ファースト・エンド・ドリームⅡ
空は燃えている。地は崩れ、人々が築いてきた文明が崩れていく。理不尽な終わり。
世界終焉の時は迫っていた。
■渋谷某所 午後21時15分
『置いていかないで!!』
そう叫んだサキの声を振り切り、三屋敷 灯は元来た大通りを引き返していた。
雷の速さで駆け抜けた通りの影には未だ隠れ身を潜めている人や、動かなくなった犠牲者がまだ大勢残っている。
生きている人の殆どは気力を失ったのかその場から動こうともせずに、恐怖の大王を見上げている。
さきほどまで灯を追ってきていた触腕はその進行を止め、その場に隠れていた人間を探して貪っている。
灯は崩壊しかけたビルを駆け上り屋上に立っていた。
眼下には逃げ惑う人を追う細い触腕。眼前にはそれらがつながる太い枝。
そして枝の先。遥か空まで届いている塔のごとき腕がそびえ、その先には1つの瞳が蠢いていた。
瞳は天を覆う白枝の幕から垂らされた糸と繋がっている。脳と視神経のようであった。
それはぎょろ付いた瞳をせわしなく動かして人を見とがめは触腕で攫い、眼球の下部にある口元へと運んでいた。
「ちっ......。スナック菓子みたいに喰いやがって」
三屋敷の家は古い退魔師の家系である。 平安の世より魑魅魍魎を相手に戦い続けてきた由緒ある血筋。その分派である。
幼い頃からその仕来たりと教育を受けてきた灯にとって、邪なるモノから無辜の人々を守り生きる事は息をするのと変わらず当たり前のことだった。
自分が5つの頃に初めて 江戸むらさき と引き合わされたときに感じた使命感。
『この子を守りなさい。全てを救えなくとも、この子だけは守り通すと自分に誓いなさい』
その時、父に与えられた言葉。
人類を守る守護者、その重責の中で本質を見失わない為に父が与えてくれた言葉だ。
「私は聖人君子じゃない。サキを守るついでに丸ごと救ってやる」
意思を言葉に込める。
十中八九勝てる相手じゃない。惑星を覆うサイズの化け物なんて人類が抗う規模じゃない。
それでも、絶望的でも、灯は戦うことを選んだ。
愛すべき家族の為。自分自身の今までを否定しないため。
震える足に力を込めるのだ。
「すぅー......はぁっ」
一呼吸、肺いっぱいに空気を貯め吐き出した。そして瞳を目標—遥か空に見える眼球へと向ける。
腰を落とし、足に力を込め左手に掴んだ刀を腰だめに構えた。
狙うは一点——腕の先蠢く赤い瞳だ。
「天雷奏上——鳴神」
灯が真言詠唱を唱えた瞬間、バチッと赤雷が迸り彼女の姿が光になった。
瞬いた雷光はまさに落雷のごとく威力で恐怖の大王の白枝へと落ちた。
表皮が弾け僅かに枝全体が震えた。
次の瞬間——人を貪っていた全ての触腕の動きがピタリと止まった。
ぞわりとする視線が灯の全身を、魂を貫いた。
喉の奥がひきつるのがわかる。根源的な恐怖。
それが彼女の動きを制した。
だがそれも一瞬だ。
すぐに体中に力を込めて前進する。
崖を駆け上るように白枝を走る。直線距離で見たら数十キロ。遥か先に巨大な瞳を捉えた。
阻む触腕の壁を蹴り飛ばし、躱し、突き進む。
前後左右——全方向からの刺突を掠りながらいなして進む。
全力の解放——三屋敷の秘奥たる『鳴神』を纏う灯は落雷その物といえる。
瞬きの間に千里を駆ける赤き雷。
ほんの一瞬で白枝に蠢く眼球は目の前にあった。
光彩は波打ち、瞳孔が灯の存在を探し拡縮を繰り返している。
「ㇵッ.....!心核、あんじゃあねぇかッ!!」
瞳孔の中心、その奥に歪な形をした黒色の水晶体を見つけた。
妖魔であれば必ず持っている魂とエネルギーの結晶。砕かれれば存在を維持できない命たる源。
明確な急所といえる部位である。
僅かな勝機が見えた灯の表情に獰猛な笑みが浮かんだ。
すでに『鳴神』の反動で満身創痍。体中の筋肉が悲鳴を上げるように軋んでいる。
だが――一太刀を心核に叩き込めればこの状況を好転させることができるかもしれない。
「うらあぁぁあああっ!!」
いまだに続く網のような触腕の猛襲を紙一重で躱しながら、前へ前へと進んでいく。
一歩進むたびに傷が増えていく。
回避。跳躍。鍔迫り合い。受け流す。回避。跳躍。
何度も繰り返して確実に前へと進む。
既に体のいたるところから出血している。それでもなお動いて戦えるのは彼女が決死であるからであった。
必ず何かをなしてから死んでやる、と灯は心に決めていた。
≪むらさきを傍らで守る≫という使命を諦めた分、なにかしらの対価が欲しいと思うのは当然だ。
だからせめて誰かを救って、英雄にでもなってやる。
目標は一点。
灯を見つめて離さない巨大な眼球。その中心だ。
直線だ。ただ真っ直ぐに進んで斬ればいい。
灯が足に力を込め速度を上げると、それを拒む触腕が殺到する。
右側から三本、左から六本、背後から十本以上。
それらがほぼ同時に迫ってきていた。
足を止めれば一瞬でバラバラだ。
ほぼ同時、あくまでも❝ほぼ❞である。
「どけぇえええええっ!」
前方左右から迫る九本に向かってさらに一歩踏みこんで切迫する。
1つ2つと体に触れるギリギリで躱し、次いで迫る三本を左手に掴んだままの刀で無理やりに受け流す。
鞘に納めたままの刀をバットのように振りかぶり、更なる追撃をはじいて進む。
——三屋敷の家に伝わる宝刀。当代が生まれるごとに砕かれ打ちなおされる番の刀。
抜かず、斬らずを約定とし初めの一太刀に今世の一撃を乗せる制約の呪法。
これは始まりの代から灯の父まで守られてきた神秘にして禁忌であった。
灯が生まれた日に打ちなおされた名無しの刀。彼女もまた子にこれを託すのであろうと信じていた伝統。
それを今この瞬間に終わらせる。
加速を重ねて空気の壁すら叩き割る速度のまま、転げるように前へと進む。
既に目玉は目の前だ。
ここからなら、届く。
三屋敷の【家銘】は【鵺】である。
遥か過去に受けた雷獣の呪い。それを神となぞらえ力へと変えたのが――三夜式
軋む肺に鞭を打って大きく空気をを吸い込んだ。
——これが最後の呼吸だ。
『絶勁——雷獣・鳴神建御雷
命を糧にした正真正銘の今際の言葉。
人が残しうる最大の呪い。真言詠唱。
今代の退魔師の中で数えるほどしか扱えないであろう――もしくは使おうともしない、命を代償にした【純呪の法】だ。
叫ぶように、掠れる声で放った音は喀血を伴って空気を振動させた。
——瞬間。光が瞬いた。赤く≪紅い≫凄烈な光だ。
それが白枝の表皮を撫でるように赤い葉脈を描きながら直進する。
雷に姿を変え、触腕の網を搔い潜りそのすべてを置き去りにした。
右腕で鞘を固定し、左手で柄を固く握る。
光を超えた世界の中で灯の視線は目標だけを見つめている。
音も聞こえない。痛みもない。彼女にあるのは確かに握りしめた右手の刀と強烈に感じる≪視線≫だけだった。
——あと少し。その瞬間が訪れるのを只待って【無銘】を抜くだけだ。
しかし。それは届かない。
視線が一層強くなった。
触腕につながっていた瞳。その向こう側。
空に広がる天幕のごとく【恐怖の大王】——その体の中心が蠢いていた。
もう1つの地球がそこにあるかのような巨大な橙色の眼球。
そしてその周りに沸いたように触腕と繋がっていた瞳と同じモノが無数に現れた。
その全てが瞼を開き、彼女を凝視していた。
灯は悟った。
——神とはアレを指す言葉なのだと。
だが、だとしても。
立ち止まる理由はない。
三屋敷の【無銘】を鞘から引き抜く。
世界に音が戻る。
体中が軋んで動かない。無理やりな前進と回避で体はボロボロだった。
それでも左手に掴んだ刀は放していない。
右足が斬り飛ばされようと。右腕が押し切られようと。
無意識で振りぬいていた。
一瞬足場が大きく振動した。
体が宙に投げ出され重力に従って落ちていく。
赤く染まる視界に映るものが全て、直線にズレていた。
「ああ......はずした、か」
掠れる声がわずかな酸素と共に抜け出した。
抜かれた【無銘】が辿った太刀筋は僅かに瞳を逸れていた。
瞳へと繋がる全ての触腕を一刀両断し、わずかに削り取られた瞳の下部からは白濁した血のようなものが噴出していた。
それを見る全ての瞳たちは瞠目し僅かな動揺を表していた。
背に風を受け止めながら落ちていく灯は内心悔しさもあれど、おおむね満足していた。
まあ、一矢は報いた。クソ野郎——と指先しか動かせない左手の中指を立てた。
《oooooooooo》
振動を伴う轟音。巨大なラッパを吹き鳴らしたような音。
終末を告げる声と共に無数の瞳たちが明滅する。それは怒りなのか称える叫びなのかはわからない。
だが、確実に【恐怖の大王】は灯を敵として認識した。
だからこそ、全ての瞳から触腕を彼女に向けて放った。
既に心臓も止まって、体も動かない。視界もほとんど機能していない。
その中でふと—視界に見知った、あたたかな光を見た。
かつての記憶の中、守るべき人が唯一見せた優しい光の色だった。
はるか遠く、一番高い建造物の屋上で輝く紫色の光が世界のすべてを飲み込んだ。
1999年のロストロジック ろろろーる!! @rororoll79
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