9. ナッツには気をつけて

 サララが母と妹のお土産に、蒸し饅頭と飴を買ってくると言った。リクイは好きなところを見て回っていればいいと小遣いをくれた。

「母さんは太り過ぎなんだけど、饅頭に目がなくてね。タンタンは十四歳になったのに、まだ動物飴が大好きだから」

 サララはそう言うと、元気に杖をついて、人混みの中を歩いて行った。

 

 サララが饅頭のほかに、野菜なども買って、荷物運びを雇い、彼に荷車を押させて戻ってくると、中央の通りに二重三重の人垣ができていた。見世物か、喧嘩かと思ったから、人垣をかきわけて前に出た。

 すると、誰かが倒れていて、地面にえびのようになって痙攣していたのはリクイだった。顔を真っ赤にして、両手で喉を抑えて、震えている。

「ちょっと、あんた達、なぜ黙って見ているのさ」

 

 サララがリクイに駆け寄った。

「リキタ、どうしたの」

 リクイは喉が閉まって、息ができないのだ。サララは身体が冷たくなった。それがすぐにアレルギーの症状だとわかったからだ。

「リキタ、何を食べたの? おまえも、アレルギーなのかい。ナッツを食べたのかい」

 

 サララはリクイの口に無理矢理に指を突っ込んで、吐かせた。そして、大声で荷物運びを呼び、積んであった荷物を下ろさせて、そこにリクイを乗せた。

「一刻も早く、町のハニカ先生の病院へ連れていって。こっちは後から追いかけるから、とにかくできるだけ早く走ってくれ」 


 ハニカ先生は外国で勉強してきたという評判の医師なのだ。サララの父親は四十四歳の誕生日に、急性ナッツアレルギーで命を落とした。アカイ村に医者がいなかったし、あの時は町に運ぶという考えも費用もなく、苦しむ父を死なせてしまった。サララはあの時の悲しみと絶望感を忘れてはいない。

 

病院に着くと、サララは頭を地べたにつけてハニカ医師に頼んだ。「どんなに治療費がかかっても、かまいません。この子をどうか助けてください」        

 

**


 リクイ、リクイ、遠くで誰かが名前を呼んでいた。

 リクイがその声に重い瞼をあけた時、白い服を着た白髭の男性が、やさしい目をして覗き込んでいた。

「気がついたかい」

 とその人が言った。


「あなたは、神さまですか」

 リクイが彼の白い服の膝あたりを引っ張った。

「ぼくを生き返らせてください。ぼくは兄さんが帰るまで、死ぬわけにはいかないのです。何でもします。もう文句は言いません」

「私は神ではない。医師のハニカだよ」

「あの有名なお医者さんですか。遠い外国で勉強された」

「私は有名らしいね」

 とハニカは笑って、リクイの頭を持ち上げて、重湯を飲ませた。

「随分と苦しかっただろう。でも、もう大丈夫。お姉さんのお手柄だよ」


 リクイは市場で、ナッツいりの白い餅を食べたとたん、息ができなくなったことを思い出した。

「ぼく、助かったのですか」

「そうだよ。しばらくは何も考えずに、ゆっくりと休みなさい」

 リクイが頷いた時、一筋の涙が流れて、耳の横に落ちた。 ぼくはこの先、どんなことがあっても、死にたいなんて決して言わないと心に誓った。


 ハニカ医師はサララに、もう命には別状がないだろうと伝えた。三日ほど入院すれば、治るだろう。リクイはやはりひどいアレルギーで、空腹時に、油で揚げたナッツ餅を食べたのが原因だと考えられる。すぐに吐かせて、連れてきたのがよかったと褒めた。

「いやー、別に」

 とサララが日に焼けた顔を黒くした。サララは喧嘩を売られると買うけれど、褒められると逃げたくなる性格なのだ。

 

リクイの顔や身体のあちこちには、黒い軟膏を塗った布が貼られていたが、翌日になると、呼吸はもうしっかりとしていた。

「顔を見てごらん」

 サララが手鏡を渡したから覗いてみると、ぎょっ。顔中には黒い軟膏が塗られていて、目は赤く、鼻も唇も腫れて恐ろしい顔になっていた。


「治りますか?」

「生命が助かったんだし、顔くらい、別にこのままでもいいじゃないか」

「そうですよね」

 仕方がない。


「そんなに簡単に諦めるもんじゃないよ。治るんだから」

 とサララが笑った。

「はい」

「明後日になれば退院できるそうだから、そしたら、母さんのところへ連れて行くよ。タンタンも心配している」

「すみません」

 リクイはたくさんの入院費や治療費がかかったことを謝った。これからたくさん働いて、いつか必ず返します。

「ばっかな子。金は何のためにあるのか、知っているかい。使うためだよ。それに、ハニカ先生のところは安い」

「安いんですか」

「ハニカ先生は一番の医者だけれど、人々のために、安い値段で治療しているそうだ。私も知らなかったけど、世の中にはこういう立派な人がいるんだ」


 昨日、リクイはハニカ先生の丸くやさしい背中を見ながら、自分もいつか、先生のようになりたいと思った。いつも困っている人を助ける人になりたいとは思っていたけれど、人との付き合いもなく、何を目指して進めばよいのかわからなかった。でも、医師になれば、苦しんでいる人を助けることができる。

 安い治療費で患者を診ているハニカ先生のようになりたいと思った。でも、小学校にも行っていないぼくが、どうすれば医師になれるのだろうか。家に帰ったらたくさん本を読もう。家には、爺さまが残した本がたくさんあるのだから。


「リキタ、ひとつだけ約束してほしいの」

 サララが彼の手を強く握った。

「一生、ナッツをたべてはだめということ。大人になってもだめ。四十四まで生きて、ここまできたのだからもう大丈夫と言われても、食べてはだめ。一生、だめだよ」

「食べません。ぼく、約束します」

 

 その晩、リクイは蔦の節があるこげ茶色の天井を見ながら、ひとり心に誓った。

 ひとつは一生、ナッツを食べないこと。もうひとつは、サララの幸せのためなら、どんなことでもすること。

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