10. 黒目王子と緑目王子

 ハニカ先生の病院を退院後、サララはリクイを母親の家に連れて行った。玄関をあけると、タンタンが滑るように出てきた。もう何年も会わない間に、すらりと背が伸びて、リクイよりも大きい。タンタンが何やら大声を出すと、サララが指話で答えた。

 タンタンは生まれつき聴覚に障害があるから、姉妹は普段は手話で会話をするのだ。タンタンは頬の涙を袖で拭きながら、鼻をすすり上げた。

父親がアレルギーで突然苦しみだして死んでしまったことがトラウマになっていたので、今度もリクイが死ぬのではないかと、眠られずにいたのだ。


 タンタンはリクイを引っぱって、家の中に連れて行った。そこは大きな仕事部屋で、床には白い布が敷かれていて、高価な薄絹が何枚も広げられていた。タンタンはもともと手芸が得意で、この町に来て、刺繍の有名な先生について勉強した。そのことも、母親が町に引っ越しをした理由だった。タンタンは細くて長い指と、人並外れた指力を持っていた。その生まれつきの資質、刺繍師としてはなくてはならないもので、それを見抜いた先生がすぐに内弟子にしてくれたのだ。


 タンタンは短い期間で金糸を使わせてもらえるほど腕を上げ、特別注文の衣装や帯などを任されたが、一番得意とするのは、薄い絹地のストールに施す細やかな刺繍だった。

 タンタンの刺繍は上流社会の人々の間で知られるようになり、オリジナル作品「四季のストール」はある高貴な方がお買い上げしてくれた。それだけではない。宮廷から、三十枚もの注文があった。


「すごいね、タンタン。それって、王家御用達ということだね」

リクイが喜ぶと、タンタンが白い顔を赤くした。

 

母親のシマがリクイのために、家庭料理を作ってくれた。夕食のテーブルで、姉妹は何やら話していたが、サララが急にリクイのほうを向いた。

「リキタは学校で、緑目王子と呼ばれていたんだって」

「えっ、ぼく、知りません」

 リクイの目が丸くなっている。


 タンタンの話では、緑目の男子がはいってきたので、クラスのひとりがそういうあだ名をつけたのだった。当時、宮廷には「黒目王子」と呼ばれる第二王子がいて、その肖像画が公開されていたから、アカイ村の第二王子にも、そういうニックネームをつけたのだという。


「ぼくは、王子だなんて呼ばれたことないけど」

 サララはタンタンに向かって、この子は人との付き合いがなく育ってきたから、世間ずれしていない。たとえ、そういうふうに呼ばれたとしても、感じないタイプなのだと思うと手話で語った。

 タンタンの記憶によれば、子供達が緑目王子と呼んだことがおじいさんの耳にはいり、なぜか彼が激怒した。それで、リクイを学校に行かせるのをやめさせたのだという。


「リクイは爺さんがどうして学校に行かせるのをやめたのか知らないと言っていたけど、それって、緑目と関係があると思う?」

 サララが尋ねると、リクイはきょとんとして、首を横に振った。


 そのうちに、新しい父親のスネリオが帰宅して、夕食に加わった。彼は町の外れで鍛冶屋をしている。以前は一家でそこに住んでいたが、朝から晩までカンカンカンカンとやるものだから、シマの頭痛が止まらず、タンタンの収入も増えたので、町の中に引っ越してきたのだった。

「わたしは全然気にならないのに、耳の聴こえる人は大変よね」

 タンタンが頭を抱えて困ったジェスチャーをしたので、みんなが笑った。


 スネリオの話では、お客さんの中にもひとり、音が全く気にならない方がいる。その方の注文は仔細にわたっており、その家来がスネリオのそばにつきっきりで、いちいち指示を与える。夜遅く馬車に乗り、頭巾をかぶって現れ、深夜まで、時には明け方まで、仕事場で過ごす。だから、今夜も食事の後、もう一度、出かけねばならないのだ。


 スネリオが出かけた後、リクイは客室に通された。今夜はここで寝ることになる。サララ達はまだ居間にいて、そこから明るい笑い声が聞こえてきた。これが家族というものなのだろう。

 リクイはしのび足で廊下を抜けて、居間のドアの陰から、様子をうかがうことにした。手話が中心なので、会話は時々しか聞こえないのだが、三人は笑い転げていた。家庭とはこういうものなのか。ぼくも、いつか、こういう中にはいりたい。


「リキタ、何をしているの、そんなところで」

 サララがリクイに気がついた。

「はいっておいでよ」

「盗み聞きしてすみません。ぼく……」

「眠れないの?」

「ぼく、家族って、どういうものなのかと思って。お母さんと子供って、どんなことをするのかと思って。すみません」

「全然大事な話なんかしていない。ばっかみたいな話ばかり」

 とサララが手招きをした。

「サララの声が大きいから、あんな大声で笑っていたら、誰でも気になるでしょうよ。サララ、あんたが悪いよ」

 と母親が言った。

「笑っていたのはわたしだけじゃない。そういう意味なら、一番悪いのはタンタンだ。この子、結構、口が悪い」

 サララがそう言うと、タンタンは、へっ、このわたしが悪いのと言って、ベーっとした。


「リクイは鳥を飛ばせるのよ」

 とタンタンがジェスチャーをした。

「あの鳥はどうしたの?」

「隼はもういないんだよ」

「ではリクイは何をしているの? 何ができるの?」

「ぼくは、何にもできないです」


「リキタはね」

 とサララが手話で話した。「この子は単純で、心がきれい」

「単純で、心がきれいというのはすばらしいことよ」

 と母親が手を叩いた。

「ぼくって、単純ですか」

 リクイの自尊心が少し傷ついた。

「心だってきれいじゃないし、それに、それって、できることにはらないですよ」


「いいえ、単純って、純粋だということ。それが一番大事なこと」

 母親がリクイを引き寄せて胸に抱いて、その頭を撫でた。

「技術っていうのは、後で学んだり、磨いたりして、何とかなるものよ。でも、心が汚れてしまった人が、きれいな心に戻るというのは難しい。私がリクイちゃんの母さんなら、ひとりでよくがんばっていると褒めまくりますよ。なんてかわいい子。うちの子にほしい」

 シマはリクイの頬にキスをした。リクイはこんな風に、やさしく頭を撫でられたり、キスをされるのは初めてだった。 


 お母さんって、こういう感じなんだ。リクイはお母さんという人に、初めて会いたいと思った。ぼくのお母さんはどこにいるのだろうか。


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