2.絶


 あたしの中のパパとママは、あたしが小学校六年生で初潮を迎えてから全く出てきてくれなくなった。ひどい裏切りだと思った。迎えに行くと言われ、いい子にして待っていたのに。いつか本物の人間として金色の光から立ち現れて、あたしを家から連れ去ってくれると思っていたのに。お父さんとお母さんには何の期待もしていなかった。でもパパとママには期待していたのだ。生理なんていらなかった。

 ネットで調べてみたら、イマジナリーフレンドというものの説明が出てきた。あたしの場合はイマジナリー両親だったのだろうか。どちらにしろ自分の想像上のものでしかないことに落胆した。


 初めてセックスをしたのは高校三年生のときだった。人と交わるというのはこんなに楽しいのかと、同じ年の彼氏と肌を重ねるたびに思っていた。でも、よく言われる気持ちよさはあまりなかった。避妊具さえあれば簡単にできる駆け引きのようなやり取りを楽しんでいただけだ。生命を作る最初の作業だというのに、種は蒔かれなかった。

 お母さんが家にいるときに自分の部屋に彼氏を連れ込んでしたこともあった。二人で帰宅したときには訝しげにこちらを見られたけれど、文句は言われなかった。その頃にはもう完全に放任されていたから。でもさすがにセックスしているのを見られたらまずいとは思っていて、そのスリルがたまらなく興奮を与えてくれた。

 それでも、あたしはだんだんセックスに興味を持てなくなっていった。彼氏は毎日したいと言っていたけれど、あたしが痛がっていても、彼氏はお構いなしに突っ込んできた。あたしが濡れないのは自分のせいだと思えない頭の悪さと思いやりのなさにはうんざりした。結局セックスの楽しさなんて、子供が与えられた玩具で遊ぶときのようなものだったのだろう。そんな安易な愉楽など、それ以上に嫌な思いが重なれば消えていくに決まっている。


 大学生になってから、あたしは彼氏と別れた。数分前まで彼氏だった男は、電話口で泣いていた。「どうして」とか「好きなのに」とか言っていたけど、無視した。あたしはこの別れ話で、自分の中の彼氏を殺した。ナイフで心臓部をぐさりと刺して。そのときをさかいに、自分本位の考え方しかしていないくせに時々あたしに優しくすることでいい男アピールできていると思っていた愚かな男のことを、あまり思い出さなくなった。

 それからあたしは、自分の中で誰かを殺すことに快感を覚えるようになった。彼らが苦痛に顔を歪める様を思い浮かべるのはたまらなく楽しい。殺す方法はいろいろで、あの男のときのようにナイフでの刺殺だったり、毒殺だったり、人体への放火だったりした。かわいがっていた鶏たちが殺された事件だって、黒猫はお咎めなしで済んだのだ。あたしが心の中だけでする殺人なんてかわいいものだろう。


 大学は本当につまらなくて、中退した。アルバイトに精を出そうとしたが、人間関係がこじれて面倒になり、辞めた。どちらでも心の中で人を殺してばかりいた。さすがにそんなに数多くの殺し方のバリエーションを備えてはいないから、心の中でとはいえ、殺すことに疲れてしまったのだ。出かける用事などもなく、二階の部屋に引きこもって食事と風呂のときだけ一階に下りる日々が続く。アルバイト情報を探してたまに面接に行ったりもするが、採用されない。やはり大学中退というのは悪いイメージを持たれるからかもしれない。あるいは、あたしが暗い顔をしているから。


 夜の散歩、だなんてちょっときれいに銘打つと、お母さんの財布からお金をくすねて深夜にコンビニに行く。黒いコートに黒いパンツ、黒い靴。買うものなんて特にないのに、温かい烏龍茶のペットボトルと肉まんを買う。この寒い時期の、普通の客を装いたい。

 コンビニの隣の公園のベンチに腰を下ろし、無味乾燥な銀色を送り続けている防犯灯の明かりを頼りに、大して食べたくもない肉まんを齧る。甘すぎる白い皮の中に、油と塩と砂糖の味がする。肉の味もあとからくる。筍だろうか、小さく切られているくせにざらざらの気持ち悪い食感が舌を襲い、吐き出してしまいたくなるのを我慢した。いま口に入れた豚肉だった豚は、殺されるときどう思っただろう。餌や水を与えてくれた人間は、豚舎を掃除してくれた人間は、殺すために自分を飼っていたのかと絶望するのだろうか。悲鳴を上げたりするのだろうか。

 飼われているのはあたしも同じ。何のために飼われているのかなんて理由もないから、豚より無能だ。そんな自分が絶望したらどうなるのだろう。ごくりと口の中のものを飲み込んだ瞬間、あたしの中に、あるアイディアが浮かんだ。

 ここから数分歩いたところのガソリンスタンドが確か鶏を飼い始めたはずだ。殺したら絶望や怨嗟えんさの声を味わえるかもしれない。豚ではないけれど。

 あのひよこから育てた鶏たちの断末魔を、あたしは聞いていなかった。最期に絞り出される声はどんな味だろうか。カサカサに乾いていて水で流し込みたくなるようなものだろうか。ねちゃねちゃしていて吐き出したくなるようなものだろうか。刺々しく喉を突き刺しながら臓腑へともがき落ちていくものだろうか。それとも、この世のものとは思えないほどの美味だろうか。

 考えていても答えは出ないと、ベンチを立って烏龍茶だけを手に歩き出す。

 自分が絶望の淵に立っていることと、絶望が私を待っていることに、とてつもない安心感を……いや、違う。安心してはいない。ただ絶望というものを身近に感じられるようになっただけだ。そこに感情はない。

 あたしは公園の隅に植えられている桜の木の細い枝をぽきりと折り、投げ捨てた。もう、花は咲かない。

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