第20話 はりつけ
不破は小学校に入った。
すぐに追いついたが、そこから先へは行けなかった。
「見るがいい。あの猫を」
ラスボスは口元を歪め、後ろを指さした。校舎前の掲示板にメスの猫がはりつけになっている。いわれなくても、不破の仕業だろうことは分かる。
「な、何てことを」
ニトランは目を見開いた。「ミントを人質にする気か」
「もしかして、あれはニトランの恋人猫のミントなの?」
ステラは確かめるようにニトランの方を見た。
「どうやら、そのようだ。それ以外、考えられない」
「さあ、ニトラン、どうする? おまえの好きな猫は掲示板にはりつけになってる。ミントを救いたいなら、ステラを渡せ」
「卑怯だぞ。不破」
「私はラスボスだ。どんな汚い手を使っても、おまえたちに勝つ」
「くそぉ」
「不破は本当に嫌な人間ね。やることが悪質だわ」
ステラは汚いものを見るような目をした。
「不破は以前から素行が悪かった。私は知っている。おそらく、ニトランの嫌がることをして、揺さぶりをかけたいのだろう」
仲間の猫は残念そうに言った。
「不破め。なんてひどいことをするんだ。罪のない猫をいたぶり、あまつさえ卑怯なまねをして平気でいられる。許せん」
「ニトラン。ミントを奪い返す気か」
「もちろんだとも」
「敵は、ミント釈放の代わりにステラを要求してるんだぞ。それでもいいのか」
「それでもかまわない」
「ぶつぶつ言ってないで、早くしろ」
不破はふてぶてしい態度でせかした。「さぁ、早く決めろ。ミントを解放してほしいなら、ステラを渡せ。ミントとステラの交換だ」
「いいわ。私が身代わりになる。その代わり、ミントを必ず解放するのよ」
「ステラ」
「まかせて、ニトラン。私が何とかするから」
「よし、ステラ。早くこっちへ来い」
不破は嫌らしく笑い、手招きした。掲示板のたもとに薄い紙が敷いてある。ステラはニトランが止めるのを振り切り、紙をよけるようにして不破の元へ行った。掲示板にはりつけにされたミントの金具を外そうとした不破はそれを中止し、無抵抗のステラの喉をつかんだ。
「く、苦しい」
ステラはうめいた。
「は、早くミントを」
「おっと、ステラ。おまえが先にはりつけになるがいい」
不破はミントから離れ、粘着テープでステラをはりつけにした。二匹のメス猫は並んで掲示板に固定された。
「ミント、ステラ!」
「どうだ、ニトラン。手も足も出まい。いい気味だ」
「悪徳人間め」
「ニトラン。無抵抗でこちらに来い。仲間を見捨てたくないだろう」
「どこまであくどい人間なんだ。不破」
「さぁ、早く来い。ニトラン。ミントとステラの首を絞めるぞ」
不破は脅すと、実際に右手でミントの、左手でステラの首を絞めた。フギャーと二匹の苦しむ鳴き声が小学校の壁に反射する。猫の虐待を行う不破の目は血走り、釣り上がっていた。
「やめろ。やめるんだ、不破。言われた通りにする」
ニトランはステラ同様、紙の上を通らずに脇を通って不破のところまで来た。ニトランは無抵抗であっけなくラスボスに捕まった。けっきょく、ミント、ステラ、ニトランの三匹は不破に生け捕りにされた。ラスボスの毒牙にかかり、三匹とも掲示板にはりつけになった。秋の西陽が、捕まった猫を無情にも茜色に染め上げる。
「いい眺めだ。写真にでも撮れば、二科展に入選しそうだ」
「不破、悪趣味だぞ。この恥知らず」
「なんとでもほざけ。四つ足を固定されては何もできまい」
「俺たちをどうする気だ?」
「さぁな。どうすると思う?」
不破の顔は青白く、醜い顔つきに見えた。
「不破、あなたを見そこなったわ。近所を散歩するとき、噛みつけばよかった」
「今さらそんなことを嘆いても、もう遅い。どのみち、猫戦争は始まる宿命だったのだ」
「不破。あんたなんか、天罰を受けて地獄に落ちるわよ。私には分かるの」
それまで黙ってうつむいていたミントが、はじめて口を開いた。
「ほう、ミント。おまえにそんなことを言える口がついていたとはな」
「当然でしょ」
「ミントにニトランか。ステラは後回しにして、このカップル二匹を仲よく殺してやろうかな」
「よせ。ミントが言ったように、おまえには必ず天罰が下るぞ」
ニトランは天の神さまの力を信じている様子だった。ぼんやりとした黄昏時の薄いピンク色の空に、一番星と三日月が輝いている。月は凜として清らに輝いている。まるで平和が訪れるのを待ちわびる純粋さを象徴するかのように、美しい景色だった。
「捕まった猫にしちゃあ、三匹ともずいぶん元気だ。これでおとなしくなれ」
不破は愛用の杖で、ニトラン、ミント、ステラを死なない程度に数発殴った。杖の打撃はとても強かった。体が張り裂けそうなほどの痛みに、たまらず悲鳴を上げた。体をぶたれ、みんなは毛を逆立てた。体を震わせて不破を見返した。
「そうだ。その目だ。やっと恨めしそうな目をしたな。体もケガをして、お似合いだ」
その時、物見やぐらの半鐘がゴーンと鳴った。鐘は晩の六時を告げた。
「ああ、口惜しい。七十二時間まであと一時間だわ」
ステラは傷ついた体の痛みをこらえ、無念そうに呟いた。
「フハハハハ。どうやら、七十二時間以内に猫戦争は終わらなさそうだ。それだけは本当の話なのさ。これでタケルという少年の意識は戻らない。ほぼ確定だ」
「くそぉ。何とかならないのか」
「ざまあ見ろ。おまえたちの奮闘も水の泡。さてどうやって料理してやろうか」
「ああ、手が出せないわ。もうだめよ」
「あきらめるな。希望を捨ててはいけない」
ニトランはステラを励ました。
不破はかがむと、紙の上に砂をかけた。杖の先端のゴムをおもむろに下にずらした。ゴムの下から金属の突起が露出した。金属の突起は鋭利に映った。街灯の青白い光でキラリと光った。
「さて。そろそろ処刑の時間だな。気が変わった」
不破は舌を出して唇をなめた。「先に死ぬのはおまえだ、ステラ。おまえからあの世へ送ってやろう」
不破は尖った杖の先をステラの喉元にぐいと押し当てた。金属の光沢と冷たさで、ステラの体中の神経はおかしくなりそうだった。気が狂う一歩手前まで来ている。
「もうだめよ。私、殺される」
ステラは目をつぶった。気絶しそうなのをどうにかこらえた。
「グフフフ。ステラ。最後に言いたいことはないか」
不破が残忍そうな笑みを浮かべる。
「教えて。私たちを殺すとして、その先に何があるというの?」
「つまらん質問だ。おまえたちの死の先には、猫の未来と運命がある。哀れな結末の。人間に栄光あれ」
不破は言いたいことを喋ると、尖った杖でステラを突き刺そうと振りかぶった。
奇跡が起きたのは、ステラがあきらめかけた瞬間だった。
風上でオス猫の匂いがした。どこか懐かしい、心安まる匂い。とてもいい匂いに思われた。ステラはそっと目を開けた。
「ちょっと待った。それ以上の手出しは私が許さない」
日も暮れた校庭の隅に、一匹の黒猫が颯爽と現れた。黒猫はつづけた。
「待ってろ。今、行くからな!」
力強く、猫の言葉でそのように鳴いた。
「来ちゃ、だめぇ!」
ステラは声のかぎり叫んだ。勇敢な黒猫がこちらに近づく。本当にだめなのに。そこは危険地帯。ステラは分かっている。恐怖のあまり、それ以上は鳴き声が出ないのがもどかしい。思わず、顔をぶんぶんと左右に振った。ニトランは掲示板にはりつけになり、目を閉じてぐったりしている。黒猫のすぐ前方に不破の罠が待ち受けていた。
不破という男は用心深い。小学校に逃げ込んだ理由は、人質のミントを餌にしてニトランらをはりつけにし、皆殺しにしたかったからだ。もう一つの理由があった。そこへ来る猫にも特別の危険な罠をしかけた。そういえば、そこだけ地面の色が淡い。不破は穴を掘り、薄い紙と少しの砂で覆った。やって来る猫を穴に落とし、致命傷を与えるつもりで。
「剣山ではないが、穴の中にはたくさんの注射針が獲物を待っている。針先は天を向くようにして。病院の裏に捨てられた使用済みの注射針を、盗んでおいてよかった。こうして役に立つ。細工は流々だ。上を通れば、通った獲物は薄い紙ごと下に落ちる。穴に落ちたが最後、落ちたものは注射針の餌食となるはずだ。ずぶりと体を射抜かれる様子は楽しみだ。どうだ? すごいだろう」
不破はしかけを自ら解説し、悪らつぶりを自慢した。横を向き、ケケケケとまたしても不気味に笑った。
ステラは「ああ」と小さく呟き、また目をつむった。黒猫の悲鳴が耳をつんざく――。
しかし、実際には、甲高い鳴き声だった。
「えっ?」
ステラはそっと目を開けた。落とし穴の罠にかかったのは一羽のハトだった。ハトは体中を串刺しにされ、絶命した。上空から舞い降りたのだろう。ハトは哀れにも身代わりとなって血を流し、死んだ。あと少しのところで、助けに来た黒猫に危険が及びそうだった。黒猫は針山の手前で立ち止まり、無事だった。
「こ、これは」
天を向く無数の注射針と犠牲になったハトを見て、黒猫は目を見開いた。
「このぉ、不破め。残忍な悪魔」
黒猫は恐ろしい目つきで不破の方を睨みつけた。「私を針の山で殺すつもりだったな」
「ふん。もうちょっとだったのに。ハトが死ぬとは、おまえも運のいいヤツだな」
不破は地団駄を踏んで口惜しがった。
「それ! みんな、不破にかかれ」
黒猫は勇ましく言い放った。
すると、野良猫が大挙して集まり、針山の脇を通って不破のところへ猛襲した。
野良猫は不破を蹴散らし、ニトランらを救出した。掲示板に留めていた粘着テープを外し、三匹の猫を自由の身にした。
不破は野良猫の大群に弾き飛ばされ、尻もちをついた。
野良猫を指揮する黒猫を指さし、不破は言った。
「おまえの正体を私はよく承知している。ヒジキ。そうだな?」
ヒジキ――ステラはその名を繰り返した。あっ、と思い当たった。今、匂いの記憶と名前が一致した。よく見ると、黒猫の目は大きくて丸い。尻尾も太くて短い。
ヒジキと呼ばれた黒猫は、顔色一つ変えない。
「ヒジキとしては、久しぶりだな。私のところに来れば、高く売れたものを」
不破は口をすぼめ、ペッとつばを吐いた。
ニトランとミント、ステラはヒジキと野良猫の一群に合流し、不破を征伐するために戦いを挑んだ。野良猫たちは何重にもなって不破を取り囲んだ。びっしりと包囲し、尻をつく攻撃目標に次から次へと飛びかかる。頭から足先まで猫たちに覆われ、不破は手も足も出ない。
「うわぁ」
不破の情けない叫びはかき消された。猫たちは闇の中で不破に群がり、狂ったように攻め立てた。不破は夜の闇よりも真っ黒の毛むくじゃらとなり、彼の悲鳴が小学校に轟いた。猫たちは不破の顔を引っかき、耳や鼻にかみついた。何匹もの猫が五指に食らいついて離さなかった。彼らは容赦なくラスボスの体を傷だらけにした。
本来の野性に目覚めた野良猫たちはメガネを取り払い、無防備な目をつぶしにかかった。化け猫ジマを操った不破はどうすることもできず、されるがままになった。たまらなくなり、必死に抵抗を試みたが、虚しかった。両手は猫たちにふさがれ、まるで自由がきかない。やられっぱなしでいたぶられ、哀れな人形と化した。片目をつぶされる時、大きな衝撃と激痛が走ったのだろうか。獣のようにおぞましくほえて暴れた。
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