ファースト・エンド・ドリームⅠ


■渋谷スクランブル交差点 12月31日 午後20時


「なに…これ」


 轟々と唸る風音と怒号。悲鳴と爆発音。

 所々のビルから日が吹き出し、車はありえない速度で衝突。目まぐるしい世界の変貌に思考がはっきりしない。


 何よりも目に入るのは空。

 赤く、紅く、燃えるような空。黒煙立ち上る紅の空の向こう、空の上のソラ。

 生命を守る天幕のその向こうにそれはいた。


 ーー白い、白い大きなヒトガタ。

 それは空の上から細長い糸を垂らしていた。

 眼の前で見れば大型トラックほどの厚みのあるそれが、ビルを砕き、ヘリコプターを叩き落とし、人をすりつぶしていた。


「おい!!! 生存者を早く地下へ!!! 走れるものは走れ!!!」


 迷彩服の男たちが口々にが叫ぶ。白い触腕が更に分岐し細い路地の中にも侵入していく。それを止めんと男たちは手に持った小銃の引き金を引き続ける。


「撃て!とにかくこちらに気を引け!!」


  銃弾が触腕の表皮に弾かれ甲高い音を立てているだけだった。


  「…さき!っむらさき!!」


  耳元で叫ぶ声が肩を掴んで揺さぶった。視界が揺れ、眼前にその見知った顔が現れた。


「むらさき!しっかりしろ!」

 

  灯だ。

 汗を額から流しながら必死に呼びかけてくれていた。


「あ、あかり、ちゃん。なに、これ」

「わからん! 魔王級の妖魔ですらここまでじゃない!!埒外の存在だっ!」


 正気に戻ったな、と灯はサキの背を一つ叩くと続けざまに走るぞと声を張って駆け始めた。手を引かれているサキはたたらを踏みながらも続いて走る。


「っど、どうするの!? というか妖魔って!?」

「とにかく逃げる!!本宅待機の退魔師が動いているはずだから、合流する!」


 退魔師って何っ!?なんて叫びながら二人は走る。後ろには自衛隊員だった人たちと白い触腕。全力で走っていてもサイズのスケールで差はどんどん近づいていく。


「っち……むらさき!埒が明かん!ひっぱるぞ!」


 灯が叫びながらサキを掴んだ腕をぐいっと引き寄せた。


「うわあ!」


 引いた勢いのまま前方に放り投げ、前抱きに抱えた。

 いわゆる―――お姫様抱っこである。


「しっかり首に手を回せ。頬は肩に寄せて足の力は抜け」


 灯は淡々と告げると、走る速度を一段と上げた。

 一歩踏み込む毎にアスファルトが抉れ、更に速度を増していく。崩れた建物や横転したトラックを飛び越えながら真っ直ぐに逃走する。

 触腕は未だに追いかけてくる。相対速度は未だ変わらない。まだ相手の方が早かった。


「いいか、アレは間違いなく我々人類に勝てるレベルじゃない。千年に一度の魔王級ですら当代の一流を20も集めれば討てるが、アレは無理だ。格が違う」


 顎先から大粒の汗を垂らし続ける灯がその様相に反して淡々と告げる。誰かに言い聞かせるように。

 瞳を固く閉じ身を縮こまらせているサキを抱きかかえる手に力が入る。


 背後の触腕が更に分岐し、人の腕ほどの太さになった。これで触腕の本数は数えられないほどの数になった。

 白く蠢く波は二人を追いながら方々の建物や路地に侵入していく。直後に悲鳴や怒号がそこら中から聞こえた。


 灯はその声を振り切るように更に足に力を込め、つぶやくように口を開く。


「我が魂鋼の如く――我が体躯、稲妻の如し」


 瞬間、肌に熱を感じる。ばちっと身の回りの空気が爆ぜ、火花を散らした。

 さらなる加速、既に乗用車の速度を遥かに超え音の壁を超えうる速さに達していた。


 退魔師の真言詠唱。自らの力を拡張する呪いである。


 それを知覚したのか白い波は明確に速度を上げ、その管を槍のように突き穿つ。

 豆腐に箸を通すように地面を抉り切りながら数十本の腕が迫る。

 背後から迫るその一本一本を跳躍と加速、時折回し蹴りを駆使していなして躱す。それでも身体を掠める一撃は、まともに当たればほぼ即死。

 進めば進むほど、傷を増やしていく。


「あかりちゃ……」「黙ってろ!」


 サキの心配する声を遮って、灯は更に足に力を込めた。


 その直後ーーーズドンと触腕の束が二人の前に突き刺さり道を塞ごうとしていた。土煙と地響きが足元を崩す。

 衝突を避けるために僅かに減速する。それが目的なのだろう。速度が落ちた二人を追う背後の触腕もまたその本数を増やしていた。

 数秒間の出来事。

 その中で灯は唯一の突破口を見つける。

 前方を塞ぐ白い柱、それは整然とした並びではなかった。上部に僅かな隙間を見つけたのだ。

 それを認めると灯はわずかに下がった速度を殺さないように地を削りつつ制動、足を軸に回転。

 抱きかかえたサキを放り投げた。


「う、うわああああ!」


 悲鳴を上げ空を掻くサキの身体が触腕の隙間を抜けて飛んだ。前方の上空に十数メートル飛び上がったサキが地に落ちるまで数秒もない。

 体育の授業の成績が決していいとは言えないサキが正しい受け身を取れるとは思えなかった。


 白い触腕の壁、その向こうに超えたことを確認して灯は深く息を吐く、限界まで吐ききった。

 肺の中は虚空。

 その状態で奥の奥、最後の呼吸に乗せて呪詛を唱える。


「奏上――赤心鳴神」


 絞り出した低く、溺れるような声。

 擬似的な【今際の際に唱える後悔と残穢の呪詛】は絶大な力を引き出す。他者にも自身にも大きな力をもたらす。

 故にこの絶技を【純呪の法】と呼んでいた。

 


 赤い――赤い雷鳴が迸る。それは目の前の白璧を貫き砕き吹き飛ばす。

 数秒のブランクを数瞬に変えた。


「ああああああああああっ!んぶっ!!」

「っと。おかえり」

「わ、わた、とんで」


 空から落ちてくるサキを今一度抱きかかえた。

 そして再びの疾走。息が上がる灯を気遣うようにいつの間にか取り出したハンカチで汗を拭うサキ。

 背後の触腕は僅かに距離を離した。ここぞとばかりに速度を一気に上げ、灯の仲間が待つ地点を目指した。

 

 

 ■渋谷某所 午後21時10分



「あ!当代様!!」


 白い触腕が空から降り注いでから約1時間。驚異的な速度で蹂躙を始めた異形の魔手は未だ勢いを落としていなかった。四方八方へと無造作に伸ばした枝は街を尽くすり潰しながらその範囲を広げていた。


 その絶望的な状況の中でも抗い生き延びた人々はいた。

 早々に地下鉄へ逃げ延びたもの、警察や消防、自衛官に誘導され避難所へと逃げ延びたもの、現状把握できる生存者が仮設の避難所―――規模の大きい交差点へ集められていた。


 サキを抱きかかえた灯が避難所にたどり着いた途端、喪服姿の中年男性が大きな声を張り上げて駆け寄ってきた。

 背丈は高く黒髪はしっかりとまとめられたオールバック。黒縁メガネの奥の双眸は鋭く鷹を思わせるよう。

 

「当代様!半分以上の隊士と連絡が付きませんッ!私と黒薙が指揮を取ってなんとか救助を行いましたが……」

「相馬、よく生き残ってくれたな。こちらは殆ど収穫はない。壊滅だ」


 相馬と呼ばれた男に答えながら抱きかかえていたサキをゆっくり立たせる。お姫様抱っこされていたところを見られた気恥ずかしさからサキはいたたまれない気持ちになった。


「お久しゅうございます。むらさき様、覚えておりますか?」


 相馬が優しげな声で問いかける。

 三屋敷に古くから仕えている相馬は幼なじみであるサキのことを知っていた。

 

「えっと、ソーマお兄さんですよね、お久しぶりです」

「ええ、大きくなられましたなぁ」

「相馬、今は時間がない。即刻退避だ、歩けるもの優先で地下鉄から逃がせ。――――有事だ、秘匿事項の条文を無視してもいい、三屋敷の名で許諾する」


 灯が挨拶をそこそこに、と行動を促した。

 白い触腕は多少減速した程度で空からの侵略は止まったわけではなかった。たまたまここが狙われていないだけである。


 了解――と相馬はうなずき無線を使って他の民間人に付いている隊士たちに指示を送る。

 それと、と灯が次いで口を開いた。


「この子を頼む。私の ’’よすが’’ だ、必ず逃がせ」


 そういってサキの背を小突いて、相馬に押し付けた。

 そして背を向けもと来た道へと向き直る。


「あかりちゃん!?」


 相馬に抱きとめられたサキが驚きの声を上げた。

 共に逃げると思っていたからだ。しかし彼女は既に背を向けている。

 行きましょう、と相馬が移動を促す。

 サキは理解していた。自分を助けたときの力。ここまで逃げてきた過程で、灯がただの女子高生ではないということを理解していた。

 そして、この場にいる喪服を着た人達もそうなのだと。

 だとしても納得は出来なかった。


「あかりちゃん!!行かないで!置いていかないでよ!」


 追いすがろうとするサキを相馬が担ぎ上げて制する。

 いやいやと暴れる彼女を俵のように持ち上げたまま、相馬が腰から刀を外し灯の方へと放った。

 それを後ろ手に掴み取る。


「三屋敷の【無銘】です。お嬢―――御武運を」

「ああ。今までご苦労だった」


 それだけを残すと、灯は破砕音を一つ残して消えた。

 ただの時間稼ぎ、それを知りながらもと来た道を駆けていった。


 相馬はそれを見送り、内心で悔やみながらも敬する妹分の幼なじみを生かすために本来守るべき相手に背を向け歩を進めた。

 

 

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