第21話 ラスボスとの決闘
不破は命からがら脱出を図った。本当に、このラスボスはよく逃げる。
今度は物見やぐらに逃げ込んだ。
猫たちの死に物狂いの猛攻に遭い、不破は片目を失明した。相手はつぶれた目を手で押さえながら、物見やぐらの階段をふらふらと上がった。
ステラは手負いの不破を追った。このまま一騎打ちに持ち込み、どうしても倒したかった。タケルを救いたい気持ちは強まるばかりだ。何とかして制限時間までに、憎いラスボスの息の根をこの手で止めたい。猫戦争を終わらせ、タケルの元気な姿を一目でいいから見たいと願った。
不破は半鐘の下で待っていた。腕を組んでこちらを見下ろす。
「来たか、ステラめ」
「不破。ここがあなたの死ぬ場所よ」
「そんなことを猫から言われる筋合いはない。おまえは死ぬがいい。私が雲の上の国へ送ってやろう」
「不破は悪魔の手先。あなたに心を許す者などいないわ」
ステラの台詞に逆上したのか、不破は荒々しく杖を振り回す。
「死ね、死ね。猫は人間より下等な動物。支配されて当然だ」
「猫は人の支配なんて受け入れない。人と共存する生き物よ。理由もなく、人に対して殺しも殺されもしないわ。覚えておくのね」
「ふん、偉そうに。私を殺そうとしてるではないか」
不破の揚げ足取りをステラは無視するつもりだったが、醜悪な敵の顔を見てこう言った。
「人間を殺すのは気が進まないけれど、不破は特別よ。あなたは普通の人じゃないわ」
「何を分かったようなことを。私は普通のマスターだ」
「化け猫ジマを操り、猫戦争を煽る。猫を傷つけても平然としていられる。そんな悪魔のような神経を持った人間は、あなた以外にいないわ」
「ほざくな。まぁ、いい。そうやって喋れるのも今のうちだけだ。私に勝つつもりなら、こちらに来るがいい」
不破は手招きした。その挑発に、ステラはゆっくりと間合いを詰めた。二歩近づいた時だ。不破の手にした杖がステラの体めがけて飛んできた。
「おっと、危ない。行くわよ」
ステラは杖をかわし、ぴょんと不破の腕に飛び乗る。そのままスタスタと肩まで上がり、不破の首にかみついた。
相手はギャアと叫び、手でステラを振り払う。押されてステラは落下し、空中でクルリと回転して床に着地する。
不破は首から出血した。どろりと流れる赤黒い血を手で拭い、こう言った。
「この野郎。おまえも血まみれにしてやる」
相手はものすごい剣幕で、先端の尖った杖をこちらに向けた。二度、三度と、突き刺そうとする。それよりも素早い身のこなしで、ステラは杖をかわしてゆく。
しばらくの間、不破の攻撃がつづいた。疲れてきた頃を見計らい、ステラが反撃に出た。不破は痩せ細った体を丸めた。その背中に飛び乗り、顔まで駆け上がる。ラスボスの白髪を前足で引っ張り、頭頂部によじ登った。思いっきり、前足で額をかきむしった。
「ギャアアア」
不破はよろけながらわめいた。頭の上にいる邪魔者を落とそうと、手でステラを押さえにかかる。ステラは右へ左へ動いて手をよけた。ときどき手をガブリとかんで抵抗した。
たまらなくなったのだろう。不破は苦しそうに息をし、物見やぐらの柱に頭を打ちつけた。不意のことで、ステラは柱にぶつかった。ステラは気を失って床に転げ落ちた。
「フー、さてと。うるさい猫だ。私のチャンス到来だな。死んでもらおうか」
仰向けになっているステラは床で伸びたままだ。薄目を開けて前方を見た。ラスボスの姿が目に入る。悪魔は両手を杖に添え、渾身の力を込めて突き刺そうと振りかぶる。ステラの体は動かない。
今度こそ杖の先端が刺さって命が尽きる、と思ったその時だった。
数羽のカラスが鳴いたと同時に、不破の元へ急降下した。カラスは黒い塊となり、不破の頭の上や肩に止まった。すぐさま、鋭いくちばしで顔や首をつつく。不破は杖を捨てて両手でカラスを追い払おうとする。しかし、カラスたちの勢いに圧倒され、なすすべもない。
不破は前方をカラスにふさがれ、よろよろと横に移動する。そして、物見やぐらの柵に身を預けた。
「今だわ。今しかない」
ステラは体を起こし、素早く柱を駆け上った。そして、パッと宙を舞った。勇敢な空中殺法は見事に決まった。ステラの全身は、上半身をカラスで覆われた不破の顔付近にドサリと落ちた。落ちた反動で相手はバランスを崩した。
「あー、うわー」
あれほどしぶとく逃げた不破は柵から転落し、物見やぐらの下に沈んだ。ラスボスは、高い物見やぐらの上から突き落とされた。
しばらく、夜の物見やぐらはシーンと静まりかえった。どうやら、不破は地面に体を強く打ちつけ、命を落としたらしい。
ステラはどうなったのか。ステラも空中から落っこちた。かなりの高さであり、そのまま足で着地していたら、衝撃が強すぎて骨が折れるか骨にひびが入ったかもしれない。
ステラは無事、無傷で着地した。これもカラスのおかげだ。物見やぐらの下で、野良猫たちは一騎打ちを見守っていた。野良猫は口にネットをくわえていた。先ほどの公園で不破の使った、カラスよけのゴミネットを。カラスたちは野良猫に代わり、ゴミネットの端をくちばしに引っかけた。カラスは地上二メートルくらいの高さでゴミネットを広げ、落下するステラを受け止めた。野良猫とカラスの知恵と機転で即席のハンモックができ、そこにステラの体は包み込まれた。
ステラは、ゴミネットごとふんわりと着地に成功した。
ゴミネットからスタスタと歩き、ステラは言った。
「よかった。不破を倒せたわ。最後は生き物たちの団結よね」
そこへ、ミントを伴ったニトランが駆けつけた。
「ステラ。無事だったか」
「うん。だいじょうぶよ」
「よかったね」
ミントも微笑んでいる。
「私は平気よ。物見やぐらから落ちたけど、カラスと野良猫たちのハンモックで衝撃を吸収できたの。命拾いしたわ」
「よかったな。ところで、不破は?」
ニトランが辺りを見回す。
「あの医者は物見やぐらから落ちて死んだみたいよ。ほら、あそこに」
ステラの足の示す方に、痩せた人間が仰向けに横たわっている。
「とうとう不破も死んだんだね」
「そうよ、ニトラン。私たちはようやくラスボスを倒したのよ」
「猫戦争は終わったな。もう戦う必要はない」
ニトランはしみじみと言った。
「見て。さっきの野良猫を率いたヒジキが」
ミントが向こうを足でさす。
「おーい」
ヒジキは、傷ついた猫軍曹に肩を貸しながら、ゆっくりと近くまで来た。
「ヒジキ」
ステラは呼びかけた。対面して、あらためてヒジキを見る。以前、セイナとして子どもの頃に飼っていた当時の面影がある。そして今は、立派な大人の猫の風格が漂っている。あの頃のヒジキの匂いもそのままだ。
猫になる前日にテレビで見た星座占いは、今ごろになって当たったようだ。ラッキーアイテムは黒猫。黒猫のヒジキのことだろう。はりつけになったステラとその仲間を救ったのはヒジキである。ピンチを脱し、不破との一騎打ちを制することができて、心底よかった。
ヒジキはみんなと合流し、ステラさえも知らなかった事情を分かりやすく説明してくれた。
「ステラ、いや、セイナ。七年前、勝手に流家を家出してすまなかった。知ってのとおり、私は血統書付きの高級な猫だ」
「そうよね」
「私は流家の一員として迎えられた。お父さんやお母さん、セイナに聡。みんな、本当に私に対して親切にしてくれた。家族同然に扱ってくれてうれしかった。あの男さえいなければ、幸せはつづいたのに。あの男に狙われなければ、私は家出をする必要などなかっただろう」
「あの男とは? もしかして、不破?」
「そうなんだ。不破は私に目を付けていた。隙を見て私を奪い取るつもりだったのだ。私は常に警戒していた」
「そうなんだ」
「そう。不破は悪い男だ。私を捕まえて、知り合いの猫マニアに高値で転売するつもりだった」
「まぁ。ひどい話だわ」
「その転売を以前から計画していたようだ。その間に私はニトランと親しくなり、ニトランから不破の陰謀に関して具体的なことを聞いた。身に危険が及ぶ前に、町から出ようと深く心に誓った」
「そうだったのね。やっと理解したわ。それにしても、許せない。不破は」
「私を捕獲するXデーをニトランから聞き出し、Xデー前日にニトランの合図でセイナの自宅を出た。あてもないまま、旅に出たんだ。あれは雨の降る日だったな」
「なんとも、かわいそうな話だわ」
ステラは、まだ子どもだった頃にヒジキが急にいなくなった記憶を思い返していた。
「旅に出た私は野良猫たちの社会に入り、苦労を重ねた。高級猫のプライドを捨てて、彼らと関わり合いを持った。寂しくなった時は夜空の星を見上げ、流家のみんなも同じ星を見ているのかなと思ったりもした」
ステラは何も言えなくなった。とても切ない話である。
「そのような時代を数年過ごし、やがて私は寿命を迎えた。普通ならばそのまま天国に召されるのだろうが、どういうわけだか知らないが、私は男子生徒の魂に乗り移った」
「もしかして……」
「ああ。それはきみのよく知る北斗タケルだ。タケルに途中から転生した」
ヒジキはそこまで喋り、足や肉球をなめた。そして、つづけた。
「タケルとして、セイナのそばにいられるだけで、とてもうれしかったよ。それ以上のことをするのは恥ずかしかった。自分がどうしてヒジキの生まれ変わりであるのかを説明することもできずにいた」
「私はセイナとしてタケルを好きになり、タケルは交通事故に遭ったわ」
「たしかに、タケルは交通事故に遭い、意識を失った。その間に、これもどんな説明でも納得しづらいだろうが、元のヒジキに戻れた。セイナからステラになったきみを救い、元のセイナに無事に戻れるように力を尽くすのは、かわいがられたペットとして当然のことだ。どう? 分かってくれたかい」
「ええ、分かったわ。ありがとう、ヒジキ」
「タケルが意識を失ってもうすぐ七十二時間になる。制限時間までに猫戦争が終わってよかったよ。もう思い残すことはない。私はタケルに戻る。ステラも人間の姿に戻ることだろう」
「私、私――」
ステラは何かを訴えようとして、言葉が出てこなかった。喉から目にかけて熱いものがこみ上げ、出ようとする言葉を感情が飲み込んだ。
「じゃあ、また、人間同士の姿で会おう。これでお別れだ」
ヒジキは背中を向け、歩き去る。
「ヒジキ!」
ステラの鳴き声にヒジキは顔だけこちらに向け、目を細めてミャアと鳴いた。それがヒジキとして対面した最後の場面だった。
猫戦争は終わった。
猫のユートピアは傷ついた猫たちであふれていた。もう猫同士が互いを傷つけ合うことはないように思われた。
猫のユートピアは静けさを取り戻した。
物見やぐらの半鐘がゴーン、ゴーンと二回鳴った。定時の鐘ではなく、平和を知らせる合図だったのかもしれない。
半鐘の音を聞いて、ステラは体がゾクゾクするのを覚えた。ステラ、ステラ――。どこかでだれかが語りかける声がし、声はだんだん遠のいた。ステラは気を失った。
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