第2話 ちうかの現在

「私の名前は心夢こむ千得架ちうか。みんなからはこむちーとか、ちうちーって呼ばれてる」


「そうなんだ。よろしくね、心夢こむさん」


「未来診断士さんの名前は?」


 対して気にした様子もなく、女生徒、ちうかが聞き返せば、男は少し面食らったような表情になった。


「あ、僕はいいです」


「いい……くん?」


「違うね」


「やっぱり、嫌ですって意味か!」


 男はいいですと言ったものの、そのいいですは、イイという苗字を差すものではない。


 例えるなら、レジで『袋おつけしますか?』『いいです』とやりとりするときの、いいです、つまり、ご遠慮します、という意味だ。


「でも、未来診断士さんって長いから、呼び方だけでも決めたいんだけど」


「ここには僕と君の二人しかいないんだ。わざわざ呼ばなくても、君、とか、ねえ、で通じるよ」


「そっかあ……。そんなに、キラキラネームなんだ」


 男のこめかみに青筋が浮かぶ。


「――あをい」


「あおい?」


 をのイントネーションを上げて読む男に対し、おのイントネーションを下げて読む女。


「わをんの、を。をとおの使い分けは昔、高い音節を『を』、低い音節を『お』と使い分けたことに由来する。つまり僕の名前はあおいと下がるのではなく、あをいと上がるのが正解。正しく呼ばれたことが今まで一度もないから名乗らないだけだ」


「へー、知らなかった!随分ひらがなに詳しいんだね。あをいくん」


 ちうかは、口の中であをい、あをいと繰り返し――、


「あ、分かった。青い空って言うときの青いと同じだ」


 あをいの茶色がかった黒瞳がちうかをまじまじと見つめる。


「じゃあ、青っぴだね!」


「誰が青っぴだ」


「青っぴなら、自然と、あを、って言えるでしょ?」


「だからって、っぴはどこから――いや。面倒だし、なんでもいいや……」


 がっくりと肩を落とすあをいに対し、ちうかはにかっと歯を見せて笑う。


「さて。自己紹介も済ませたことだし。そろそろ、私の未来を診断してくれる?」


「いい子羊とはとても言えないがね。まあ、いいだろう」


「え、診てくれるの!?やったー!でもなんで急に?」


「さてね。さ、僕の気が向くうちに診断しよう」


 真っ黒な瞳を輝かせて、ちうかは辺りを見渡す。


「診断って、やっぱりその、水晶とか使うの?ほら、未来診断を受けた子に聞いたんだけど、人に紹介することはできても、それ以外のことは口止めされてるって」


「水晶は使わない。が、君にも守秘義務は守ってもらうよ。これからのことは誰にも話さないと誓うなら、この誓約書にサインしてくれ。サインがなければ診断はしない」


「うわー、本格的だ。げっ、約束破ったら百万請求って……そりゃ、誰も喋らないわけだ」


 タブレット端末の誓約書をじっくり読むちうかをよそに、あをいは学生鞄から取り出したもう一台の端末を眺める。


「当然、僕も秘密は守るよ」


「あ、ほんとだ。書いてある。……はい、サインしたよ」


 ちうかが返す端末をあをいが受け取り、引き出しの中に入れる。


「ありがとう。さて、それじゃあ、診断に入ろうか」


「お願いしまーす。それでそれで、どう診るの?時間は結構かかる?家までちょっと遠いんだけど」


「まあまあ、落ち着きたまえ。今から説明するよ」


 と言いながら、見ていた端末をちうかに向けて机に置く。


「未来というのは、それ単独で存在するものではない。過去、現在、未来と続いていくものだ。だから未来診断の前に、君の現在、過去について詳しく診断する必要がある。所要時間は一時間もあればこと足りる」


「おー、本格的。信頼できそう!」


「診断士という資格を持っているくらいだからね。未来を診ることに関しては全幅の信頼を寄せてくれていい」


 さて、と前置きしたあをいが、机に両肘をつき、組んだ手の甲に顎を乗せる。


「そこのタブレットに書かれた質問に、正直に答えてくれ」


「性格診断みたいなやつだね。分かった!」


 待ち時間にあをいはじっと、ちうかを見つめる。


「そんなに見張らなくてもカンニングとかしないって。できないし」


「おっと、失礼」


 少し経つと、指で机をトントンし始める。


「ごめんねー、待たせちゃって。可能な限りフィーリングでぱぱっとやるから」


「気にすることはない。そういう仕事だからね」


 それからふわあとあくびをしたり、窓の外を眺めたり、ちらとちうかを振り返ったり。後ろから端末を覗いてみたり、教室内をうろうろと動き回る。


「君は誰の紹介でここに来たんだい?」


「んとね、みいちゃん」


 ちうかは端末から顔を上げずに答える。


「君は人にあだ名をつけるのが好きだね」


「みいちゃんはあだ名じゃないよ。麻布島まふしまみい。ちょっと前から学校サボってるんだけど、青っぴに診てもらってすっきりしたって言ってたよ」


「ああ、あの子か。よく覚えているよ」


「よし、できた。送信っと」


「おつかれさま。今、確認するよ」


 引き出しから端末を取り出し、送られてきたものを診、診断士は、告げる。


「――君には、人の感情が分からないみたいだね?」


 あをいの診断を受けてちうかは、黒い瞳をキラキラと輝かせた。

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