第17話 兄としては

「まともなことを言っていると錯覚してしまうから言わせてもらうが、君が僕を怪我させたせいで昨日、きひろに怒られてね。病院まで着いてくる過保護ぶりだったよ。なぜ僕が怒られないとならな――」


「き、きひろちゃんにそんな手間を、かけさせるなんて、どれだけ、恵まれているんですか!?」


「いや、転んで怪我をしたのとは違うからね。本当は首から吊り下げていないとダメなくらいの大怪我だ。過保護とは言ったけれど、身内が着いてきてもおかしくはない」


「きひろちゃんを、無駄に歩かせてしまいました……!思えば昨日、あをいさんがここに呼んだときも、この長い廊下を歩いてきたわけですよね!?あわわ……」


 あをいは口をへの字に曲げて、深いため息をつく。


「あっ。あをいさん、呆れたって顔してますね……えへへ」


「君ってやつは、本当に……。分かった。君がきひろにふさわしくなるための、魔法の言葉を教えてあげよう」


「魔法の、言葉」


 あをいはそうそうに扉を開けて、退散の用意をする。


「――きひろのことだけを考えろ。きひろの笑顔で君のストレスは十分に発散できる」


「きひろちゃんのことだけ……なんて、幸せ……」


「それができないなら、君のきひろに対する特別は……いや。きひろは、特別でもなんでもない、ただの女の子ということになる。君を変えられなかったただの人間だ」


「きひろちゃんは、特別です!わたしが証明してみせます!」


 あをいがニヤリと笑う。


「そうかい。これで本当に診断は終わりだ。まあ今後はできる限り、僕に関わらないでくれ。怖いから」


「分かりました。でももし、きひろちゃんがあなたのことで傷つくようなことがあれば――」


「あはは。面白い冗談を言うね」


「え?」


 廊下へ出たあをいは振り返って、告げる。


「きひろを一番傷つけたのは君だろう。兄としての僕は、君を決して、許しはしない」


***


 あをいは教室に戻り、自席を見て、ため息をつく。その一つ前の席にはゆうが座り、スマホを眺めていた。


「はあ……」


「なんだなんだ。オレの話を聞くのがそんなに嫌か!嫌でも聞かせてやる!」


「いや、そうではないよ。悪いね。鞄が濡れているのを思い出したら、憂鬱になってしまって」


「なんだ、そっちかよ」


「閉めたはずの水筒の蓋が開いていた。これは、大事件だ。僕はあれからずっと席にいたのに一体、誰がどうやって目を盗んだのか……」


「謎は解けたぜ。つまり、お前が閉め忘れたんだ」


「はっ……!?」


 絞ったけれど絞りきれず、水の滴る鞄の下には雑巾が敷いてある。入学以来、最も注目を集めた日だった。


「お茶でも飲みながら話そうと思っていたんだが、とある事件により失ってしまってね」


「悲しい事件だったな。お菓子食べながら話そうぜ」


「ありがたくいただくよ」


 あをいの机を囲み、棒状のチョコレート菓子をサクサク食べながら世間話を交わし、一袋を食べ終えた頃。


「なあ。お前のこと、なんて呼んだらいい?」


 と、はゆうが尋ねる。今は診断ではなく、あくまで、クラスメイトの相談に乗っているだけだ。


「仕方ないから青っぴでいい。あおいと呼ばれるよりはマシだ」


「あー。なんか、きひろちゃんがいつも、あをい、って呼んでるな。方言か何かかと思ってたんだが、あれが正しい名前なのか。……ちょっとむずいから、青っぴにさせてもらうな」


「よかろう。ちなみに、きひろとはどういう関係なんだい?」


「んーや、直接の関わりはない。向こうはオレのこと知らないだろうし」


「――麻布島まふしまさんから話を聞いていたというわけか」


 細いお菓子が折れる小気味いい音が、教室に木霊する。はゆうは折れたところまでサクサクと、手を使わずに食べ進める。


「……みぃから聞いたのか」


「悪い。ああいや、麻布島まふしまさんから聞いた情報をここで使うことはしていないよ。彼女とは診断の間しか話していないからね。悪いと言ったのは、診断士としての癖が出てしまったからだ。必要以上に考えを巡らせて先読みするようなコミュニケーションは、僕個人の美徳には反するからね」


「きひろちゃんのことを知ってるからってだけで、オレとみぃが深い付き合いだとは思わないだろ。それにオレたちは、学校では極力、関わらないようにしていた」


「……気を悪くしたのなら、本当にすまない」


「いや、いい。オレの方こそ、感情的になりすぎた」


 あをいがお菓子が一本献上すると、はゆうはそれを横向きにくわえて持っていった。


「偶然、見たんだ。入学式の次の週、廊下から二番目、一番後ろの席の君に、麻布島まふしまさんが教科書を借りに来たところをね」


「あー!あったあった!」


「それで君と麻布島まふしまさんは、入学以前からの付き合いだと分かったんだ。別に、推理でもなんでもなく、偶然、見ていただけのことだよ」


「そうか、それでかあ!」


 診断士には、鋭い観察力と記憶力が必要となる。あをいは入学してすぐに、顔と名前と自己紹介の内容を一致させ、今に至るまで記憶している。


 さらに言えば、二人がすれ違うときの、意識しつつ関わらないようにしている、ほんの些細な違和感も、敏感に感じ取っていた。


 特に、はゆうの意識がその瞬間だけそれるのを、あをいは何度も目撃している。同じような違和感のある行動は彼らだけに限らず、他にも何人か隠しているのに勘づいている。


 が、ここでは言わない。


「ところで、麻布島まふしまさんとは付き合っていないのかい?」


 あをいがズバリ問いかけ、はゆうを射抜くように見つめた。

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