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「ちょ、坪野先生。何ですか一体!」

「お前が書庫に来なくなったからだろ」

「……」

「来いって、言ったよな」



 連れて行かれた先はやっぱり書庫だった。


 周りに誰も居ないことを確認して足早に中へ入る。

 先生は入ると速攻鍵を閉めて、私を抱き締めながら勢いよくキスしてきた。



「なっ……!」



 見た目は“いつも通り”の坪野先生。

 先生の眼鏡が邪魔で気になり、閉じていた目を薄っすらと開いた。


 すると、何故か先生と目が合う……。


 同じように目を開いていた先生は、眼鏡越しに鋭い眼光で私を見つめていた。



一日ひとひこそ 人も待ちよき ながを かくのみ待たば 有りかつましじ」

「……え?」

「1日なら、人を待つのはかまわない。でも、こんなに長く待たされたら、とても耐えられない。……この和歌で言う“長く”とは、数週間や数か月のことを指しているわけでは無い。だが、この和歌が思いつくくらいに……“俺”はお前を待っていた」

「……」


 “いつも通り”の姿で“いつもとは違う”口調で喋られると調子狂う。

 どちらも坪野先生だということは分かっているのに、今目の前に居る人は……全く知らない人のような感覚がしてどうしようもない。



「せ、先生はどういうつもりですか」

「どうって」

「たまたま書庫で遭遇してしまっただけの私に、き……キスまでして。これが罰だと言うのですか」

「……」


 少し首を傾げて黙り込んだ先生。

 ……ほら、先生にとっては“その程度”ってこと。



 そう思うと何だか悔しく思えて、涙が少し滲む。


 私ばっかりが気にして、馬鹿みたい。



「……もう良いです。離して下さい」



 そう呟いて先生の体を押すと、さらに強く抱き締められてしまった。

 逃げられない、力強い先生の抱擁。


 押しても……びくともしない。



「お前、本当に“たまたま遭遇したから”って思ってんの?」

「え?」

「たまたま遭遇した人にキスしたら、ヤバすぎるだろ」

「……」


 むしろ、そうとしか思えませんでしたけれど!?

 この人ヤバいと、何度も思いましたけれど!?


 返す言葉が見つからなくて口をパクパクしていると、また唇を塞がれた。


「“文芸部部長”が気になっていた。って言ったら、どうする」

「……は?」

「お宅の顧問から『鍵は文芸部部長が所持』『部長は書庫に置いてある書籍をたまに見に来る』という情報を貰っていたとしたら、どう思う」

「…………」


 この人の言っている意味が全然分からない。


 意味不明過ぎて呆然と先生の顔を眺めていると、意地の悪そうに口角を上げた。


「書庫に来るのが、お前だけだと分かって過ごしていた。お前なら、本当の“俺”を知られても良いと思ってな」

「……授業以外の接点が無かったし、大体その姿、見られたくかったって言っていたじゃないですか」

「それはそういう設定だ」

「設定……」


 なんて言われて、そうなんですね……とはならない。


 この人は本当に何を言っているのだろう。

 


「しかし……あれだ。“俺”はずっと気になっていた。1人だけ2年生の部長。一生懸命、物事に取り組む姿勢に妙に惹かれてな。しかも文芸部だろ。“俺”は国語教師だからさ、親近感なんかも抱いたりして」


 そう言ってまた、唇を塞ぐ……。


 ついばむようなキスを繰り返し、またチュッと音を立てながら離れる先生。


「やっぱり、甘い」

「そ、その甘いって何ですか。私がチョロイと言う意味ですか」

「違うわ」


 先生はまた私の顎に手を添えて、クイッと上を向かされる。そして唇を優しく撫でて、また意地の悪そうに口角を上げた。


「藍原の唇が甘いってこと」

「……甘いものなんて食べていませんけれど」

「そういうことじゃねぇよ、バーカ」



 カプッと唇を甘噛みされ続け、最後に軽く舐められる。優しい唇の動きに、心臓がドキドキしてしまう。



「……けれど、先生。私は先生のこと興味も関心もありませんけど」

「まぁ、そうだろうな」

「……」

「だけどさ、キスは嫌じゃないだろ?」

「……」

「抵抗しないのが全てだよな」



 私から離れた先生は眼鏡を外し、ポケットからヘアピンを取り出して、髪を適当に掻き上げた。

 そしてネクタイも少しだけ緩めて、本日何度目かの意地の悪そうな笑みを浮かべる。



「キスから始まる恋も悪くないと思わない?」

「……え?」

「恋の始まり、ゼロ距離。恋愛感情は後からで良いよ。その方が燃えるから」




 なんて訳の分からないことを言った坪野先生は、また口角を上げていた。





 この人、やっぱりヤバい……。



 そう思った時には、やっぱりいつも遅かった———……。











恋の始まり、ゼロ距離。  終






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恋の始まり、ゼロ距離。 海月いおり @k_iori25

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