我執来世

小狸

短編

「あ、もう駄目だ」


 そう思った時には、大概の事柄は終わり切っているというのが定石である。気付いたということは、その事柄は既に進行しきって、どうしようもなくなっている。


 隠れた末期癌が発見された時のように。


 私の人生が、実にそうだった。


 職場の先輩からの性的暴行を受け統合失調症を発症、仕事を続けられなくなり退職、外出もままならなくなり、家に引きこもるばかりの生活が続いた。お金が足りなくなって、生活保護や自立支援医療制度、障害者手帳や、障害年金など、あらゆる手を尽くして、尽くしに尽くして――私は二十七歳になっていた。


 同級生や友人は、会社での立ち位置を確立し、仕事にも慣れてくる――婚姻、結婚なんて報告も、巡って来る年頃である。


 そんな周りの人々の幸せに喜びながら、ふと私は気付いた。


 気付いてしまった。


 今年で私は、二十七になった。


 


 


 


 


 そう理解してしまってからは、人生を放り投げた。


 誤解を招きたくはないので言及しておく。病院にはちゃんと通院するし、市役所のケースワーカーとの面談、各種手続きの継続などもきちんとする。


 それ以外の「ちゃんとする」に含まれないことを、全て放棄した。


 日常生活を。人としての生活を。


 もう駄目だあ。


 そう思ったら、全てのやる気もやる事も、どこかへと消失してしまった。


 誰も返してくれない。


 自分で持っていなければならないものだからだ。


 今は令和れいわの世。多様性などという戯言ざれごと蔓延はびこる、自己責任社会である。


 良く、こんなことを言う人がいる。


 ――運は、常に幸せなことを考えている人に向いてくる。

 

 ――明日はきっと良い事があると思っている人にこそ、良い事が訪れる。


 ――幸せになろうと思えば、幸せになることができるんだ。


 とか。


 綺麗事である。


 薄汚れた――どころが泥のようにぐちゃぐちゃになった私には、到底目指すことのできない世界観、人生観である。


 成程、こういうどうしようもない時に、宗教というものは人の心の隙間に入り込むのだな――と、改めて思った。


 まあ、入信する予定はないけれど。


 親がそれで盛大に失敗している。


 まあ、不幸な人間は、得てして親が教育に失敗しているか、人間に失格しているかのどちらかなのだ。


 私は両方だったが――今やそんな話も、不幸自慢として捉えられかねない。


 とにかく、私の人生はもうどうしようもない。


 死んじゃおっかな。


 当たり前のように、そう思う。


 だってもう生きている意味とかないじゃん。


 どうせ何を頑張ろうと皆には追いつくことはできないし、何をやっても二番煎じ、三番煎じにしかならない、やりたいことや続けてきたことは、心の病気によって粉々に破壊され、微塵も残っていない。あるのは絶望感だけである。後は社会の歯車となって、また壊れるまで働かされて、適当に人生が浪費されて終わってゆくんだ。そんな生涯に何の意味がある。何の存在理由があるというんだ。下手に生きたら生きたで、また責任を押し付けられて人格を破壊されるに決まっている。決まっているのだ。変えられないのだ。変わらないのだ。どうしようもないのだ。


 死んじゃうか。


 良し、死んじゃおう。


 それは、至極簡単に決まった。


 相談する人? 


 悩みを打ち明ける友達? 


 心を許した家族? 


 


 人。他人。


 どうせ死んだ後から、色々と言うのだろう。


 ――どうして頼らなかったの。


 ――どうして周りの人に相談しなかったの。


 あー、ハイハイ、周りが信用できねーんだって。


 もう1ミリたりとも、一生涯他人を信用なんてできない。


 どうせアレだろ? 私のしんどい話も辛い話も苦しい話も死にたい話も、酒の肴にして消費するんだろう? 


 真剣に聞いてくれる人なんていないのだ、どうせ。


 というか、真剣という態度を莫迦ばかにする風潮が、今の世の中出来上がっている。


 それを、私は遺体になりたいほど、痛いほど痛感して知っている。


 小馬鹿にして、他人の人生だからとか、あなたが決めたことだからとか適当に距離を取って、話を聞いてはくれないのだ。


 だったら。


 もう、ね。


 これ以上は言うまい。


 あまり死にたい死にたい言って、周囲を不安にさせたくはない。


 私は今、死にたいのだ。


 心変わりしないうちに、行動に移さないと。


 そう思って、橋に来た。


 この街で最も大きな川に掛かる、大橋である。


 流石にここから身投げすれば、ひとまず生存は取りやめられるだろう。


「あはは」


 何か、笑った。


 特に意味はない。


 生存が絶対正しいって、本当誰が決めたんだろうな。


 ――楽に死ぬより苦しんで生きることを選べ。


 って、それ、絶対恵まれてる奴の台詞だろ。

 

 少なくとも私のようなどうしようもない人でなしには、沁みも痛みもしない言葉である。


 ――世の中には生きたくても生きることができない奴もいる? 


 知るか。どうして私が見ず知らずの他人のことを考えてあげなければいけない。誰も私のことなんて考えてくれなかったのに、そんなの不公平だろう。不平等だろう。


 そしてそれは、糺(ただ)さねばならない。

 

 ――死にたいなら死ねば良いじゃん。


 そうだよ。だから死ぬんだよ。人に迷惑を掛けずに。良いだろ別に。お前に迷惑が掛かるわけじゃないし、私が死んだとて誰かが辛い思いをする訳でもないんだから。っていうかそこまで考えていられないというのが正直なところである。皆大変な中生きてて偉いねって言って欲しいのか? 赤ちゃんかよ。


 じゃ、バイバイってことで。


 一言?


 ねーよそんなの。


 誰が聞きたいよ、精神異常自殺志願者の遺言なんて。


 それでも。


 そうだな。


 来世は。


 もうちょっと幸せに産まれたいな――なんて。

 

 そんなことを思って。


 私は飛んだ。




(「我執来世」――了)

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