第6話 リーガ・ルー

 俺は眠りにつくリーガ・ルーの寝顔をじっと眺めていた。肩口の咬み傷には、今できる限りの消毒と応急処置を施している。


 彼女の小麦色の髪はどこか無造作で、全体的に軽く跳ねるように動いている。特に首元あたりの髪がふわりと広がり、まるで狐の毛並みのように見えた。軽やかだが、確かな存在感を持ち、風に揺れるたびに前髪が美しくたなびく。彼女の小さな顔と対照的に大きな耳が寝息のたびにサワサワと揺れた。半獣人……人間と獣人の血筋を持つ半獣人は種類にもよるが、獣人の特徴を一部分だけ受け継いでいる。彼女は大きな狐耳がそれなのだろう。


 彼女がまとった薄汚れた駆け出しの冒険者然としたクロークが、その華奢な体躯を一層際立たせていた。腰には細身のナイフを下げているが、あまり使われていないのか鞘の劣化は見られない。歳は十七歳かそこらだろうか。自分とあまり年齢は変わらないとはいえ、こんな少女まで戦いに出なければならないのかと、ため息が漏れる。


「レギ、この子どうするんだ?」

 アルーがふわふわと漂いながら尋ねる。

「そうだな。目が覚めたら、俺たちと同行するか、それとも1人で帰るかを選ばせるつもりだ」

「そっか。この子、無事に帰れるのかな? 守ってあげなくていいのかな?」

「アルー、どんな人間だろうと、この迷宮に入る者は”探索者”だ。探索者は誰も、自分の命を守ってもらおうなんて思っていない。それぐらいの覚悟を持っているはずだ」

「でも……」アルーは不服そうな顔をした。

「当然、誰かを庇った結果、簡単に全滅することだってあり得る。さっきの戦闘でよくわかっただろ?」

「うん、あんなにモンスターが恐ろしいものだとは思わなかったぞ……」


 お前はモンスターじゃないのかと言いたくなる気持ちを押さえつつ、俺はリーガ・ルーの寝顔をもう一度見つめながら呟く。


「本来は助けることも、助けないことも、同じぐらい慎重に判断しなきゃならないんだ」


 アバナシーの話によれば、イェナが首折り猿シンマーダに襲われたとき、真っ先に逃げ出したのがこのリーガ・ルーだったらしい。だが、彼女がまだ迷宮に留まっていたという事実が、それが本当ではなかったことを物語っていた。彼女はなんのためにこの迷宮に残ったのだろうか。そんなことを考えながら彼女を見つめていると、耳がぴくりと動き、目を開いた。


「ここは……?」

 彼女は目をこすりながら俺に視線を向ける。俺が答える前に、彼女の目が丸く見開かれた。

「あ……あれ、ドラゴン……?」 

 しまった。アルーの存在を忘れていた。慌ててアルーの頭を掴み、近くにあった食料用の麻袋に突っ込む。袋の中でごそごそと動く音がするが聞こえない体で何事もなかったように優しく声をかけた。


「傷は痛むか?」

「あ……うん。いや、いたい……」

 リーガ・ルーは戸惑いながらも自分の肩口の咬み傷があったところを眺めた。さっきまで嗅狼オルファウルフに囲まれ窮地に立っていたのだから混乱していてもおかしくはない。さっき見たドラゴンも、動転していたせいで見えた幻だと勝手に思ってくれるといいが。


「できる限りの処置はした。じきによくなる」

「その……どうして?」

 彼女は疑問が頭を埋め尽くすかのように解せない表情をしている。「どうして助けたのか?」と言いたいのだろう。チームのメンバーでもない探索者を助ける行為など、自身も探索者であるが故に理解できないのだろう。その質問の答えはとりあえず保留にしつつ、こちらも質問をする。


「君はアバナシーのチームにいた斥候のリーガ・ルーだね?」

「うん。あなたは?」

「俺は納棺師フネラリウスのレギ。イェナを回収しに来た」

「イェナ……」

 その名を聞いた瞬間、彼女の顔が苦しげに歪んだ。どうやら彼女にとって、イェナはただの仲間以上の存在だったようだ。友の死を悼むようなその表情がそれを物語っている。

 

「リーガ、イェナは友人だったんだね」

「私の名前はルー。私の国では、ルーが名前で、リーガが家族名。だからルーでいい」

 ルーは辿々しい言葉ながらもはっきりと言った。獣人の住む極北の地域では他言語を使うらしいので、こちらの言語はあまり得意ではないのだろう。ルーとアルーが似通っててややこしいが致し方ない。


「イェナは、私を初めて受け入れてくれた友だちだった」

 彼女は淡々と言いながらもやはり悲壮感を滲ませていた。

「アバナシーたちはどう接したらいいかわかんなかったけど、イェナだけは優しくしてくれたから」

「そうか。アバナシーは早々にこの迷宮から退散したようだけど、君は彼女のために残っていたんだね?」

「どうしても、イェナを取り返したくて……」

首おり猿シンマーダから?」

「うん……でも手強くて。一度、立て直そうと上層に登ったら、ウルフたちに見つかって追いかけられちゃったの」


 彼女はそこで初めて、ウルフから助けてもらった礼を言っていないことに気がついたのか「あの……ありがとう……」と気まずそうに言った。その少し間が抜けた感謝に「気にしなくていい」と言うと、彼女は何か言いたげにじっと俺の顔を見つめていた。


 しばらくしてルーは自信を喪失したように俯いた。それもそうだろう。嗅狼オルファウルフに襲われて窮地に立っていたばかりだ。自分の命の危機を改めて感じ、尻込みする気持ちはよくわかる。ただ、だからと言ってこのまま帰る道を選びそうにもない。


「レギは、イェナを救い出してくれる?」

 ルーは意を決したように言い、俺を見上げる。

「ああ。それが俺の仕事だ」

 俺はにこりと笑ってみせる。「自分の仕事は自分で肯定しろ」というのが、ローゼンの教えだった。その言葉をふと思い出す。納棺師フネラリウスの仕事は忌み嫌われることも多いが、俺は誇りを持っている。


「レギはなぜこの仕事をしているの? 危険じゃないの」

「もちろん、他の探索者と違って仲間もいないし、リスクも高い。身入りも決して多くはない。それでも必要な仕事だと思っている」

「必要……?」

「またイェナに会えたら、きっと君もわかると思うよ」

 俺の言葉を聞いてルーは静かに頷いた。

「レギ、私もついていっていい? 斥候としてはそれなりに優秀だとは思う」

「いいけど、自分の身は自分で守るんだぞ」

「わかってる」

 ルーの瞳には偽りのない決意がみなぎっていた。


「ところでレギ、あれはなんなの?」

 ルーは俺の傍で浮遊する子供ドラゴンを指差した。すっかりこいつのことを忘れていた。いつのまにか麻袋から抜け出していたようだ。俺たちの話を聞いていたようで、ニヤニヤとしながら話し始めた。

「オイラはアルー! 流浪の旅人さ!」 

 アルーはとびっきりの笑顔でくるりと一回転して、中折れハットを脱ぎ一礼した。

「そんな肩書き初めて聞いたぞ。なんで大人しくしてられないんだお前は」

「なんで喋れるの……?」

 ルーは驚きのあまり、目をぱちぱちとさせている。

「オイラ、20年ぐらい言葉は喋ってるからな。むしろ先輩だよ! ぺらぺらだよ〜!」

 俺は頭を抱える。ローチェとアルーのことについては口外しないと約束を交わしたが、本人がこうもホイホイと顔を出すようでは困ったものだ。というかこいつは何歳なんだ? 少なくとも俺よりも歳上だとでも言うのだろうか。信じられない。


「ルー。こいつを見たことはどうか内緒にしてくれないか。とりあえず危ないやつじゃない」

 どうにか取り乱さないでくれと願う俺をよそに、ルーは先ほどの驚きさえなかったかのように平然と言った。

「そっか。私はルー。よろしくね先輩」

「よろしくだぞ〜」

 いつのまにかルーとアルーは握手をしていた。ルーの受け入れの速さには驚きが隠せない。半獣人の特性なのだろうか。しかもなんだかこいつらは妙に距離を詰めるのが早いな。それとも自分が突出して社交的でないのかもしれないと少し不安になる。アルーは先輩と呼ばれご満悦なのか、鼻の穴を膨らませながら腕を組んでいる。


「それじゃあルーも一緒に行くんだな」

 嬉々として言うアルーは言いながらルーの周りをふよふよと飛んでいる。ルーはすでに見慣れたのか、人差し指でアルーの顎をこちょこちょと撫でている。よくそんな得体の知れないものを触れるなぁ。


「今は時間が惜しい。イェナが形骸化モルグヴィアするまで4時間ほどあるが、早いに越したことはない。首おり猿シンマーダの様子も確認したい。先を急ごう。いいな?」

 俺はそう言うと、アルーとルーは頷いた。

 こうして二人と一匹は迷宮の奥に進んでいく。

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霧限迷宮の納棺師《フネラリウス》 佐倉遼 @ryokzk_0821

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