第1話 いい子羊

きひろきいろ。いつもすまないね」


 未来診断士がいつも診断に使っている空き教室へ向かうための、唯一の道。侵入者を防ぎ、守秘義務を守るべく診断士はそこに護衛を配置している。


「ううん。あをいを守るのがきひきいのお仕事だから」


 あをいと呼ばれた診断士は薄く微笑んだ。


「よろしく頼んだよ」


「任せんしゃい」


 きひろと呼ばれた女は廊下の壁にもたれかかり白いヘッドホンをつけると、スマホに視線を落とした。


***


「ようこそ、迷える子羊よ。未来診断士であるこの僕に、此度はどんなご相談かな?」


 木造のとある教室。机一つを挟んで向かい合わせに座る半袖の制服の男女。


 男は中肉中背、耳と顎の中間まで伸ばした黒髪に、眉が隠れるほどの前髪。瞳は切れ長で、伏せたまつ毛の隙間から覗く瞳は、ほんのわずかに茶色がかっている。


「羊は迷う生き物だからねー」


 そう返した女は小柄な体格で、背中まで伸ばした艶のある黒髪をハーフアップにしている。隙間を作りすっきりとさせた前髪から覗く眉は、自然で整った形をしており、艶のある黒。


「そう、よく知っているね。そして、君も迷っている」


「そーなの!あのね私、将来の夢が決められないの」


「ほう……。決められない、というのは?」


 男は指を互い違いに組んで、その上に尖った顎を乗せる。


「やりたいことがね。もう……たっっっくさん、ありすぎて!一つに決められなくて、それで悩んでるの」


 女は両手を上に伸ばし、ぐるっと円を描くように、たっくさんを表現した。


「それはそれは、羨ましいことこの上ないね」


 前のめりの姿勢を正して、男は椅子にもたれかかる。


「未来診断士は人の未来が分かるって聞いた。だからね、私が将来、何になってるのか教えてほしいのっ」


 女が机の端を両手で掴み、立ち上がってずいっと前のめりになる。女の瞳を男は見つめ、ゆっくりと一回、まばたきをする。


「い・や・だ」


 前傾姿勢の女は一瞬、固まって。それからさらに身を乗り出し、机が勢いよく押し出され、男のみぞおちにヒットする。


「なんで!?」


「ぐほぉっ」


「あ、ごめん」


 男はみぞおちをさすり、顔をしかめる。


「……構わないよ。だけど、君の未来を診ることはできない」


「ええ、未来診断士失格じゃん」


 女は椅子に座り、男に白い目を向ける。


「そこまで言うかな。僕はとても傷ついたよ」


「だってさあ?さっきなんで、って言っちゃったけど、つまり嫌だから診たくないってことでしょ。そんなの、作業療法士が、その人が嫌だからリハビリ手伝いたくない、って言うようなもんじゃん。クソじゃん」


「世の中、カスハラという言葉もあることだし、僕にだって羊を選ぶ権利はあるさ」


「え、待って、私、そんな嫌な羊?ごめん、めちゃくちゃ無自覚」


 真顔で返す女を前に、男はわずかに微笑む。


「そういうことだよ。ま、諦めてお帰りいただこうか?」


「やだっ」


 女は強い光を瞳に込めて、頑として動こうとせず、男は開きかけた口を閉じる。


「私、いい子羊になる!なるから、診て!」


「本当にお帰りいただけないだろうか?」


 いまだみぞおちをさする男のこめかみに、青筋が浮かんでいた。

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