第16話 はゆうの過去

 はゆうは、膝を外向きにしてしゃがみ込み、その上に両腕を乗せている。カッターシャツの長袖を雑に丸め、ボタンは一番上以外、きっちり留めている。三白眼で日焼けした肌の、坊主の男子だ。


「特別、親切にしたつもりはないよ」


「でもさ。そういうのって、本当は秘密なんだろ?自分で言いたかないけどオレって、口軽そうじゃん」


「さっきのは、冗談ということにしておいてくれると助かる。君の雰囲気、という点に関して言えば、口が軽いと思っている人は少なくないだろう。ただ、未来診断士は、雰囲気なんてものをあてにはしない。ノイズでしかないからね」


「そうなのか?」


 あをいは弁当箱の代わりに、水筒を取り出して蓋を開ける。


「僕が青っぴと呼ばれるのが嫌だと言ってから、君は僕を、青っぴとは呼ばないようになっただろう」


「そりゃあ……嫌がることをわざわざしようとは思わないだろ、普通」


「それだけのことでも、君がどういう人間なのかある程度分かるものだよ」


「いやいや、そんなの誰だって普通にやってることだろ」


「それならなおさら大丈夫だ。君は普通に、今の僕の冗談を、面白半分で広めたりはしないよ」


 蓋にこぽこぽと湯気の立つお茶を注ぎ、一口啜る。


「それで。深山くんはどうして、僕の意見を重視するのかな?そもそも、どうして今回に限って僕を頼ってきたんだい」


 はゆうは、しゃがんだ姿勢のまま、深く、頭を下げる。


「……オレを、診断してほしいんだ。頼む」


「悪いね。診てあげたいのは山々なんだが、あいにくと、診断に使う端末が壊れてしまっていてね。それに、紹介制だから、誰かに紹介してもらわないと――」


「じゃあ、話を聞いてくれるだけでいい!」


 急な大声に、クラスのざわめきが一瞬止まり、驚き揺れたあをいのコップから熱々の雫が飛び、手袋と袖の間にじゅうっと着地する。


「あつっ!」


「あ、ご、ごめん。急に大声出して」


「……気にしないでくれ。結論から言わなかった僕が悪い」


「お前、本当にいいやつだな……。それで、結論って言うのは?」


「――話を聞くくらいならできるよ。本格的な診断はできないけれどね」


 そっとお茶を啜り、あをいはほっと息をついた。


***


 あをいが診断用の教室に入ると、机にへばりついていた手の皮や、瞬間接着剤でくっついていた机と椅子は、きれいに片づけられていた。


「昨日のうちに教室の片づけをしておいてくれたんだね。感謝するよ、蓮川さん」


「あ、いえ、そんな。わたしのせいですから……」


「そうだね。お礼を言う必要はこれっぽちもなかった。やって当然だ」


「はい、わたしもそう思います。あっあっ、あの、わたし、きひろちゃんにだけは、嫌われたくなくてその、どうしたら」


 椅子や机がくっついていないことは確認したものの、あをいは扉の近くで立ち、腕組みをして手を支えていた。


麻布島まふしまさんを狙っておきながら、きひろのことは狙わなかった。それは、きひろが君にとって、特別だからだ」


「そのとおりです。きひろちゃんにだけは、ずっと、笑っていてほしいんです。きひろちゃんと、ずっと、一緒にいたいんです!あの、わたしは、どうしたら……。どうして、こんな、こんな風なんでしょう。どうしたら、きひろちゃんの隣にふさわしいわたしに、なれるんでしょうか……」


 あをいは軽くため息をつく。ゆもちの丸い目は、あをいを見てはいなかった。


「君に、いじめをやめたいなら、好きなものを見つければいいと言ったね」


「え、あ、はい。でも、わたしにはそんなものは――」


「きひろのことが大切なんだろう?」


 ゆもちの丸い瞳が、見開かれる。


「でも、きひろちゃんは、きっと、わたしのことなんて……もう、嫌いだから……」


「きひろがそう言ったのかい?」


 ゆもちは俯いたまま、ふるふると首を振る。


「いじめをする人間なんて、きひろちゃんの傍にはふさわしくないですし……。きひろちゃんだって、そんな人間、嫌いに決まってます。みいちゃんのことも、不登校にしておいて……」


「それは違う」


 あをいの普段より数段、低く重い声に、椅子に座るゆもちがぴくっと肩を震わせる。


「君が何もしなくても、彼女は今頃、ここにはいなかったよ」


「そ、そんなわけ――。で、でも、昨日は、あをいさんが、そう言っていたじゃないですか。わたしが、みいちゃんを不登校に追い込んだって……」


「診断中、結果以外に嘘をつくことは、診断士に認められた権利だ。より正確な診断をするためのね。まあ、一度、診断している僕が言うんだから、間違いない。これ以上のことは守秘義務があるから言えないけれどね」


「……それでもやっぱり、わたしがやったのは最低なこと、です、よね。は、は、は……」


 あをいは、その自虐とも取れる問いかけには答えない。


「こうは考えないのかい?――君がきひろに嫌われることが、君への最大の罰だと」


「え」


 ゆもちはたっぷりと時間をかけて、悩んでから、顔を上げる。


「それは違います。きひろちゃんには、幸せになってほしいんです。そして、そんなきひろちゃんの隣に、きひろちゃんの邪魔にならない形でいたい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る