第3話 言問い

 光時さまの簑島みのしま報告で、大滝の荘は活気づいた。平地が少なく水の便が悪い大滝では、米の取れ高が少ない。幕府への上納金を払えば、食っていくのもかつかつなのだ。拙の親父殿でさえ、亀井の大殿の御膳がわれらと大差ないことを憂えておったくらいだ。武士とはいえ、小者やおなごたちに畑を作らせ狩りをさせなければ、やっていけないというのが大滝の荘の実情であった。

 そこへ奏子姫様の持参金として、大滝よりも実入りの良い土地が所領として増えたのである。しかもなんのいくさもなしに、だ。こんなに喜ばしいことはなかった。さっそく、大殿自らも見分に赴き、ご長男の秀時さまを代官として簑島に遣わされることになった。ちょうど折よく、秀時さまにはご嫡男さまがお生まれになり、亀井のお屋敷は二重の喜びに沸き立った。川湊と別当の住むところの真ん中あたりを選んで、新しい屋敷を作ることも決まった。

 さて、慶事の後には後顧の憂いを心配せねばならぬ。一つ目は奏子姫様の処遇であった。なんせ簑島の荘は、奏子姫様の持参金、本来もらうのは筋としては光時さまだ。そこを一族の所領とみなして、秀時さまを代官にするのだから、奏子姫様には今よりも良い生活を保障してこれを納得していただかねば、ということになった。この件については言うまでもなく光時さまが担当である。

 そして、もう一つはご本家、加藤家へのご報告であった。

 元来亀井の家は、三代まえの加藤家の婿となった、今の大殿の父上が大滝の荘を所領と賜って開いた家である。亀井家はもともと加藤家の郎党であったが、古参であったことと弓の巧者として戦に手柄を立ててきたことが認められ、主の三の姫を頂いて分家格になったのだ。さらに加藤家先代の姪にあたるおまき殿が秀時さまのところに、同じくご当代の乳母子であるお千代殿が光時さまに縁づかれておる。亀井の家にとって、加藤家は幾重にも主筋として立てるべき家なのである。

 こちらへのご報告は、当然のことながら大殿が出向かれることと相なった。奇縁のあって高貴な身分の嫁女を得たが、先方すら「瑕疵きずのある玉」と評する女人、到底武家の子の母となれる身ではなく、と実情を話されたそうな。その結果、お千代を大切にしてくれるならば光時さまにお咎めはなし、簑島の新領地についても管轄は亀井家に一任という寛大なお達しであった。大殿の奥方さまはこのご沙汰に安心されつつも、年頭のご挨拶にいつもより良い贈り物をつけるようにすることを大殿に進言なされた。簑島の荘の実入りを考えればその程度は易きことであろうと大殿も快諾なされたそうな。

 さて、一方の奏子姫さまの問題はどうなったかといえば。

 光時さまのしかじかという説明に、白髪の侍女はしばし返答のご猶予を、と言った後で、次のような条件を出した。

 まず、新しい家屋敷を作っていただけるというのは有難くお受けしたいが、姫様は裏手に丘を背負い、竹林に囲まれたこの地がいたくお気に召している。実は姫様はせみの声もお嫌いなのだが、他の木には止まって鳴くせみが竹には寄らぬとわかり、今年はたいそう心穏やかにお過ごしの様子。ここがよい、との仰せである。ただ今の建物は古いので、冬の寒さが心配される。一時的に屋移りをしてもよいので、この場所に新たな建物を作っていただければありがたい。

 また、欲を言えば殿様のほかは訪うてくださる人のない暮らしは、心寂しいご様子。伝手のあるごとに都へのお便りはなさっているが、どうしても御返事も間遠い。殿様のご実家あたりに姫様と文を交わしてくださるようなお方がないだろうかとの、お尋ねである。一つ目の条件は快諾された光時さまだが、二つ目のお願いには頭を抱えられた。武家のおなごどもは読み書きができぬ。そんなことよりは家事、子育て、畑仕事、機織りや裁縫などができるほうが重宝されるのである。だが困ってばかりもおられぬゆえ、おなごのことはおなごとばかりに、光時さまは御母上様に相談を持ちかけられた。

「そなた、何をたわけたことを申しておる。お千代は読み書きも和歌もできますぞえ。知らなんだのか。」

「お千代が、でござりますか。」

「あれは、ご本家さまをお育て申し上げた乳母の子。幼いころからご本家さまにも弟君にも、妹のようにかわいがってもらい、手習いもごいっしょにさせていただいたそうじゃ。今でも郎党の子らに教えておるほどよ。」

 灯台は元暗し、である。光時さまは、嫌がられれば、また別の伝手を探せばよいと腹をくくって、お千代さまに頼んでみることにした。

「わたしが西の院の姫様に、文を差し上げるのですか。」

話を聞いたお千代殿は目を丸くした。

「そのような大それたことをして、よろしいのでございましょうか。わたしは今でこそ殿のおそばにお仕えしておりますが、何の身分も教養もないひなのおなごでございます。」

「嫌ではないのか。」

「お会いしたこともないお方に、好きも嫌いもございませぬ。ただ身分の高いお方の作法を千代は存じませぬ。粗相があっては殿の恥でございまする。」

「身分が不釣り合いじゃと分かるだけ、賢いというものじゃ。さすがはお千代よ。」

 光時さまはお千代殿と相談して、このような計画を立てた。すなわち姫様のご持参金として手に入った簑島の荘には、川湊があって市が立つ。そこへ姫様のお召し物となるような反物を取り寄せたいが、どのようなものをお好みになるか、知りたい。おなごのほうがそういうことはわかるのではないかという、光時さまのご発案でお千代殿がお伺いをする文を出す、というものである。回りくどい話ではあるが、そうした用事にでもかこつけなければ、目下のお千代殿から文を出すわけにはいかないのである。

 書かれた文は光時さまと御母上様が見分なされたうえで、小笹につけて西の院へ送られた。七夕の機織りのちなみである。三日後、西の院へ食料を届けに行った小者が、小さなざるに乗せられた返事を持ち帰った。どうやら返事の手は例の侍女によるものらしく、姫君のお召しになるものは絹物にかぎること、冬物の重ねは下向の折のはなむけとして贈られたものが数多あまたあるので白の小袖を頂きたいとの趣旨であった。白絹は通貨の代わりに物々交換の代償にも使われる代物である。決して安価なものではないが、珍しいものでもない。いかなる謎かけかと、光時さまと千代殿は考え込んだ。すると御母上様が

「白絹にも綾もあれば平もある。お千代は婚礼の衣装に白綾の打掛を着る作法があるのを知らんかえ。」

とあきれたようにおっしゃった。この御母上様は出自こそ尾張熱田の商人の娘だが、器量よしで商売の駆け引きにも長け、父御とともに都へも為替店を出すほどのやり手であったお方である。幼いころより街道を行き来する商人どもを見、遠国の話に耳を傾けてきたおかげで物知りでもあられる。若かりし頃の大殿が熱田神宮の参拝の折に見初めて、嫁き遅れを嘆いておられたご両親をまんまと説き伏せてこの大滝の荘へ連れてこられた話は、今でも語り草になっておるほどだ。

「白絹を綾に織るなどということがあるのですか。見たこともございませぬ。」

と、千代殿は驚いている。都で綾衣を見たことがある光時さまもおなごの着物の作法などは知られぬ。まずは金子がかかってもよいので取り寄せてみようということになった。さっそく御母上様がご実家に文を出されて注文され、簑島の川湊を経て別当のところへ送らせてみることになった。ついでに川湊の商人どもに不正がないかを見る方便にもなろうと、御母上は意気もお高い。かたや光時さまはお千代殿に、仔細を文に書いて西の院へ出すようにと言われる。面白がられるか俗なことをとあきれられるか、どちらにしても姫君の出方で今後のやり取りの方向性が決まろうというものだと思われたのだった。

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