第9話

それからというもの、中沢は竜安寺に言われた通り報復への準備を進めていた。…とにかくその男を血祭りにあげるために日々鍛錬を重ねていくうちに、いつの間にか強くなっていったように思う。そして遂にその時がやってきた。


「あ゛……ぎぃッ……!?」

バキッという音と共に骨の折れる音が聞こえてくると同時に眼鏡の男が呻き声を上げる。それもそのはずだ、何故なら今彼は腕を掴まれ宙吊りの状態になっているため、抵抗のしようがない。もはや眼鏡のフレームが歪み、眼鏡の意味をなしていない。それでもなお、外される事を嫌がったのか…それとも、滑稽に見えるから彼の目に着けたままにされているのか。まあいい、中沢にとってはどうでもよい事だった。


「すみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみませんもうしません」


ゲシュタルト崩壊を起こすつもりか、と言わんばかりに醜く腫れあがった姿で眼鏡の男は中沢に許しを請い続けるが、中沢はただ黙って見下ろしていた。そして、ゆっくりと口を開くとこう告げる。


「お前さ、馬鹿みてぇだな。スタンガンがないと何もできませーんって?」


眼鏡の男は困惑しているようだったが中沢にとってはそんな事はどうでも良かったようで、そのまま言葉を続ける。


「だからなんで、今こうなってんのかてめぇで理解してんだろ?なあ、」


「ひっ……!」


眼鏡の男の顔が恐怖に引き攣るのを見て中沢は思わず口角を上げる。そしてそのまま勢いよく男の顔面へと蹴りを入れた。


「お゛ッ……ガッ……」


「ははっ、汚ぇ声」


鼻血を出しながら痙攣している男を見て中沢は嘲笑うと男の腹を思いっきり蹴飛ばした。ドカッという鈍い音と共に眼鏡の男は地面へ倒れ込み痛みに悶絶していたものの、それでも中沢はまだ満足していないのか何度も何度も執拗に蹴りを入れ続けた。


◆◆◆


「…ふぅ」


荒い呼吸を落ち着けるように大きく息を吐いた後、中沢は眼鏡の男の姿を見る。かひゅーかひゅーと、虫の息のような呼吸音が絶妙に空しい。


「おい、生きてるか?」


中沢が声をかけると男はビクッと肩を震わせる。そして怯えた様子でゆっくりと顔を上げると、そこには血塗れの男の顔があった。鼻は折れ曲がり歯も何本か欠けているようで見るに耐えない有様だ。しかしそれでもまだ生きているらしく、小さく呻き声を上げている。


「あ……ぁ…」


「…まァ、これでチャラにしてやる」


そう言って中沢が取り出したのは一枚の写真だった─。


「お前、竜安寺組の若頭補佐になる予定の男だったんだって?」


そう、中沢はこの男を殺すつもりなど最初からなかったのだ。全てはこの為だった─つまり復讐とは口実で、実際はこの眼鏡の男を若頭補佐にするため竜安寺が用意したシナリオ通りの事だったのである。その証拠にこの男はすっかり騙されており、ただ自分の意思で行動していたと思い込んでいたようだ。しかし実際は全て組長である竜安寺の計画であり、眼鏡の男は初めから手のひらの上で踊らされていたに過ぎなかったのだ。それに気付けなかった哀れな男の末路としては妥当だろう。


「知らんかったんだろうけど、俺ね。お前ンとこの組長さんの前の親父さんの世代から、協力関係にあるわけよ。もう、これ以上言わなくても理解できるよな?」


眼鏡の男は無言で俯いている─が、その肩は小刻みに震えていた。きっと泣いているのだろう。しかし中沢はそれを気にする様子もなく続けた。


「なあ、お前泣いてんのか?情けねえよ。ほらどうした?前までのあの威勢は」


「も……もう、許して下さい……」


眼鏡の男が泣きながら懇願するが中沢は聞く耳を持たず、むしろ楽しそうに笑い声を上げた。そしてそのまま男の元へ近づくと耳元で囁くように言ったのだ。


「許す訳ねーだろ?馬鹿なの?」


そう言って中沢は男の頭を鷲掴みにすると思い切り力を込めた─ミシミシという音が聞こえてくると同時に男の顔からは血の気が引いていき、やがて白目を剥いてしまったかと思うとガクンと崩れ落ちていく。どうやら気絶してしまったらしい。


「…で…ここまでで良かったのか?竜安寺さん」


「え?」


中沢が呼びかけると柱の影からひょこっと竜安寺が顔を出した。その表情はどこか申し訳なさそうで、気まずそうだ。そんな様子の彼に苦笑しながらも中沢は続けた─。


「まあ……でも、こいつの態度に腹立ってたし殴れる機会ができてよかったわ」


「……良かったです!それで、あの……」


竜安寺は何か言いたそうにしている様子だったので、中沢は黙って続きを待つ事にしたのだが一向に話そうとしない。それどころか視線を泳がせている始末である。


「あ?何だよ」


「いや、その……」


それでもなかなか話さない竜安寺にしびれを切らした中沢はとうとう詰め寄った─すると彼は観念したのか小さな声で呟くように言ったのだ。


「実は…その…もう少し、続きます…この仕事」


その言葉を聞いた瞬間、中沢の顔から表情が消えたのだった─。

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夜霧の標的 ClowN @clown_jp

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