第1話 ラストチャンスは一度だけ

ただ、寂しかった。

城主の居ない城。まだ名前の無い城。

その中に独りぼっちの自分。


遊び相手の動植物はいたけれど、

話し相手になってくれる存在は、ついぞ現れなかった。


昼は暖かく、夜は暗い。

下界か、それとも上界か?

隔絶された空間で何百年、もしかしたら何千年と待ち続けたかもしれない。


……何を?

それは、勿論。


運命だよ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「13番の方、お会計の準備が出来ました」


頭上のモニターに13の文字が灯るのと同時に、

無機質な呼びかけが受付から聞こえる。


「……はい」


凝りをほぐすように左右に一度首を振ると、少年は重そうな腰を上げた。

ギリギリショートと言えなくもない黒髪は、

前髪が左サイドだけ長く、歩くたびに印象的になびいている。


「黒澤さん、今日も同じお薬です。何か不安な事はありますか?」


「いえ、大丈夫です。お世話さまでした」


慣れた風に会計を済ませると、軽く会釈をかわして白い紙袋を受け取る。

紙袋には黒澤 哀(くろさわ あい)と書かれていた。それが彼の名だ。


哀は紙袋を乱雑にリュックに押し込むと、病院を出る。

自動扉が閉まるのと同時にため息。

これが彼の月一度のルーティーンだ。



時刻は十三時を過ぎた頃。土曜日だった為か、病院はとにかく混んでいて朝早くから待ってもこの時間だ。

すっかり昼時は過ぎたものの、ランチタイムにはある意味ちょうど良い時間帯。


しかし、哀は建ち並ぶ飲食店ののぼりには目もくれずに歩く。

途中に彼と同世代と思われる華やかな髪色の学生集団とすれ違ったが、ちらりと双眸を動かした程度で、ビル群を抜けるまでただ前を見つめていた。


緑が増え始めた郊外まで来たところで、不意に哀は足を止めて振り返る。


「キミ、いつまで付いてくるの?」


彼の視線は足元、俺へと向けられた。


「うにゃぁ〜?」


当たり障りなく答えると、哀は今日はじめて表情を崩して微笑む。少し困った風に。


「別にいいけど、楽しい事なんて何も無いんだよ?」


近づいてくるでもなく、踵を返してまた歩きはじめる。


俺は猫で、哀の家はペット厳禁。

故にこの距離感も仕方が無いと言える。



…この応酬も、もう何度目になるだろうか?

俺は哀に、言ってしまえば付き纏っている。

目的はまだ無い。

いや、このまま無ければいい。 が正解か……。


程なくして、彼の目的地に到着した。

ここはお寺。

人間が来る大半の目的は、墓参りだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



哀は準備していた布切れで綺麗に墓石を拭くと、二枚並んだペット用のお皿の左に固形のペットフードを少しだけ、右に柄杓で水を注ぐ。

手を合わせて軽く沈黙。


その墓は何というか、とても手作り感に溢れていて、少し大きな石を墓石代わりに使ったお粗末な物だ。だが、それ以上に綺麗に整備されていて、春先だというのに供えられた野花を除いて雑草は見当たらない。


この下に眠っている誰かへの想いが余程強いのだろう。

哀の黙祷は俺が日向ぼっこでウトウトとするまで続いた。

物音にやっと終わったかと顔を上げると、すでに水桶やらを持ってその場を後にするところだった。


…騒々しい奴だ。




「黒澤くん……ぁあ、そうか。もうひと月過ぎたのか」


「もう…人をカレンダー代わりにしないで下さいよ。住職さん」


住職と呼ばれた袈裟すがたの中年男性は、誤魔化し笑いを浮かべながら近寄ってくる。


「いやー、神社でもあるまいし、定期的に来るのは君くらいのものだからね。すまんすまん」


人好きしそうな笑みを浮かべて住職さんは丸められた頭をポリポリ。

そしてその視線が俺に向く。


「今日も迎えに行っていたのか、ご苦労さん」


俺に向けられた言葉に、

にゃーと人鳴きして応える。

哀はやっぱり少し困った感じだ。


「……別に餌をあげてる訳でも無いのに、なんで付いてくるんだろ?」


犬じゃあるまいし。

彼は心底不思議そうに俺をみる。


「いやー、悪いね。朝は寺内に居るんだが、気が付くとすぐ君のところだ。もうコイツがやってきて三ヶ月近くか…そろそろ黒澤くんも年貢の納め時かい?」


言ってから、しまったと住職さんはどもりはじめる。

哀は肯定も否定もしない。ただ沈黙している。


あまりに淀んだ空気感に、なんとか猫らしく甘え鳴きなどして場を和ませよう試みるも、より居心地の悪さに拍車が掛かっただけだった。


「すまんな。あまりにもコイツが懐いているものだから、つい……」


「いいんです、この子の面倒をお願いしたのは僕ですから」


地面の方を見つめて哀が答える。

ほとんど動かない表情の中に、密かな揺らぎが見える。

俺が哀に初めて逢いに行った日も、こんな顔をしていたな。


「まぁ、なんだ。こいつの面倒は私に任せない。悪いようにはしないさ」


「ありがとうございます。それじゃ、暗くなる前に帰らないと叱られるので…」


ちょっとバツが悪そうに哀は踵を返した。

住職さんの声を後ろ手に感じながら、俺も哀の後を追う。

せめて寺の入り口くらいまでは見送らなければ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「何だか、随分暗いな…」


哀はポツリと呟く。

急ぎ足で寺を出たが、街灯が必要なほどの暗さにふいに足を止める。


確かに、春先にしては夕暮れが早い。

空を見上げると、見たことも無いようなどす黒い雲が立ち込めている。

これは……。


渦を巻くように、黒く、深く。

絡めとるように、重く、果てしない。


忘れもしない"あの気配"がする。

喉がゴクリとなった。


これは予感ではなく確信。

俺が哀の元にやって来た目的を実行に移さなければ…!


「にゃー!にゃっ、にゃっ!」


全身にめぐる使命感に、俺は声を上げる。

哀をどうにかこの場から引き離さなければならない。


噛み付かんばかりの突然の剣幕に押されてか、

どうにか哀は急ぎ足になる。


それでも、危機というモノは、

いつだって手遅れになってからその存在を伝えてくるものだ。



「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ゛」



尋常ならざる叫び声。

空を埋めるカラス達。


異様なエナジーの流れに、ヒゲがビクンと反応する。


「なにっ?! 今の声……住職さんっ?!」


寺の方か聞こえるその叫びに、

哀は走り出す。

躊躇いすらない即決だ。


止める隙すら、無かった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



どうにか哀に追いつくと、お堂の前でうつ伏せに倒れている住職さんが目に入る。

走ってくる途中に感じていたエナジーの流れは、どうやら住職さんに集まっているようだ。


「住職さん! 大丈夫?!」


慣れない全力疾走に息を荒くしながらも、哀は早足に住職さんに近づく。


その瞬間、住職さんにエナジーが収束し、爆発するように溢れた。

その腕が禍々しい黒い影を纏って、急角度に哀に伸ばされる。


「…っ!? ん゛にゃぁぁぁぁぁ゛!!!!」


反射的に身体が動き、哀の身体に触れるよりも早く黒い影に突っ込む。

鈍い衝撃と共に俺の身体は弾き飛ばされたものの、何かにぶつかったのを感じたのか、腕はカクンと動きを止める。


「なっ、なに……ぇっ……き、君、大丈夫!?」


起こった事が理解できずに呆然とする哀だったが、足元に転がって来た俺をみて、ハッとしたように抱き起す。


…なんだか、はじめて哀に触れられたような気がする。

身体中が痛いのに、そんなのんきな事を思った。


「どうしてこんな危ない事をっ……住職さんも、一体、なんなの…?!」


腕の中で、住職さんがぬらりと立ち上がるのが見える。

その身体からは肉眼で確認できるほどの邪悪なエナジーが噴き上がり、額には鋭い角を頂いていた。


間違いない、あの姿は……。


混乱の最中で動けない哀に向かって、

俺は意を決っして口を開く。


「哀、逃げるんだ…」


「へっ?! しゃっ、喋っ?!」


「今はそんな事を気にしてる場合じゃないだろ!」


取り乱す哀を強い言葉で制する。

できればもっと普通の会話がしたかった。

それでも、彼の命をくれてやる訳にはいかない。


「いいか? あれは”妖魔”。生き物の生命力、エナジーを喰う怪物だ。

さっきは運よく止まってくれたが……次は確実に死ぬぞ?」


ようま?…死ぬっ?!

混乱に緩んだ腕から、俺はスっと抜け出した。


「大丈夫、俺が時間を稼ぐ。だから哀は早く逃げてくれ」


「時間を稼ぐって……そんな小さな身体で、どうやって…」


「心配無い。こうなった時の為に、俺はこうしてここに居るんだ」


固まったままの哀に狙いを定めて、妖魔は跳躍した。

黒く変色した腕が鞭のようにしなり、人間の身体構造ではありえない無茶苦茶な動きで振り下ろされる。

俺は哀を守るように前に出て、叫ぶ。



―――内海に沈みし我が半身よ、その力を此方(こなた)に!―――


閃光。

俺の額が熱を持ち、そこから何筋かの光と共にエナジーが放出される。

それは薄い膜のようなバリアになると、急激に範囲を拡大し、妖魔の腕を弾きそのまま身体ごと本堂へと吹き飛ばす。

爆煙が上がり、しばしの静寂。




「すごい……魔法みたい……っ」


その光景に釘付けになりながら、哀はそれだけを口にした。


「惚けてる場合か! さっさと逃げろ! …グッ?!」


「えっ、キミどうしたの?! やっぱりさっきの傷が…」


「俺に構うな!

…妖魔はあんな半端な力じゃ倒せない。残念だけど、俺にはこんな手品みたいな力しか無いんだ…だからっ…」


気丈に振る舞うも、力が入らずに崩れ落ちる。

想定していない量のエナジーの放出に、身体が悲鳴を上げたのだ。

駆け寄ってくる哀に、今だけは舌打ち。

いつもは近寄ってもこない癖に…。


「せめて一緒にっ! …それに、警察にお願いしたら住職さんだって、きっと…」


「アレが元に戻るように思うのか?! 銃で撃ち殺されるのが関の山だ!

その前に、俺たちが無事でいられるワケが無い…」


理不尽で残酷な願いだとしても、声を荒げてしまう。


「だから言うこと聞いてくれよ!」


「……そんなのだめ」


哀は俺の言葉には反応せず、ぽつりと呟いて傷ついた猫を抱き寄せると、

寺の入り口へと走り出す。

後方で何かが拉げる音。

妖魔がまた動き出そうとしていた。


「…聞こえたろう? 考えている時間は無い。

妖魔はああ見えて執念深い。さっきの報復に、獲物を俺に切り替えてくるはずだ」


だから、俺を置いて逃げろ!


「ダメだ! 絶対ダメ。

僕はどうなったって誰も心配しないけど、キミはそうじゃないんだ!」


全速力に、千切れそうなほどに激しく哀の前髪が揺れる。

俺が飛び降りれないように、腕の力が締め付けんばかりに強くなる。

無茶苦茶な理屈だ。どう考えたって、身寄りの無い俺の方が、

心配する相手は居ないはずなのに……。


風切り音と共に、後方から妖魔の両腕が飛び交い、包囲網が縮まっていく。

今度は槍のように、俺たちの周辺の石畳をえぐり取りながら精度を上げて迫る。

破片が哀の頬を掠め、血が伝う。


「分かってるだろ! もう無理だ。

お前だけでも逃げろ!!!」


極限状態で、もはや自分の声すら耳に入らない。

それでも哀は首を横に振った。

今にも切れてしまいそうな息使いだけを感じる。


「絶対にダメ…それだけは!!!!!」


今までになく意思のこもった哀の叫び。


遂に妖魔の切っ先が踵を掠め、哀の靴が宙を舞う。

体制を崩し俺ごとつんのめるように倒れ込んだ。

…もう、助からない。


「ぃっ、つぅ……、はぁ……僕はいいから、キミこそ逃げて 」


諦めに近いトーンで、哀は促す。

獲物が動けなくなったのを察し、痛ぶるのを止めた妖魔がゆっくりとにじり寄る。


鼓動が早くなり、景色がゆっくりと動く。

俺が居たところで、結局なにも出来なかった。

哀は殺され、危惧された通りにこの星は今度こそ妖魔に支配される。

何千年前よりも、もっと酷い結果に。


凪になる思考の中、ふいに”ならば”と思う。

これが最初で最後のチャンスならば。


せめて、哀がこの先を選べる道を残す。

俺が見つけ出した彼に、俺を見つけてくれた彼に。

この先にどんな地獄が待っていようと”選択する猶予”を。


俺は額に意識を集中させる。

そして、決意と祈りを込めて願う。

この星の裏側に沈む、我が半身に向けて。

再び額から光が生まれ、何かのエンブレムの形を描く。


―――守護聖石ガーネットよ! 我が半身ロードライトキャッスルよ!

今ここに城主は定まった! 盟約に従い、御身(おんみ)を守護せよ!―――


先ほどとは比較にならない程のエナジーが額のエンブレムへと集まる。

呼応するように木々が、大地が、空までもが光を奏で、

ことほぐ。


「……なに、これ? 世界が、光ってる…?」


異変を察知した妖魔が大地を蹴る。

困惑しながら身体を起こした哀に向かって、

俺はなおも増す光を解き放った。


「哀、受けとれ! これがお前に残された最後の運命(チャンス)だ!」



妖魔の腕が掛かるすんでで、一筋の赤い閃光が哀へと届く。

それは、この星を守る為に託された最後の聖石。

紅く深く輝く『守護聖石ガーネット』


瞬間、世界が歓喜に震えた。

赤く、黒く、そして白く。

苛烈な光の嵐。

その中へと瞬く間に飲み込まれた妖魔は、

邪悪なエナジーを消し去られ、元の住職さんの姿に戻る。


暗雲が中央から爆ぜ、光が晴れると共に青空が姿を見せた。

そして、やわらかに薫る風が通りすぎた頃、

そこにはこの星を守る最後の戦士が佇んでいる。


「やった…のか…?」


邪悪の気配が消えた事に、俺は胸を撫でおろす。

だが、すぐに瞠目(どうもく)する事になった。


俺が渡した守護聖石は、この星に沈んでいる、

世界を守る為の最後の城。その力の源である聖石だ。


盟約は無事結ばれ、哀は今、聖石の力を自在に扱える存在、

”城主”となった。


なったはず、なのだが……。


城主は、大地や人々の願いで聖石を輝かせ、

鎧を身に纏った騎士へと変身する。

…少なくとも俺はそういう風に教えられたし、それを目にした。


だというのに、今の哀の姿は騎士とは程遠かった。


軍服を思わせる赤と黒の装い。

胸には金の装飾に彩られたスカーフ、その中心にガーネットが輝き、水兵のような襟を風になびかせている。

象徴的に髪を飾るベレー帽には、城のエンブレムこそ入っているものの、

記憶に残る他の城主たちの姿とは似ても似つかない。


そして何よりも、星そのものを身に纏うような、力強いこのエナジーは…。


「守護…戦士?」


思わず口をついて出た言葉に、自分でも困惑する。


”守護戦士”

それは星の守護を受けて惑星外の敵と戦う王族にして戦士。

城主の治める世界を守る城もまた、ひいては星の戦士である守護戦士に仕えるためのものだ。


俺の渡したガーネットから何故そんなものが誕生したのか…。

これでは”聞いていた話”と違うではないか。

守護戦士の宿命を思い出す。


……俺は、なんてことを―――――――――――――――



哀は振り返らない。ただ、姿を見せたばかりの色の無い月を見つめている。











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守護戦士ガーネット 晧 左座 @akirasaza121

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