101. 思い人

「何がだめなのですか」

「何度手紙を送っても、返事はなくて、完全に無視されています」

 ニニンドが皺間に皺を寄せて、下を向いた。

 どの女性をも振り向かせることのできるこの若者を、無視できる女性とはどんな方なのだろうかとハヤッタは思った。きっと男性の心を知り尽くした女性なのかもしれない。


「ああ。それはすごく嫌われているもかもしれないし、その逆に、すごく思われているのかもしれません」

「可能性は少しはあるかなと思う時もあるのですが」

「そのお方はずいぶんと世の中のことをご存知な、強気な女性なのではないですか。殿下様は手のひらで踊らされて いるのかもしれませんよ。お気をつけください」


「いいえ。世の中のことは私よりは知っているでしょう。気は強いのも本当ですが、手のひらで踊らすとか、そういう人ではないです」

「王弟殿下のこともありますから、お気をつけください。特に、ニニンド様は」

 

 ニニンドがおやっという顔をして、言葉を止めた。

「ハヤッタ様は私の思い人が、町のきれいどころだと思っておられませんか」

「そうですが、違いましたか」

「違います」


「私の知らない方ですか」

「よくかどうかは知りませんが、知っておられます」


「それはもしかして、……サララさんではないですよね」

「そうです」

「なぜ」

「なぜって、私はサララが大好きなんですよ」


「サララさんがお優しい方だとは存知あげていますが、普通に考えて、ニニンド様のお妃になられるお方では ないでしょう」

「普通に考えて、とはどういうことでしょうか」

 ニニンドが強い口調で言った。「普通に考えたら、私が王太子なるなんて、まずありえないでしょう」


 ハヤッタはこんなニニンドは見たことがなかった。そうなのだった。普通に考えたら、自分こそ、国王のそばにいるべき人物ではないのだ。

「私の言い方が、非常によくありませんでした。これほどの失言をしたことがありません。お許しください」

 とハヤッタが頭を下げた。


「そこまで言われなくても」

「自分のことを差し置いて、申し訳ありません」

「そんなに謝らないでください。私の言葉がきつすぎました」

 とニニンドが唇を噛みしめた。

「殿下が謝られることはありません」


「私は先日、国王から王太子として次代の国のことは頼むと言われました」

グレトタリム王はその日、ニニンドを呼んで椅子に座らせ、その膝を抱いて、涙ぐんで懇願したのだった。


「私が国王にはなりたくないこと、なれるわけがないことはおわかりでしょう。でも、私にはもう断ることができません。断ることができる道があるなら、教えてください」

 ニニンドがハヤッタに真剣な眼差しをむけた。


「ございません。今の殿下なら、おできになられます。それどころか、偉大な国王になられるのではないかと思っています」

「まさか。この私に誇ることがあるとしたら、ここに来るまで、楽な生活はしてこなかったということです。でも、あまりに辛い日々が続いたときには、いつかのんびりした暮らしをしたいと思ったことはあります。しかし、今の私はこの先、楽な生活をしようとは思ってはいません。私は この国の平和のため、ひいてはもっと広い世間のためにも、尽くしたいという気持ちはあります。 しかし、私にはその実力がありません。そんな器ではありません」

「初めからできると思って始める人はいません。国王は殿下になら、おできになると信じておられます。私もでございます」



「では始めてみたとして、やはりできないとわかったら、どうすればよいのですか。その時の自分が恐ろしい。全てが嫌になって、捨ててしまったり、逃げたりするのではないかと不安でなりません。父親がそうでしたからね」

「この上ない大役を引き受けるのですから、不安になられるのは当然です」


「そんな時に思うのは、……」

 ニニンドがためらったが、言葉を続けた。

「私はサララに横にいてほしい。サララと同じ方向を向いて、歩いて行きたい。そのように思うのは、私が弱い人間だからですか。私はサララに逃げようとしているのですか。どこか間違っているのなら、教えてください」


この青年は本気なのだ。ハヤッタはニニンドの真の声を聞いたと思った。自分の遠い昔の記憶が蘇り、胸に迫ってきた。自分と違いこの青年は強く、賢明だ。自分の思いをこのように口にできる。

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