エピローグ

132. 永遠の愛

  ハヤッタは壁にかけられていた額縁を下ろし、その後ろの小さな隠し秘密を鍵を開けて、中から一冊の本を取り出した。

 その本はリマナマリの日記で、彼女が亡くなった時、お付きだった女官がそっと届けてくれたものだ。

 リマナマリが最期の時、私に渡すように女官に頼んだのだという。

 

 包装紙にしっかりと包まれ、しっかりと紐がかかったた包みの中の日記には、黒目王子の成長がこと細かく書かれていた。誰にでも、堂々と見せられる内容だった。これをどうして国王に渡さずに、この私に残したのだろうか。


 そう思いながら読んでいた時、中からふたつ折りの便箋がぽとんと落ちた。それには手放してしまったリクイへの思いが書かかれていた。

 そこにはこう書かれていた。



「私の愛するリクイ、王がくだされた名前はサンクリカンド、でもあなたはリクイ、生きるという意味、この母がつけた名前です。 母にはあなたが今、どこにいるのかはわからないけれど、元気で生きていてほしいと毎日、心から祈っています。あなたのことを思うと、愛しさで涙があふれ落ちます。でも、母が泣いていたことを知ったら、リクイは悲しく思うかもしれませんからね、母はできるだけ心を落ち着けて、私の愛の全てを込め て、笑顔でこの手紙を書くように努めます。いつか、読んでくれる日があるかもしれませんから。


私はJ国の王妃、しかし、あなたの父親はグレトタリム王ではありません。私は国王を騙し、周囲の人々を騙し、自分をも騙す、そんな嘘の人生を送っています。


 でも、それは自分が罪深いせいで、誰のせいでもありません。

 リクイ、あなたには、どのようにして生きているのですか。優しさと暖かさのある生活を送っていてほしいと願っています。リクイ、母はあなたとふたりで遠くへ行ってしまいたかった。行こうとしたのよ。でも、だめでした。世間知らずの母親だけれど、ささやかでも、道端から摘んできた花を美しいと楽しむそんな生活が、私の夢。あなたとふたりで、静かに暮らすのが、私の夢でした。


 リクイ、母はあなたと生きたかった。誰にも怯えず、「愛している」と毎日言って、たくさん抱きしめて、たくさんキスをして、普通に暮らしていきたかった。

 ごめんなさい。こんな母のせいで、あなたには苦しい道を歩ませることになって しまったことでしょう。あなただけではない。たくさんの人を巻き込んでしまいました。本当 に、ごめんなさい。母は今、一人の男の子をサンクリカンドとして、育てています。


 私は一度、全てを捨てる覚悟で、あなたを抱いて、二人の召使と共に逃げようとしました。その夜は、この国に初めての雪が降り、人々が大騒ぎをしていました。私たちが裏門を出ようとした時、そこに赤ん坊が捨てられていたのよ。それが奇跡の子、サンクリカンド。その子はあなたの身代わりとして、私たちを助けるためにやってきたと私は信じました。この子のおかげで、私も、あなたも、他の人々も、みんな助かることができるのですから。私はサンクリカンドの母として、この子を愛し、守っていきます。今、サンクリカンドはすやすやと安らかに寝ています。そして、窓の外を見上げると、空には白い半月が出ています。

 

リクイ、あなたはこの深夜、どこにいて、どのような寝顔をしているのでしょうか。あなたが不安な時に慈しんでくれる人はそばにいるのでしょうか。そんなことを思うと、母の心は乱れて、こんな手紙をしたためてしまいました。

 私の愛するリクイ、大好きでたまらないリクイ、今、すぐに会いたい、そう思うと涙が流れます。

 リクイ、どうぞ、ゆっくりお休みなさいね。 罪深い私にも、いつか神の御加護があり、奇跡が起きて、あなたを抱きしめる時がきますように。

                        あなたの母リマナマリ」


 ハヤッタは、この手紙のために、日記を自分に届けたのだとわかった。

 私がリクイを必ず探しだして、リマナマリのこの手紙を届けてほしいから、日記にはさんで届けたのだ。


 この手紙は必ずリクイに届けますよ。私はあなたの頼みは、どんなことでもしてあげたいのですから。それが私の贖罪です。


 ハヤッタは悲しい思いが胸に混みあがってきて、苦笑した。

 日記の中に、私のことはみごとなほど一行も書かれていませんね。私に日記を託されたのだから、どこかに何かはあるのかと思い、何度も読んでみたけれど、片隅にも、その影すらない。それは私に危険が及ばないためなのだとはわかってはいます。

 いや、そうではない。

 愛している、そばにいてほしい。一緒に逃げましょうと言わなかった私に、あなたは憤りを感じているのでしょう。

 リマナマリ、これ以上、何をしたら、許してくれますか。


 明け方なのに、白い半月がぼんやりと見える。月の周囲は銀色の靄がかかっている。

 この月はあなたがあの夜に見た月ですね。あなたがどんな気持ちでその月を見ていたのかと思うと、悲しみが身体の中を走ります。

 でも、あの日のあなたと同じ月を見ているかと思うと、しだいに心が柔らかくなっていくのを感じます。 私の人生は、妻がいて、子供がいて、日々を共に暮らせるというものではなかったけれど、愛する人に出会えたというのはやはり幸せなことだと思います。


 ハヤッタはそう思いながら眉をしかめ、弱々しく笑ってまた窓の外を見た。

 その時、ハヤッタの頭の中を走るものがあり、急いで机に戻り、日記をめくってみた。

 ノートの端に、小さな花が描かれている。

 ところどころに、いや、いたるところに、小さな「センニチコウ」が描かれていた。


 その時、あの日のハニカ医師の言葉がよみがえってきた。

「おお、これはセンニチコウですよ」

「センニチコウという花の名前は聞いたことがありません。これは、ベニハナツメクサだと思いましたが」

「似ていますが、両方とも赤くて紫がかっていて、似ていますが、ほら皿に描かれた花はまるいでしょう。これはセンニチコウです。薬草を調べる時に、調べたことがありますから、確かです」

  

「センニチコウ」の花言葉は「永遠の愛」だとハ二カ医師が教えてくれた。

 リマナマリの日記に散らばっているセンニチコウの花。

 私への愛が変わっていなかったと解釈したら、それは私の驕りだろうか。

 

 私の愛は実ることがないと思って生きてきたけれど、私がただ気づかなかったというだけで、小さな花はいたるところで開花していたのかもしれない。


 ハヤッタは日記を強く抱きしめた。よい歳をした大の男が、泣きたくなどなかったが、大げさなほど嗚咽が漏れてしまった。

 こんなところをシカンド伯父が見たら、情けないと呆れることだろう。伯父上、私は情けない男なのです。


 ハニカ医師のおかげで、あの世へ渡る寸前のところから引き戻してもらって、ありがたかったと今さら思った。

 一日でも長く生きていたら、今夜のように、ふと真実がわかることがある。

 ハヤッタは窓際に行き、また月を見る。さっきまでぼんやりしていた半月が、奇跡のように輝いている。


 この先には、まだ隠された真実が眠っているのですか。


                            

                 

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