127. 屋根の上
旅立とうとする前夜、リクイはニニンドと宮廷の屋根に上にいた。
「この国を離れたら、これが一番懐かしく思う景色なんだろうな」
リクイが決心をした人の晴れ晴れしい顔で笑った。
「初めてここに来た時、こわくて、びくびくしてやって来たんだったよ」
「リクイは私を探して、ここまで来てくれたんだった」
「足が震えたのを覚えているよ」
「私もよく覚えている。リクイは私がどのくらい授業が理解できているのかって、訊いたんだ」
「そうだった。きみは八十パーセント、わからないって言ってたよね」
「そうなんだ」
とニニンドが空に響くほど、大きく笑った。
「あれでも、サバを読んでいたんだ。本当は十パーセント以下だよ、わかったのなんか」
「それじゃ、ほとんどわかっていなかったということじゃないか」
とリクイも大きく笑った。
「実は、そうなんだ」
「あれから授業の後も、一緒に勉強してくれるようになったんだった」
「ニニンドと一緒に勉強するのは、楽しかったなぁ。この屋根も、楽しかった」
「うん。高い所はいいよな。心が自由になる」
「ニニンドはよく言ってたけど、屋根に慣れてから、ようやく、その意味がわかるようになったよ」
「ところで、鳩は連れていかないのかい」
「遠すぎるよ。外国なんだから、迷子になってしまうだろ」
「たまには、手紙を書いてくれるかい」
「もちろんだよ。ニニンドもね。王太子は忙しいから、返事は無理しなくていいから」
「ははは。書くよ」
別れの言葉はそれだけで、ふたりの間では、申し合わせたようにお決まりの挨拶はない。
「ニニンドって、何でもできるよね」
「できないことは、リクイが一番よく知っているだろ」
「ニニンドは山賊で、座長で、子供の頃から、踊りで大勢を養ってきただろう。考えてみたら、それって、なかなかできないことだよ。いや、ニニンドにしかできない」
「そうかな。それが今度は王太子だよ。前は十六人の面倒を見ればよかったけど、今度は全国民だよ。どうする?」
「どうするの?」
リクイは眉間に皺を寄せて、その目でやさしく笑った。
どうしようか、とニニンドがくくくと鼻を抑えて笑った。
「国王が前に言われたんだ。その座に着くと、大きくなる者、小さくなる者、悪くなる者がいると。さて、私はどれなのだろうか」
「決まっているよ」
「どれ」
「あっちに決まっている」
ふたりはまた笑った。
「ねっ、ニニンド、これまで、大人達を引き連れて、どうやって生きてきたろうって、そのことはいつも訊きたいと思っていたんだ」
「うん。大したことはしていないよ。でも、こうしようと大きなところを決めたら、あとはあまりくよくよ考えないことにしていたんだ。目先のことだけに集中するってこと。そんなところかな。これからは、それでは済まされないとは思うけど」
「なるほどね。もっと早く訊いておけばよかった」
「リクイの方が将来を見据えて、ちゃんとやっているよ」
「ぼくは心配性で、先の先のことばかり考えて、目の前のことを見ていないことがあるからね。 助言、ありがとう」
「助言したつもりはないよ。リクイはいつもその真正直な行動で、私に力をくれていた」
「そうかな」
「そうだよ。リクイと会えて、最高に運がよかった」
「ぼくも。世界のどこに行っても、ニニンドみたいな友達と出会うことはないだろうと思うよ」
ふたりは屋根の上で固く抱き合った。
明日になったら、夕方に、ふたりで並んでここに座ることはない。
でも、生きてさえいれば、また会えるだろう。
親友のよいところは、再会した時に、序章がいらないことだ。すぐに、本文に入っていける。
*
「リクイ、元気かい」
ジェットが笑っていた。「寂しがってないかい」
ぼくは大丈夫だよ。兄さんとの約束は守っているよ。
「リクイ、きみの夢は兄さんの夢だよ。どんなに離れていても、一緒に歩いているよ」
ジェット兄さん、生きていたのかい?どこにいたの?
リクイがベッドから起き上がったら、ジェットの姿はもうなかった。
ああ、夢だったのか。
あの村で別れてから、ジェット兄の夢を見たのはたった二回だけ。一度は後ろ姿、二度目はさっと通り過ぎて行ったので、確かに彼かどうかはわからなかった。
でも、今日ははっきりと見えて、ジェット兄さんはえくぼを見せて笑っていた。懐かしい声も聞こえた。
兄さん、ぼくが旅立つことを知っているのかい。
リクイは窓を開けて外をみた。
そろそろ日が昇る。
こんな早い時刻にも、庭を掃除している人、水を運んでいる人、足早に歩いている女官達が見える。
今日は、ぼくの新しい出発の日だ。ぼくは兄さんと歩いていくんだ。
リクイの心に太陽の光が広がった。
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