ずっとここにいればいいのに

 その後に受けた私立は順調に受かった。滑り止め三つと、挑戦一つ。もう一つ挑戦した私立大学があったがそちらは落ちた。でも、俺の勢いは止まらなかった。第一志望の二次試験前夜は不安よりもワクワクで胸が埋め尽くされていた。村瀬とのトーク画面を読み返してから、俺はベッドに潜った。







 当日の朝。鳥の声。真っ青な空。体調はばっちり。

 第一志望の大学の校門前で村瀬と待ち合わせる。村瀬はしっかりした足取りで現れた。俺の教えたトレーニングが効いているようだ。俺たちは言葉こそ少なかったが、別れる直前にしっかり握手をした。冷たい手と手汗は、お互いのものだったろう。

 教室に入る。ここからは一人だが、一人じゃない。俺は席についてノートを開いた。次いで、筆箱を出してミサンガを手に取る。

 いつでも一緒だ。




 数時間後。全てを出し切った。全部。全部終わった。結果がどうなっても後悔しないくらいには出し切った。校門で待ち合わせた村瀬と、とりあえずお互いを褒め合った。




 河川敷に向かう。光樹が階段に座りながら、こちらに手を上げる。俺は隣に座った。

「はああああああ!」

 限界だった。朝からもうずっと緊張していた。アドレナリンで何とか立てていた足が一気に崩れた。この一年間のエネルギー全てを今日一日でこれでもかと吐き出してきたのだから。

 ぽん。

 光樹の手が俺の肩に乗る。たったそれだけの刺激で俺は光樹の方に倒れこんだ。

「つっかれたー。今日は何もできない。光樹おぶって」

「本当に、一年間お疲れ様。今日は何もしなくていいよ。一緒にいよう。おぶることはできないけど」

「じゃあ俺、帰れないかも」

 それは困るなあ。そういうニュアンスの言葉が返ってくると思った。しかし、光樹の口から出たのは意外な言葉で。

「それなら、ずっとここにいればいいのに」

 その言葉に違和感を覚えた。どう説明していいのかは分からないけど、俺の中で何かがつっかえた。その言葉は確かに光樹の言葉で、いつも通りの雰囲気だった。何がおかしい? 答えを見つけたくて光樹の顔を見る。思ったより近くにあった光樹の顔はいつもと同じ表情だった。いつもと同じ温かい微笑み。いつもと同じさらさらのピンクの髪。ただ、何だろう、瞳の奥に何かが隠れている気がした。でもそれは、いつも光樹の目をちゃんと見ているわけじゃないからこその違和感なのかもしれない。……今日は頭をあまり使いたくない。そう思った俺は、深い思考を放棄した。







 結果発表までの期間は静かに過ごしていた。受験が全て終了した受験生の中には遊びに行ったり、遠出する人もいるだろう。俺はというと、もう開放されたはずなのに、結果が出るまでは落ち着いた生活がしたかった。予備校の三人とは連絡を取れるし、光樹に会いたければ河川敷に行くとなぜかいつでも会えるし。俺の欲はそこで満足していた。

 まあ結局、一人でいると余計なこと考えちゃうから、ほとんど毎日光樹に会いに行ってたんだけど。小人閑居して不善を為すってやつ? 昔の人はよくこんな、いい得て妙な言葉思いつくよなあ。







 一番最初に結果が出たのは、だひーだった。だひーの第一志望の結果発表日は事前に聞いてたから知っていた。なぜかその日は俺もそわそわしていた。いつ連絡がくるだろうかと三分おきに携帯の画面を見た。そして十時を過ぎた時。


『受かったよ!』


 だひーからグループに連絡が送られてきた。

『うおーーー!!!』

『合格者一号だー!』

『おめでとうおめでとうおめでとう!』

 皆スマホにかじりついていたのか、一気に返信が流れ込んでくる。耐え切れずに笑ってしまった。自分の事のように嬉しい。それを祝えることも嬉しい。俺は、人の事を想う心があったのか。いや、この一年で成長したんだ。


 次はヤギちゃんの番だった。ヤギちゃんは何となく大丈夫な気がしていたが、案の定、大丈夫だった。合格者番号が貼られた掲示板とヤギちゃんのツーショットが再びグループに送られてきた。写真の中のヤギちゃんは、それはもうニコニコで、文章では『この受験者番号が彼氏でいい』とか言っていた。

 ヤギちゃんに番号が彼氏じゃもったいねえよ。大学でいい恋人作れ。

 盛り上がるコメント連鎖の中で、俺も受かっていますように、と密かに祈った。







 ついにこの日が来た。一年前の絶望が懐かしい。あの日は、この一年間が地獄になると思っていた。確かに辛かった日もあったけど、それ以上に沢山のものを手に入れて、育てられた気がする。それだけ意味のあった一年にできたんだ。皆のおかげで。


 大学に直接、掲示を見に行く約束をしていた俺と村瀬は大学の門の前で待ち合わせた。二次試験の日を思い出す。時間通りに来た村瀬は試験の日よりも泣きそうな顔をしていた。いつも白い顔面が今日は青ざめていた。

「おい、大丈夫? 顔色悪くない?」

「俺よく分からない。体は熱いのに、手だけが異様に冷たいんだが。マクスウェルの悪魔か?」

 大丈夫そうだ。

 時間になり、開いた門をくぐる。掲示板を見つける。足が震えるらしい村瀬の手を引いて、番号の羅列に近づく。意識しないと呼吸が浅くなる。深呼吸すると息が震える。心臓は内側から胸を叩く。

「ほら、村瀬。前行きな」

 村瀬を前に立たせ、大勢の受験者たちに飲み込まれないようにする。ポケットから受験番号が書かれた紙を取り出し、照らし合わせる作業に入った村瀬を後ろから確認する。俺も紙を取り出す。口から心臓が飛び出そうになるのを飲み込んで、一つの番号を探す。

「っは」

 声にならない声を上げた。何度も確認する。周りの雑音は何も聞こえない。何度も手元と番号を見比べる。間違ってないよな。合ってるよな。


 俺、受かってるよな。


 村瀬が、さきほどの青白かった顔を取り換えたように真っ赤な顔をして振り返った。

「俺、受かってる」

 彼の声は覚束なげな声だった。俺が二人分の声で宣言してやる。

「受かった!!」

 そう叫んで村瀬の手を引っ張って人混みを抜ける。二人の息遣いだけがこだまして耳に聞こえる。人がはけた場所に出ると、俺は人目も気にせずに村瀬を抱きしめた。

「村瀬! 俺も受かった!」

「うん! 受かった! やったあ!」

 いつもの達者なボキャブラリーはどこへ行ったのか、二人でやった、やったあと言いながら腕をブンブン振り回した。

「俺、村瀬と同じ大学に行けるんだ!」

「そうだよ! よろしくな!」

 二人の世界で疲れるまで静かに騒いで、最後に記念写真を撮る。自動販売機の前で飲み物を奢りあって、ヤギちゃんとだひーに報告する。やっぱり二人も画面の前でスタンバイしていたらしく、すぐに既読が付いた。瞬間的に何十通もやり取りした。画面は誤字脱字で溢れていたが、それを指摘する暇も惜しんで俺たちは喜びを分かち合いたかった。それが終わると、二度とないだろうと思うほど爆上がりしたテンションに疲れて、村瀬と笑い合った。




 帰り道の何もかもが嬉しかった。浮かれすぎて何も見えていないのだけど、風が吹くたびにくすぐったかった。光樹に言わなきゃ。どんな顔するだろう。泣いたりするのかな。光樹の受験も上手くいったら二人で盛大に祝おう。

 光樹をあの三人に紹介する気はさらさらなかった。なぜかと聞かれれば分からないが、光樹は“俺の友達”でいて欲しかったのだと思う。俺だけの。

 河川敷に急ぐと、光樹はいた。ついに服装は一度も変わらなかった。今も。

 光樹の名前を呼びながら近づく。ちょっと緊張した顔で微笑む光樹。心配してくれてありがとう。


「俺、受かったよ」


 そう伝えると、光樹はすっと息を吸ってから、


「ヒロ、おめでとう」


 一言一言をかみしめるように言葉をくれた。

 その瞬間に、俺の大学受験は終わった気がした。長い長い物語に幕を下ろしたような瞬間。これからは、俺の夢に続く大学生活が始まるんだ。皆と。光樹と。


「光樹の結果はいつ?」

「えへへ、実はもう受かってるの」

「え! ウソ! 言ってよ! 俺、光樹になんの言葉もかけてないじゃん! 応援したかったのに! 俺ばっか光樹に応援されて。何で教えてくれなかったの!?」

「僕が行くの専門学校だから」

「そうだったの? 専門学校でもセンター使うんだ。いやー、にしても悔やまれる。教えて欲しかったよ」

「ごめんね。でもヒロにはヒロの方を優先して欲しかったし。結局、二人とも受かったんだから結果オーライだよ」

「そういう問題じゃねー!」

 それから話題は一人暮らしのことに移っていった。

「俺、大学生になったら一人暮らしするからここから離れるけど、光樹はどうすんの?」

「僕はここから通えるから。いつでも会いに来ていいよ」

「じゃあ家教えてよ。携帯でやり取りできないから、いきなり来ても会えないでしょ?」

「大丈夫だよ。いつでもここにいるから」

 何だ? また違和感がある。この前も感じたやつ。光樹は常に「ここ」にこだわっている感じがする。ここって? 河川敷? この町? この県? 光樹はどうして……

「さあ、今日はもう帰ろう。ヒロはご両親にも報告しなきゃだもんね。きっとドキドキしてるよ。早く安心させてあげな」

 すっくと立ち上がった彼を見上げる。逆光でよく見えないが、光樹は今何を思ってる?

「ほら」

 差し出された手。その温かい手を掴んで立ち上がる。光樹の顔が見えるようになった。だが、俺は本当に光樹の顔が見えているのだろうか。今まで考えたこと無かった。

 俺たち、ずっと一緒だよな?







 寒い季節は過ぎ去り、花もつぼみを付け始めた。今年は桜の開花もかなり早い予報だ。それぞれの大学に行って、バラバラになる前に四人で花見をしようという約束をした。この様子だと、俺が一人暮らしを始める頃には、桜は全部散ってしまっているだろう。そうだ、桜が散る前に光樹と奈良の桜を見に行きたい。関西だから、満開にはならずとも来週頃には咲き始めるだろう。よし、誘ってみよう。




「いいね。行きたい!」

「ね。行こうよ、二人で。荷物の準備して、航空券買って、予定立ててさ。大変だろうけど」

「……でも、行けない」

 先ほどまで輝かせていた目を伏せて、光樹は悲しそうに言った。

「え、何で? 予定ある?」

「ううん。そうじゃない」

「理由、教えてくれないの?」

 光樹は少し間を置いてから答えた。

「分かった。じゃあ来週になったら話すよ。旅行の話は、ごめんね。」

 その時の光樹の目は、何かを決心したような目だった。




 約束した来週になるまでに、俺はずっと光樹の謎を解こうとしていた。光樹の言葉に引っかかる理由、光樹がこの場所にこだわる理由。光樹に聞くのが一番早いのだが、もし、その質問が光樹を悲しませたら。もし、その質問を光樹が避けたいものだと考えていたとしたら。俺のせいで光樹の心をかき乱すことはしたくない。全てが俺の勘違いだったらいいのに。

 しかし、光樹の目の中に答えを探そうとすると、嫌でも「分からないという事実」だけがよく分かるのだった。







 約束の日になった。何を教えてくれるのだろう。何を話すために、あんな一大決心をしたような目をしたのだろう。少しでも光樹のことを知ることはできるだろうか。これからも光樹と付き合っていくために、俺は光樹のことをもっと知りたかった。


 今日は朝早くに集合するように光樹に言われていたので、八時に河川敷に来てみた。ちょっと早すぎるかとも思ったが、光樹はいつも通り俺を待っていた。時間で約束しなくても、いつでも会えるというのが俺たちの日常だったので、しばらく気にしていなかった。だが、考えてみると不思議な話だ。なぜ光樹はいつも俺が来ると分かるのだろう。家が近いから見えると言ったって、その理由に無理がある例もいくつかあった。しかし、聞いたとしても教えてはくれないだろうと勘で分かるから聞かないことにする。

「おはよう。今日は、ヒロの思い出の場所を巡ろうの日です」

「うん? 思い出の場所? 俺の?」

「そう。どこでもいいからヒロの思い出の場所に連れていってください。一人暮らしでここを離れる前に、ヒロも思い出の地を心に刻み込ませるのがいいんじゃないかと思いまして」

「ほう。それって光樹にメリットあるの?」

「大ありだよ。だってヒロの聖地だもの」

「メッカじゃあるまいし……。まあでも、光樹がいいなら連れ回しちゃうぞ」

 思い出してみれば、光樹と河川敷以外で何かをしたことはなかった。俺たちはいつでもこの河川敷で会って、話して、解散していた。そのためか、光樹と回る思い出の地は新鮮に感じた。思い出の地といっても、俺が通っていた小中学校、レンタルビデオ店、小さい頃に遊んだ公園やよく通った図書館など、大した場所には行っていない。でも、隣に光樹がいると全てが大切な場所のように思えた。途中で買ったクレープとタピオカも、今まで食べたどれよりもおいしかった気がする。もっと小さい頃からお互いが友達だったら、俺の世界はもっと光っていたかもしれないと考えた。いや、まだ遅くない。これから思い出を増やしていけばいい。光樹とならどんな思い出も光り輝くものになるに決まっている。




 時間は過ぎて、夕方。オレンジ色の景色の中、俺たちは河川敷に戻ってきていた。ある意味、ここが一番思い出の場所かもしれない。珍しく誰もいない河川敷を二人で肩を並べて歩く。ふと、光樹が立ち止まった。

「今日話すって約束したよね」

 一瞬、何のことか分からなかったが思い出した。あれのことか。

「したけど、話したくなかったらいいよ」

「いや、話す。話さなきゃいけないから」

 いつもと違って、光樹が真面目な表情を作る。

 向かい合う俺たち。

「単刀直入に言うとね、僕たちは、今日でお別れしなきゃいけないんだ」

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