第22話 〈了〉幸せな高校生活

 それからどれくらいかして、私は人間のセイナとして意識を取り戻した。ヒジキの言ったように、セイナに戻ったのだ。鏡がそばになくて姿を映すことはできないが、手で触ってみて人だと分かる。


「猫世界に平和が訪れたのよね。たぶん」


 ミヤアアオ、と猫が鳴いた。そうだよ、といわんばかりのタイミングで。


「ニトラン。あなたはニトランね」


 セイナは近づき、かがんだ。いとおしむように、ニトランの背中を撫でた。多くの猫たちが死んだのに、ニトランはさして悲しそうでもない。静かに体を丸めてこちらを見てくる。


「たった七十二時間なのに、本当にあれやこれやとたくさんのことがあったわ。ニトランの恋人のミントに会ったし、猫ライフも楽しかった。そして、激しい猫戦争が繰り広げられ、私もその一員として戦った。不破は死に、ヒジキに助けられた。ヒジキは幻となったのね」


 ここから先は私の想像である。ヒジキから聞いた説明をもとに考えるに、バーのマスター不破は、タケルがヒジキの転生した姿であるのを見抜いていたのだろう。ジマの魔力かなにかでタケルをヒジキにし、蘇ったヒジキを捕獲し、転売しようとした可能性が高い。私たちを倒し、悪巧みを働こうとしたのも、正義感の強いヒジキをおびき寄せる手段だったのかもしれない。

 夜の闇とともに、長かった猫の生活も、猫戦争の余韻も、すーっと消えていった。


「タケルはどうなったのかしら」


 私はタケルの姿を探した。ヒジキがタケルであり、タケルがヒジキ。タケルのことを思うと胸が切なくなり、顔が火照ってくる。早く探し出してその顔を確かめたかった。

 十月の晩は寒い。私は外にいた。自宅の温もりが恋しくなり、家に帰った。

 家に着いた。

 疲れた体を休めたくてベッドに服を着たままで寝そべると、朝までぐっすりと眠った。

 朝を迎えた。気持ちよく起きるつもりでいた。

 明け方に夢を見た。猫の夢ではない。学園祭の夢だ。私の踊るレイン・ダンスを見ていたはずのタケルがサプライズでステージに加わり、仲間と楽しくレイン・ダンスを踊る。そんな夢だった。

 夢が覚め、目をこする。ドタドタと階段を下りる音がする。聡の足音だ。目覚まし時計は七時半を回っている。


「またか。またしても寝坊だわ。今日は本当にだめよ」


 慌てて服を脱いで着替えた。朝食をあきらめ、学校まで走った。

 走っている途中で、前方を走る男子生徒の背中が見えた。赤信号に変わり、その男子に追いついた。男子生徒は頭に包帯を巻いている。互いに顔を指さした。


「タケル。タケルじゃん」


「セイナ。おはよう」


「おはよう、タケル。意識が戻ったんだね。ケガはだいじょうぶ?」


「だいじょうぶだ。車に轢かれたくらいじゃ、北斗武尊は壊れないよ」


「そう。でも、頭を骨折したのよ。むりしないでね」


「それにしても、似たもの同士だな。セイナは遅刻の常習犯。俺は間に合うように先を行くぞ」


 タケルは青信号とともに猛ダッシュし、私を置いて行った。交通事故で頭にケガをし、三日間意識が戻らなかったとは思えないほどの元気さだ。

 学校に着いた。

 校門は少しだけ開いていた。スマホを見る。三分の遅刻だ。遅刻が確定しているので、教室までは気持ちを落ち着けてゆっくりと歩いた。

 教室の後ろのドアを開ける。そろりそろりと忍び足で席に着く。


「こーら。またか、セイナ」


 英語の先生に見つかり、怒られた。クラスの友だちはみんなクスクスと笑う。

 そんなありふれた日常が戻ってきた。私はホッとした。気がかりなのは、タケルの心中だ。ヒジキとしてピンチを救ってくれたことを覚えているのだろうか。

 仲間たちと遊んでいるタケルを見ると、そのようなそぶりは感じられなかった。猫戦争の間、たしかにヒジキは元飼い主のセイナたちに感謝の言葉を述べた。そして、寿命を迎えてからはタケルに転生したとも話した。タケルとして私のそばにいられるのがうれしいとも言ったはずである。ちょっとは私の好意を感じ取り、優しくしてくれてもよさそうなものなのに。

 向こうで男の友だちと騒ぎ、盛り上がっているタケルを見て、物足りなかった。


「これじゃ、交通事故の前と何も変わらないじゃん」


 私は頬をふくらませた。

 その日の放課後、久しぶりに部活に参加し、帰りが遅くなった。部室を出た時、「よっ」と声をかけられた。


「タケル」


「セイナ。一緒に帰ろうぜ」


「うん。いいよ」


 今日はシオンもココハ、サクラもいない。好きな男子と二人で帰れるなんて、私は幸せ者だ。


「なぁ。俺、何となくだけどさ」


「何よ。あらたまっちゃって」


「俺、よく覚えてないけど、意識が飛んでたらしい。父ちゃんがそう教えてくれたよ」


「そうよ。私も知ってるわ」


「その間に、何かをしたような、してないような」


「どっちなの? 私はしたと思うけどな」


「とにかく、よく覚えてないよ。夢なのかな」


「えー。夢にするの?」


 私はタケルと肩を並べて歩き、口をすぼめた。

 タケルは黙った。黙ったと思ったら、彼の指で私のすぼめた口を押し、私の肩にすり寄るようにして自分の肩をくっつけてきた。


「あっ」


 思わず叫んでしまった。彼の意外な行動に体がビクンとした。

 タケルは笑っていた。本当は、七十二時間の猫世界に自分も加わり、ステラこと私を助けたいきさつを全部知っていたりして。でも、どっちでもいい。今は幸せそのものだもの。

 それからというもの、彼は以前よりも親しくしてくれた。私のことを思いやり、とても優しかった。昔のヒジキのようにすり寄り、私に甘えているような気もした。

 高校生活は何ごともなかったかのように進み、銀空高校学園祭の当日が訪れた。

 午前中、予定通り野外ステージに上がり、私はレイン・ダンスを披露した。踊りは上手く行き、観客から喝采を浴びた。

 午後になった。私は模擬店の店番が終わり、校舎の中でタケルと待ち合わせた。南側の校舎内でタケルと落ち合う予定だった。

 喫茶店の前で、頭に包帯を巻いた彼が立っていた。そこは、学園祭の出し物で営業している喫茶店だ。


「待った? タケル」


「いいや。全然」


「この店だよね」


「そうだよ」


「ここの喫茶店がいいの?」


「うん、俺のおすすめ。プリンがかわいいってさ。店のプリンをまねして作ったらしい」


「中に入ろ」


 タケルの腕に私の腕を通し、私たちは喫茶店に入った。

 席に着いた。

 簡単なメニューを手に取り、彼に訊ねた。


「どれがいいの?」


「このミルクプリンを頼もう」


 タケルはメニューを指さした。二人はミルクプリン二つをコーラとともに注文した。

 しばらくして、コーラとプリンが運ばれてきた。


「やっぱ、タケルじゃん。セイナの好きな人って。ウチ、かなり前からピンときてたよ」


 ココハは、うれしそうにはっきりと言った。彼女はプリンを運んできたトレーで顔を半分隠した。この店で働く一人が友だちのココハだとは知らなかった。私は仲のいいところを見られ、照れ笑いを浮かべた。

 気を取り直してプリンを見た。プリンは真っ白である。ミルクを使っているだけのことはある。そして、形がとても特徴的でかわいかった。猫の顔を模している。


「このミルクプリン、めっちゃかわいいじゃん」


 私は目を細めた。


「かわいいよな。これもそうだけど、本家の方が先に猫プリンと呼ばれたらしいぞ」


 タケルは自慢げに言った。タケルに感謝だ。この喫茶店を選んで、連れてきてくれた。私はスマホを出し、プリンの写真を撮った。


「お皿を揺すってごらん。前後に激しく」


 タケルに言われ、私はミルクプリンの載っている皿を前後に揺すってみた。猫の顔をしたプリンはぷるぷると揺れながら、その形を壊さずに元の状態を保った。


「すごい! 全く崩れない。めっちゃ健気なプリンよ」


「そうだろ? だてにバズったわけじゃない。食べてみな」


 タケルを前にして食べるのが恥ずかしかった。スプーンでそっと猫の顔を崩し、口に運んだ。


「食べてもおいしい。巷でバズったのも頷ける」


 私は猫プリンが気に入った。タケルも猫プリンも好きだ。うれしくて、たまらない。タケルと学園祭を迎えられ、幸せいっぱいだった。

 喫茶店を出る時にココハを呼び出し、スマホを彼女に渡した。私とタケルの写真をココハに撮ってもらった。いい思い出ができて、とてもよかった。

 学園祭は無事に終わった。

 その後、さらにタケルとの親密さを強めた。私はときどき猫だった頃を思い返した。毎日、高校に通い、ときにはニトランに見送られ、タケルと手をつないで登下校するのだった。   〈了〉

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私は猫 森川文月 @hjk-0731

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