6. 賑やかな町の市場

 翌朝、サララとリクイはまずカノーラの婚約者が住む家に行き、頼まれた品物を無事に渡し、その後で、町の市場に行くことにした。久しぶりに大金を手にして、お客のためではなく、自分のために買物をするのは爽快だとサララは上機嫌である。


 灰色の砂に煙るバザールには、野菜、スパイス、香料、食器、洋服、動物など、見たこともない品物が並んでいた。ここにはいろんなニオイの人がいるとリクイはいちいち感心してしまった。それに、こんな人混みを歩いたことがないから、人が通り過ぎるのを待つうちに、サララよりずっと遅れてしまったり、慌てて追いかけて人にぶつかったりした。


「リキタ、あんた、市場に来たことがないの?」

 とサララが振り返った。

「それくらいはありますよ」

 リクイは少し自尊心を傷つけられて、とっさにそう返事した。そのくらい、ありますよ。一度だけ、子供の頃に。


「隣りの町には、母さんと妹が住んでいる。タンタン、知っているでしょ」

「はい」

 

タンタンはひとつ学年が上だったけれど、同じクラスだった。

サララの父親が病死した年、母親はタンタンを連れて町に引っ越した。裁縫で生計を立てるには町のほうがよいと思ったわけだが、十四歳のサララは町では暮らしていけそうにないから、ひとり村に残った。


「帰りに、母さんのところへ寄ろうと思うけれど、一緒に来る?」

「はい」

「母さんは去年再婚して、今は一軒家に住んでいるから、泊まっていこうか」

「いいんですか、泊っても」 

 とリクイ元気な声を出した。楽しいことばかりが続いて、心がわくわくする。


「暗いところだとよくわからなかったけれど、リキタ、あんたの目は本当に緑色なんだね。タンタンがよく話していた」

 サララがリクイの顔を両手ではさんで、引き寄せた。


「なんてきれいな緑。透き通っている」

 やめてよ。リクイは身体を反らして、その手を解いた。

「普通の色ですよ」


 サララがさらに顔を近づけた。

「どうしてそんな色なんだろう」

「やめてください。人が見るじゃないですか」

「人に見られたって、なにさ。別にいいじゃないか。はるか遠いところには緑色の目をして、金色の髪をした人々が住んでいる国があるそうだ。でも、あんたの髪は黒だし、ジェッタの瞳は黒だし、いったい、あんた達は誰から生まれてきたの?」

「両親のことも、どこで生まれたかということも知らないんです」


 でも、リクイには生まれてすぐの頃だと思うのだが、不思議な記憶がある。

 その夜は雪が降っていた。白いボタンのような雪。でも、このあたりは雨ですら、めったに降らないのだから。ぼくは遠い所で生まれたのだろうか。それとも、それは夢なのだろうか。


「ぼくの家には最初から爺さまと兄さんだけがいて、それが普通だと思っていたから、両親のことは考えたことがなかったです」

「へぇー、そういうもの」


 でも、それは本当ではない。リクイには、お母さんと呼びたくなる瞬間があった。でも、顔も匂いも知らないから、そう叫んだところで、雲の形ひとつ、変わりはしなかった。だから、考えないことに決めたのだ。


「でも、利口なあんたが、鳥にも、虫にも親がいるのに、自分には親がいないことを疑問に思わなかったの?」

「思ったかもしれないけど、忘れました。爺さまがそういう話は嫌いだったし」

「ああ、わかる。爺さんには確かにそういう空気があった」


「小学校に入った初めの日、友達にはみんなお母さんがついてきて、ぼくは驚いたんです。お母さんって、そういうことをしてくれるんだって」

「へー、そんな感想、はじめて聞いた」

「でも、ぼくは三日しか学校に行かなかったけど」

「うん。あんたが学校に来なくなったって、タンタンが悲しがっていた。学校が嫌いだったの?いじめられた?」

「いいや。ぼくは学校に行く前の日には、眠れないくらいうれしかったんです。学校に行ったら、たくさんの子供がいて、あんなにたくさんの子供を見たことがなかったから、すごく楽しくて……」

「何が問題?」

「わかりません。爺さまから突然、学校へは行くなと言われたんです。おまえは鷹匠たかじょうになるのだから、学校はいらない。勉強は爺さまが教えてくれるって行かなくていいと。それからは、朝早くに起きて隼の世話をして、その後、本で勉強をしました」


「どうして鷹匠なの?」

「鷹匠なら、多くの人と付き合わないでも生きていける。鷹匠は尊敬される仕事だし、砂漠のどこに行っても生きていけるって、爺さまが言っていました」

「どうして人との付き合いを避けるの? 」

「人が禍を運んでくるから。人と付き合わなければ問題が起きないからですよ」


「それって、おかしくない?」

「わかりません」

「で、鷹匠のほうはどうなったの?」

「鳥は好きだし、続けたかったんですけど、爺さまが亡くなったら、飼っていた隼も、死んでしまったんです。同じ頃、ナツメヤシも実をつけなくなって。それで、兄さんがラクダの仕事をすることにして、ぼくも手伝いました」


 ラクダの仕事というのは、村人から頼まれたラクダを砂漠に連れて行って育てるのだ。ラクダはいつも五、六頭の集団で動く。ジェットはそういう群れを三つほど預かり、草を求めて、あちこちと移動する。一度、砂漠に出たら、三ヵ月は帰らない。その間の主な食べ物はラクダの乳と、荒地に生えている灌木の葉や実である。しかし、中には食べたら目が潰れてしまう葉もあるから、気をつけなくてはならない。動物はそれを知っていて、乾燥した葉しか食べない。


「大変だった?」

「いいや。いつも兄さんがそばにいて、涼しい場所を見つけて昼寝をしたり、夜には星を見ながら詩を作ったり、笛を吹いたり、歌を歌ったりするんです。ぼくは楽しかった」

「うん、わかるよ。わたしも砂漠の人間だもの。ジェッタは、弟は頭がいいから、教師に向いている。学校に行かせたいって言っていたけど」

 この国では教師や医者の学校に行くと、兵役が免除になるのだ。

「それが、……」

 緑の瞳が怯えた。


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