好きだよ

 何を言われたのか分からなかった。お別れ? 誰と誰が?

「信じられないかもしれないけど、僕は人間じゃない。僕は、桜の魂なの」

 いや、全体的にピンクいなとは思ってたけど。さすがに冗談キツイ……

「冗談じゃないよ。僕が理系教科で生物だけがぶっちぎりで得意なのも、僕自身のことだからだよ」


「ヒロと時間の約束をしなくても会えてたのは、ここに生えてる桜の木の全てが僕の魂と共鳴しているから。ヒロが来ることは木たちを通して感じることができた」


「旅行を断ったのは、僕自身が桜に帰らなきゃいけないから。だいぶ、つぼみが出てきたでしょ? だから僕は桜に戻らなきゃいけない。魂がお留守だと花が咲けないんだ。花が咲けないことは、僕の死を意味する」


「そして、桜に戻ったら、二度とヒトには戻れない」


 何を言っているんだ。真面目な顔をして。早くネタばらししてくれよ。じゃないと、俺、こんなの辛すぎる。信じたくない。けど……

「信じるよ」

 だって、光樹だもん。光樹はこんな残酷な嘘はつかない。だって、いつでも俺の気持ちを優先してくれることを知ってるから。知ってるから、辛いんだ。

「ありがとう」

 そんな、安心した顔をしないでくれ。痛いほど光樹の話に信憑性がついてしまう。

「騙すつもりじゃなかったんだけど、ごめんね」

「謝るなよ。光樹が“ここ”にこだわってる理由がやっと分かってよかったよ。話してくれてありがとう」

「うん」

「俺と一緒にいて、しきたり的なの破ったりしなかった?」

「あはは、特にないね。基本的に自己責任だし。でも、ヒロから貰ったこれは持っていってもいい?」

 光樹はミサンガを指した。

「それはあげた物だし、別にいいけど、俺の許可いる?」

「植物が人の物を取るのはダメなことなんだけど、人が捨てた物や、人に許可を貰った物なら自分の物にしていいんだって。だから今、このミサンガは僕の物になった」

「もう、とっくに光樹の物だよ」

 嬉しそうに笑う光樹。空の色は徐々に変色していく。


「光樹、もう一つ聞いてもいい?」

「何?」

「何で、別れがあるって知りながら俺に話しかけたの。俺じゃなくてもよかったんじゃ、」

「それは違うよ!」

 光樹が大声を出す。

「あ、ごめん。でも、本当に誰でもよかったわけじゃないの。僕は、ヒロと話しがしたくて人間の姿になったんだよ」

「何で俺だったの?」

「だってヒロは、僕のヒーローだったから」

「何の話?」

「ヒロは覚えてなくて当然だよね。だって、あの時の僕はまだ小さい桜だったし」

「俺が桜の魂を救ったことがあったのか?」

「そう。昔、ヒロが幼稚園生ぐらいだった時、小さい桜の木が枯れかかってて、かわいそうに思ったヒロが『俺がこの木を守るんだ』って言って、親が帰るように言い聞かせても、木のそばを離れずにいたことがあったよね」

「あったような、なかったような」

「あったんだよ。ヒロは覚えてなくても。僕は、人間にもこんな人がいるんだって感動した。そして、ずっとヒロを見てた。走りを自慢したくて友達と追いかけっこしながら帰ってるところを見たり、ぼーっと歩いてたら曲がり角で人とぶつかりそうになって『おはようございます!』って言っちゃってるところを見たり」

「ろくなとこ見てねえじゃん」

「ふふ、桜の木がある所なら、どこからでも見られるからね」


「それで、受験に落ちてしょげてる俺に話しかけてきたってこと?」

 この会話を止めたくない。

「しょげてるだけならいつも通り見てるだけだったよ。でもヒロ、『死にたい』って思わなかった?」

「まあ、思わなかったこともないかも。一年前だし、あんま覚えてない」

「あの時のヒロは僕から見て、本当に死んじゃうんじゃないかって思った。それくらいひどい顔してたんだよ。知らないと思うけど」

「知らなかった」

「だから、ヒロを助けるついでにヒトになった」

「ああ、だから最初に話しかけてきた時、『人助けだと思って』って言ってたのか。てっきり光樹を助けるのかと思った」

「どっちもだよ。ヒロを助けるためでもあったし、僕を助けるためでもあった。ヒロが死んだら、僕も悲しすぎて死んじゃうからね」

「さらっと凄いこと言うな」

「それほど、僕にとってヒロは大切な人なんだよ」


 話を止めたら、終わってしまうのではないか。

「それならさ、ここでお別れだとは言わないで突然姿を消した方が、大切な人である俺を傷つけないで済むんじゃない? 俺、今、突然別れを切り出されてるんだぜ。分かるか? 今の俺の気持ち。潰れて張り裂けそう」

「だって、ヒロには幸せに生きて欲しいから」

「矛盾してない?」

「してないよ。ヒロが辛いとか、悲しいとか思うのって心に耐性がついてないからだよ。心が強くないからだよ。だから、僕がヒロから離れることで、ヒロも一瞬は深く悲しむかもしれないけど、乗り越えた先で強くなれる。僕はそれを信じてる」

「光樹と離れるくらいだったら、強さなんていらない。光樹がいてくれるだけでいいんだよ。俺は今日一日光樹と過ごして、これから光樹と沢山思い出を作ろうって思ったんだ。今日だけじゃない、受験が終わったら光樹に沢山恩返ししようって、そのためにも勉強頑張ろうって、それ、なのに……」

 声が詰まってしまう。俺が泣いたら光樹を困らせるだけだ。分かってるけど、こんな別れは悲しすぎる。


「光樹と、別れたくないよ……!」


 涙と共にこぼれてしまった言葉を、光樹は拾ってしまっている。今まで俺の言葉を全部拾ってくれたように。光樹の優しさが残酷だ。

「ありがとう。強くなれるって言い方はずるかったね。強くなって欲しいんだ。僕が、ヒロに。強くなった心を持ったヒロは、きっと誰よりも輝いて、色んな人に優しさを与えられる。ヒロは人に囲まれて生きる人だよ。色んな人たちに囲まれて、幸せに生きて欲しい。これが僕の願い」

「光樹! 体が……」

 夕焼けで染まる景色の中、光樹の体が足元から上へ、薄くなっていく。


「黄昏時が終わるんだ。もう戻るね」

「俺! 光樹がいなくても生きてけるのかな……」

「大丈夫。僕がついてるよ。いつも見てるって言ってるじゃん」

 ああ、光樹はきっと今、俺の好きなあの笑顔でいてくれている。最後にちゃんと見たいのに、涙が邪魔で見えない。拭っても拭っても溢れてくる。


「俺、光樹のおかげでこの一年間楽しかったよ。友達もできた。合格もした。光樹のおかげだよ」

「ヒロの支えになれてたならよかった。でも、やっぱりヒロが頑張った結果だよ。もう何も怖くないね。……皆と仲良くやるんだよ。村瀬君と元気でね」

 光樹の体が消えていく。俺のあげたミサンガがもう見えない。

 待って、まだ言い足りない。


「俺、強くなるから。安心して見守ってて」

「僕、幸せだなあ。僕、ヒロが大好きだよ」

 徐々に光樹の声が聞こえづらくなっていく。

「俺も、光樹のこと……!」

 最後に、光樹の肩が動いた。こちらに向かって手のひらを見せているようだ。既に、彼の肩から下は消えているので分からないが、何となく俺も手のひらを出す。不思議なことに、何もないはずの空気中に熱を感じる。

 光樹だ。光樹の手だ。見えなくても、光樹は生きている。

「好きだよ」

 涙で見えなくなった視界にも、光樹の笑顔が見えた。




 気づけば辺りは暗くなっていた。俺はしばらく、誰もいないその場を動かなかった。







 思い思いに咲き誇る桜の下で三人を待つ。この場所は初めて来たけど、桜たちは思ったよりも綺麗に咲いている。まるで、俺を笑顔で見守ってくれているようだ。

「ヒロ!」

「お待たせ!」

 村瀬とだひーがやって来た。だひーは右手に大きな荷物をぶら下げている。

「え、何その大荷物」

「お弁当だよー。張り切って沢山作ったの」

「電車の中で注目の的だっただろうな」

 村瀬のツッコミに「そんなに目立つ?」と、頭にクエスチョンマークを浮かべているだひーの返事。二人が微妙な雰囲気で見合っていると同時に、俺の携帯に通知が入ったことに気付いた。

「ヤギちゃん、ちょっと遅れるって。先に場所取りしとこう。あっちの方がさっき空いてた気がする」

「了解」

 俺たちは適当な場所にシートを敷いてヤギちゃんを待つことにした。まだそんなに人で溢れかえっているわけじゃないから、落ち着いた雰囲気の中で談笑する。こんな日を夢見ていた。皆で、心になんの引っかかりもなく笑い合うこと。ヤギちゃんいないけど。


 それから数分経って、ヤギちゃんが到着した。

「ごめーん。お母さんが色々持ってけって。それでお菓子いっぱい持ってきたんだ! 皆で食べよう!」

「やったー。何持ってきたの?」

「だひー、お前どんだけ食べるつもりだよ!」

 やっと四人揃って笑い合えた。










 四月。憧れだった大学の門の前。村瀬と二人、並んで立つ。目を合わせ、一瞬微笑む。

 幸せを切り取ったような一瞬。この一瞬から俺の未来は再び動き出す。


「行こうか」


 全て散ったと思っていた桜の花びらが、一枚、視界に入った。

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さくらはいつも ていねさい。 @simulteineously

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