジョチさんはすぐに落胆の表情をした。

「そういうことですから、他の者を代理でいかせます。」

と、涼さんが言う声がした。

「だって水穂さんがご飯を食べないのは、命に関わりますし。」

「ありがとうございます。代理の者を頼むというのは、涼さん、お弟子さんでもとったんですか?」

ジョチさんがそうきくと、

「弟子ではないんですよ。ただ同業者で、知り合いなだけです。ちょっと足が不自由ではありますが、決して悪い男ではありません。安心してくださいね。」

「そうですか。わかりました。じゃあ、お願いしようかな。」

ジョチさんがそう言うと、

「了解です。明日にでもすぐにそっちへいかせますから、待っていてください。名前は、梅木武治さん。よろしくお願いします。」

と、涼さんがそう言っているのが聞こえてきた。ジョチさんは、よろしくお願いしますと言って、電話を切った。

その翌日。製鉄所、と言っても、居場所のない女性たちに部屋を貸し出している、民間の施設だが、その開所時間である、午前10時になった。本日の利用者は、3名である。その日は、休日であったため、利用者は、10時から来所した。平日は学校などが終わってから来所してくる利用者が多いが、休日は、10時から来所してくる利用者もいるのである。利用者たちが、与えられた部屋で勉強をしたり、食堂で勉強を教え合ったりしていると、

「こんにちは。梅木と申します。よろしくお願いします。」

男性にしてはちょっとキーの高い声がした。

「はい、お待ちしておりました。お上がりください。」

と、ジョチさんがいうと、

「はい、お邪魔させていただきます。」

といって、靴を脱いだ音ではなく、車椅子で入ってくる音がした。そういうわけで、この人が、車椅子に乗っているのだということがわかった。ジョチさんが、とりあえず応接室へ入ってもらおうかと言うと、その人は、車椅子を方向転換させて、応接室の中へ入ってきた。

「はじめまして。梅木武治と申します。読みはうめきたけはる。年は、38なので、まだ、若造ですが、よろしくお願いします。」

そう言いながらやってきた人物は、水穂さんに負けないくらい大変端正な容姿をした人物で、車椅子の膝の上に、桐製の道具箱を乗せていた。どっかの俳優さんでもにた人がいそうな出で立ちに、長く尖った耳をしているのが特徴と言えるかもしれない。

「はい。こちらこそよろしくお願いします。梅木武治さん。確かに、鍼の先生はみんな年を取ってる人ばかりですから、38歳は確かに若いですね。」

ジョチさんは、そう言って梅木さんを迎え入れた。

「お前さん、どっから来た?」

杉ちゃんがでかい声でそういった。

「ええ、住んでるところは、富士市の天間です。なので、タクシーでこさせてもらいました。」

にこやかに答える梅木さんであるが、

「はあ、それで、足が悪いのはどういう意味なんですかね。くも膜下でもしたか?それとも、どこかで墜落でもして、歩けなくなったとか?」

と、杉ちゃんが言った。

「いいえ、くも膜下出血ではございませんし、墜落はしておりません。生まれつきなんです。」

梅木さんはにこやかに答えた。

「はあ、生まれつきなのに、そんなきれいなやつがいるなんて、なんか不公平だねえ。その尖った耳といい、なんか、人から外れたような、感じの姿だと思う。それって、あれだよね。ほら、青柳教授と同じもの。えーと、なんとか症候群。今頃青柳先生、くしゃみしているよ。」

「マルファン症候群。」

杉ちゃんがそう言うと、ジョチさんがそういった。すると梅木さんは、

「ええ、まさしくそれです。しかし、マルファン症候群というより、ロイス・ディーツ症候群という方が正確だと思います。」

とにこやかに言った。

「ああ、そういえば、なんだか症状別に、細かく分かれたようですね。今までマルファン症候群と言われていた人が、ロイス・ディーツ症候群と書き直さなければ行けなくて、面倒だったと聞きました。」

「ええ、良くご存知でいらっしゃいますね。変更されたときは、障害者手帳とか、そういう書類を全部書き直さなければならなくて、本当に面倒でした。病名が変わるのは、いいことなのかもしれないけど、当事者にしてみたら、いい迷惑なだけですね。」

ジョチさんがそういうと梅木さんは言った。

「明るいやっちゃな。まるで、病気であることを、嫌がるような素振りも見せないな。まるで、人生悪いことばかりではなくて、いいこともあるっていいたげな感じの顔じゃないか。なんかそういうやつは、怪しいな。」

杉ちゃんは、ちょっと疑わしそうに言った。

「いえ、怪しいものではございません。確かに歩けないに、鍼の仕事をしているのは変だと言われたこともありましたが、法に触れるようなことは全くしていませんから。それで、僕が、施術しなければならない、水穂さんという方は、どちらにいらっしゃいますか?」

梅木さんがそう言うと、

「ああ、一番奥の四畳半に行ってください。お願いします。」

と、ジョチさんは言った。梅木さんはわかりましたといって、車椅子を動かして、応接室を出ていった。杉ちゃんとジョチさんは、大きなため息をついた。

「思ったより、ずいぶん美しい方ですね。」

と、ジョチさんがいうと、

「あらあ絶対、どこか一物あるぞ。だから、まともなあだ名をつけるわけにはいかない。なんかちょっと、ネジ曲がった人物をあてがわなければならない。それなら、あいつの事をレッシーと呼ぼう。」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。

「ああ、あのちょっと気位の高い、カンガルーのキャラクターですか。」

ジョチさんがいうと、

「そうそう、ああいう、自分の事をすごいと思いこんでいてるキャラクターがお似合いだ。まあ、ああいう幼児番組のキャラクターは、善悪がはっきりしているからいいよねえ。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「とりあえず、施術現場を覗いてしまおうか。」

そう言って、杉ちゃんも段差のない応接室を出ていった。こういうときに、製鉄所はバリアーフリーになっているのが、いいことでもあるし、悪いことでもあるのだ。杉ちゃんが、四畳半のふすまをあけると、

「どうですか。ずいぶん、肩が凝っているようですが、なにか緊張して生活しているようですね。なにか理由があるんでしょうか?あの、話したくないのであれば、大丈夫ですからね。」

という声が聞こえてくる。ということは、水穂さんの肩もみをしているのに間違いなかった。杉ちゃんが覗いてみると、水穂さんが、スツールに座って、梅木武治さん肩を叩いてもらっているのが見えた。

「やっぱり、上手ですね。若い方なのに、やっぱり専門的に学ばれている方は違いますね。」

水穂さんがそう言うと、

「ええ、まあ一応、鍼灸学校には行きましたからね。」

と、梅木さんは言っている。

「そうなんですか。鍼灸学校で学ばれたんですか。ということは、高卒で、鍼灸学校にいかれたのかな?基本的に鍼とか灸とかやる方は、盲学校を出て、その後鍼灸学校へ行くという筋書きが多いと思うんですが?」

水穂さんがそう言うと、

「ええ、目が悪いのではありませんが、大学へ行っても、こんな人間には、就職先も見つからず、仕方なく、もう何年か学ぶしかなかったのです。」

と、梅木さんは答えた。

「大学へいかれたんですか。足がお悪いのは、生まれつきだとおっしゃっておられましたが、それを押して、大学へ行ったんですね。」

と、水穂さんが言うと、

「ええ、まあそうですね。というか、足が悪いと、高校卒で就職することもできず、それなら大学へ行ったほうが良いと言われまして、それで行きました。それに今の時代、大学は、どこの大学でも入らしてくれれば、入れる時代ですから。」

梅木さんはにこやかに答えた。なんだか、多分謙虚なつもりで言ったのであろうが、梅木さんの発言は水穂さんにはちょっとつらそうだった。

「そうですか。大学は、入らせてくれれば入らせてくれる。僕たちのころは、体を壊してまで、大学に入るというのが当たり前だったのに。」

水穂さんは、肩もみをされながら、そういったのであった。

「ちなみにどこ大に行った?そんなこと、平気で言えるんだから、大した大学ではないと思う?」

と、杉ちゃんがでかい声でそう言うと、

「いえ、東京大学です。なぜかよくわからないですけど、入ってしまいました。というか、レベルの高い大学でないと、足が悪い人間は入らせてくれませんから。」

と、梅木さんは答えた。

「はあ!レッシー東大?はああ、すごいなあ。なんか、あんまりにも優秀すぎて、気軽に話しかけることもできなくなっちまうな。」

と、杉ちゃんが言うと、

「レッシーとは誰のことですか?」

水穂さんが言った。

「おう、こいつのことだ。何か企みがありそうなんだもん。そんな顔だし、足も悪いし、どう見てもこれは訳ありだなと思って。そうでなければ、東大卒で、鍼や灸の仕事なんて、ありえないもん。だから、インチキ商売してるキャラクターとおんなじだと思ったんだよ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「でも、そういうあだ名を付けてしまうのは、可哀想ではありませんか?」

と、水穂さんが言った。

「ああ、もちろん、悪気があるわけじゃないよ。ただ、親しみを込めてあだ名を付けたいだけなの。気軽に、誰かに呼んでほしいから、そういうあだ名をつけるんだよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「レッシーで結構です。」

と、梅木さんは言った。

「どんなあだ名でも、親しみを込めて言ってくれるんだったら、それは受け入れなくちゃなりません。昔は、エルフとか、そう言われたこともありました。変なあだ名を付けられるということは、良くありましたから、気にしないでください。」

「良いんですか、梅木さん。からかい半分で、あだ名を付けるというのもちょっと、困るでしょう。」

水穂さんが、梅木さんを心配してそう言うと、

「いえ、そのようなことは、ありません。レッシーで結構です。本当にいろんな人から、いろんな事を言われて、通じなかったこともいっぱいありましたから、多少変なあだ名をつけられる程度なら、問題はありません。」

と、梅木さんは言った。

「じゃあ、とりあえず、本日の施術はここまでにしましょうか。とりあえず今日は、肩もみで、おしまいにしておきますが、次回は、ちょっと、針を打ってもいいかもしれないですね。」

「ええ、ありがとうございます。やっぱり流石ですね。なんでもその道を極めている人は、違いますね。」

水穂さんは、着物の襟を綺麗に直しながら言った。

「いいえ、そんな大したことありません。まだまだ、この道に入って、本格的に、施術をするようになったのはまだ数年ですし、それではこの世界まだまだ新参者でしょう。本当にすごい人は、10年とか、20年とか平気でやってますものね。」

梅木さんは、道具箱をしまいながら言った。

「梅木さん、外まで送りましょうか。タクシーを呼ぶのなら、お手伝いいたしますよ。」

ジョチさんがそう言うと、

「ええ、大丈夫です。一人で帰れます。」

と梅木さんは言った。

「でも、梅木さんも体が不自由なところがあるようですし、それなら、タクシーに乗って行ったほうが良いと思います。今呼んでみますから、お待ち下さい。」

ジョチさんは、にこやかに言って、タクシー会社に電話した。障害者用のタクシーを一台よこしてほしいと電話すると、すぐ来てくれると言うことだった。ジョチさんは、梅木さんを、製鉄所の建物から外へ出させて、タクシーが来るのを待った。なぜか杉ちゃんも同行してしまった。

「本当に今日はありがとうございました。わざわざ来てくださって。」

とジョチさんが頭を下げると、

「いいえ大丈夫です。それよりも、水穂さん、心配なことがあるんですけど。」

「何だ、レッシーがなにか心配することでもあるんかな?東大出たやつは、心配事があるのかな?」

杉ちゃんがからかい半分でそう言うと、

「ええ。水穂さん、今日肩をもんでわかったんですけど、かなりひどいですよね。昔の人だったら、あそこまで重症化することあったのかなと思いますが、今の時代でしたら、あり得ないほど、ひどいんですね。肩をもんだとき、水穂さんが、喉を鳴らしているのでそれでわかりました。それなのに、皆さん放置して来たんですか?」

と、梅木さんことレッシーさんは言った。

「まあねえ。それはねえ、東大生だったら、一度や二度は教わったことがあるんじゃないかな。同和問題というやつで、水穂さんが、銘仙の着物しか着られないから。」

そうあっさり答えてしまう杉ちゃんに、ジョチさんは、それはやめろと言った。

「でもねえ。これは事実なのでね。ちなみに、水穂さんの生まれたところは、伝法の坂本というところだったのでねえ。そこから、音楽学校へ言ったときは、出生するより壮大に見送ってもらうことができたそうだよ。それだから、治療も何もできないんさね。」

「杉ちゃん、人のことをそうやって、簡単に喋ってしまうものではないですよ。それを言ったら、水穂さんも可哀想でしょ。それに、話をしたって、どうにもならないこともあるって、杉ちゃんが散々言っているじゃありませんか。」

ジョチさんはちょっと語勢を強くしていったが、

「いいえ、僕わかりますよ。そういうの。」

と、梅木さんは言った。

「以前、法学部にいた知人から話を聞いたことがあります。そういうところの出身だからということで、就職ができなかったという人の話を聞きました。だけど、彼女も、やはり貧しい生活だったので、それを変えることはどうしてもできなくて、結局自殺で亡くなったと聞きました。知人の話では、そうするしかなかったんだと言っていましたが、本当はそれではいけなかったんだと僕も思いました。」

「はあ、そうなのね。普通の人というか、まあ普通に暮らしている人がそういう事言うんだったら、わかるけどさあ、東大生がそういう事いうってのは、ちょっと信憑性がどうのというか、、、。」

杉ちゃんがそう言うと、

「まあ確かに、杉ちゃんの言うことも一理ありますが、でも、人の話を否定するのはまずいですよ。」

とジョチさんも言った。

「いえ、良いんです。どうせ、僕みたいに、足が悪くて、こういう生活している人は、何を発言しても、信用してもらえないってこともわかりますから。本当に、杉ちゃんって言って良いのかな。その方の言うとおりですよ。きっと、どんなに高貴な身分の人がてを出しても、当事者の方にしかわからないことってあると思いますよ。だから、水穂さんたちも、重症になってしまうのでしょう。それは人権的なことであればいけないことかもしないんですけど、でも、現実問題、そうなるしか、ないのですよ。」

「お前さんはすごいねえ。やっぱりさすがに東大生だねえ。そういうふうに考えることができちゃうんだから。歩けたら、裁判官にでもなって、いろんな人助けることもできるだろうね。なんか鍼とか灸とか、そういうものでは、もったいない気がする。」

杉ちゃんが感心してそう言うと、

「ある意味貴重な人材かもしれません。これからも頑張って、鍼治療を続けてください。」

ジョチさんはちょっとため息をついて言った。

「ええ、ありがとうございます。そうはいっても僕も、きっと杉ちゃんという方が言われる通り、インチキ商売にしか見えないと思いますよ。だから僕も先程もいいましたが、レッシーで結構です。今日は、楽しいあだ名を付けていただいてありがとうございました。」

と、梅木さんは、今一度頭を下げるのであった。それと同時に、ワゴン車が走ってくる音が聞こえてきた。タクシーが到着したのだ。三人の前に、大型のワゴン車が止まった。道路が工事していて遅くなってしまったと、運転手は汗を拭きながら、申し訳無さそうに言った。

「では御免遊ばせ。」

と、梅木さんは、そう言って、運転手に手伝ってもらいながら、タクシーに乗り込んだ。ジョチさんと杉ちゃんは、それを黙って眺めていた。そして、梅木さんがタクシーに乗り、運転手が座席に座ると、

「また来てくれよな!」

と杉ちゃんが大きく手を振った。梅木さんも、頭を下げて、杉ちゃんに向かって手を振ったのであった。その有り様を眺めながら、ジョチさんはまた新しい展開が始まりそうだなと思った。

まだ日がギラギラしていたが、季節は確実に秋になっているなと思われるような日であった。確実に何かが変わり始めている日でもあった。





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新参者 増田朋美 @masubuchi4996

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