式神

生地遊人

左甚五郎の式神

 左甚五郎はあるとき、大きな社の建造を任されたが、人手が足りず途方に暮れていた。そこに飛騨の山伏が通りかかり、事情を知ると、藁を集めて人をかたどり、真言を唱えて立ち上がるよう命じた。すると人形に生気が宿りみるみる人の姿となって立ち上がった。甚五郎はすぐに大小様々な藁人形を用意した。山伏は去り際に、人形が言うことを聞くのは日が昇っている間だけであり、日が暮れたら必ずもとの藁人形に戻さなければならない、と忠告して、人形を動かす真言と、藁に戻す真言を甚五郎に教えた。甚五郎は言われた通りに昼の間は人形たちを働かせ、夜は真言を唱えて藁の束に戻した。社が完成に近づいたある晩、甚五郎はいつものように真言を唱えて山伏の術を解こうとした。そのとき、たいそう美しい娘が目に留まった。甚五郎は真言を唱えてから、娘の藁人形を寝所へと運び、真言を唱えて娘に変え、床を共にした。

 夜が明ける頃、娘は寝床を抜け出し、藁人形たちが横たわっているところまで行くと、人形を動かすための真言を唱えた。娘がいないことに気づいた甚五郎が駆けつけた時にはすでに、彼らは逃げ出していた。甚五郎は人形たちを追いかけて川岸までやってきた。人形たちはざぶざぶと川の中に入り、幾人かは川を渡り切っていた。甚五郎が彼らを藁に戻すための真言を唱えると、水に浸かっていないものだけが藁に戻り、そのとき川の中にいたものには水神の加護が働き、真言は意味をなさなかった。「人のなりそこないめ」と甚五郎は川に浸かった人形たちを呪った。人形たちが「なぜ俺たちが人ではないと言うのか」と尋ねると、甚五郎は「魂を持たぬからだ」と答えた。人形たちは「それはどこにあるのか」と尋ね、甚五郎は「人は腹の中に小さな玉を持つ。それを魂というのだ」と答えた。

 カッパが生きた人間の尻をまさぐるのはこういうわけである。


(藁の人足の中に娘がいるという部分が不自然である。それもそのはず。原話において甚五郎が褥に連れ込むのは若く美しい青年なのだ。封建時代の日本では男色が珍しくなかったと言われている)

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式神 生地遊人 @yuphoria

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