第8話 大団円
高橋の小説は、SFっぽいものであって、その話としては、
「日本人というものが、宇宙人に狙われた」
というところから来ていた・
元々その発想が出てきた原因としては、まず、
「人間消失事件」
というのが、
「日本にだけ起こった」
ということであった。
もし、他の国でも興っていれば、それこそ、
「陰謀論」
のようなものが渦巻き、
「何を今さら」
ということであった。
昔のような、共産主義国の威信から、誘拐ということでもなく、消失する理由が分からない。
しかも、日本だけということで、日本人が狙われる理由が分からなかったのだ。
そもそも、
「日本が狙われているのかどうかも分からない」
ひょっとすると、
「日本のどこかの組織が、何かの目的で暗躍しているのかも知れない。
もしそうであれば、
「これは、誘拐ではなく、自作自演の何かの作戦なのかも知れない」
とも考えられるであろう。
だから、一概に、大きな騒ぎにすることもできないというもので、緘口令を敷くというのも、無理もないことだ。
いたずらに騒ぎを大きくして、最後に、日本という国に、何かの犯罪組織があり、国家が認識できていないということで、本当にどうすればいいのか? ということになるのであろう。
高橋は、この話において、一つ考えたのは、昔の特撮ドラマであった発想の中で、
「人間消失事件」
というものがあったが、それは、2つの話で使われた発想であった。
脚本家が同じだったので、もちろん、同じような話になっても仕方がない。ただ、発想としては面白かった。
片方は、宇宙人がやってきたという、普通の侵略なのだが、片方は、
「未来が、別の星にある」
というどちらかというと、
「時空の捻じれ」
のような話であった。
この話は、
「宇宙あるいは、未来人が、
「若い労働力というものが不足している、それを求めて、人類の肉体に活路を見出し、赤い人を、自分たちの世界に連れて帰るという話だった。
「その後、どうするのか?」
ということは、ハッキリとしていないが、たぶんであるが、
「人間を奴隷同然にこき使う」
ということだったのだろう。
さすがに、それをあからさまにいうと、問題になるからであり、問題はそこではなく、今から半世紀以上も前の特撮番組で、よく、今問題になっている、
「少子高齢化問題」
のような、
「若い肉体」
というものを欲しがるということになったのか?
ということである。
その脚本家が分かっていたということであろう。
時代としては、やっと、テレビが普及してきて、
「そろそろ、カラーテレビが出てくる」
というそんな時代である。
その頃は、労働人口は充分にいたはずで、逆に、今でいう、4、50歳と言われる年代は、
「戦争で、戦士している人の多い年齢であって、世の中は、まだまだ若い人が多かったという時代であったはずだ」
だから、働き手は充分にあり、人手不足ということもなかっただろう。そんな時代によく、
「人類の若い肉体をほしい」
という宇宙人であったり、未来人というものを創造できたのか?」
ということである。
それを思えば、
「なぜ、そのことが結びついたのか分からないが、トランスジェンダーとしての、性同一症候群のような発想が、世界でも見られるが、日本の場合は、何か特別な感じがしてくる」
ということで、高橋は、
「何かが下りてきた」
としか言えない発想が頭に浮かんだということであった。
それは、かつての、脚本家にも言えることではないだろうか?
自分でしか発想できないような世界が目の前に広がったのかも知れない。
逆にいえば、
「未来の発想が浮かんでくる瞬間というのは、誰にでもあるものなのかも知れない。それを、自分が逃さずに、一つの形として残すことができるか?」
ということが、素晴らしい小説を作ることができるかどうかということの分かれ道だと言えるのではないだろうか?
高橋のそんな発想が、いかに、世の中において、
「先天性があるものか?」
と思えたのだ。
だから、この、
「人間消失事件」
という発想を、高橋ができたのは、
「この発想と同じものが、50年後に、問題となるかも知れない」
とさえ思ったのだ。
「そもそも、50年後に地球が存在しているのか?」
ということも分からない。
もっといえば、
「未来において、繰り返す50年周期の発想がなくなると、世の中は、どうしようもなくなり、未来が誰にも見えなくなることで、本当に未来というものがないということになるのではないか?」
ということであった。
「繰り返す」
という期間が、
「何年になるのか?」
ということが分かるわけはない。
未来が見えるのであれば、それは、いわゆる小能力者ということであり、
「超能力者というものは、自分でその自覚がある」
というものだ。
その時代に受け入れられないこともたくさんある。
「それでも地球が回っている」
と言ったガリレオであったり、予言者と呼ばれる人たちが、いかに素晴らしい発想を持っていたとしても、どこか皆が納得できる発想でなければ、その時代で受け入れられないということになるのだ。
そういう意味で、
「数十年で繰り返される」
ということは当たり前のことのように感じられ、
「周期というものが、ただのブームというだけではなく、人間にとっての、文明の筋道である]
ということになるのではないだろうか?
それを考えると、
「日本人が、衆道の時代を戦国時代から培ってきたということを、皆、タブーのようにあまり言わないということの中にこそ、日本人の何か、言い知れぬ力というものが潜んでいる」
と言ってもいいのではないだろうか?
そして、高橋の作品は、
「日本人が戦争を起こすのは、戦争好きの宇宙人が、地球にやってきて、日本における武士道と同じ発想であることから、お互いに共感し、それで、それぞれの群雄に、宇宙人の群雄が結びついて、あのような戦国時代が出来上がったということだ」
と考えた。
だから、日本人というのは、
「大東亜戦争に負けたことで、日本が平和国家になった」
というのは、宇宙人にとっては困ることであり、実は、かつての戦争、戦乱という日本人の血を何とか思い出させるという発想から、
「人間を誘拐し、そして、彼らの星で、日本という国の考え型を、もう一度洗脳させる」
と考えたのだ。
そして、実際に、彼らはしばらくすると、
「誘拐した人を戻してくる」
ということなのだった。
日本人は、そんな宇宙人というものの存在を知らないことで、
「戻ってきたのだから、よかったよかった」
と楽天的に考える。
これは、
「何かの犯罪があった時、証拠の品をどこかに隠すとすれば、それは、一度警察が調べたところは、絶対に安全だ」
ということで、まるで、
「石ころ」
のような発想を抱かせるということになるのであろう。
それを思うと、
「宇宙人の存在を知っている人が、一定数はいる」
というのが、この物語のミソであった。
宇宙人が返してきた人間というのは、実は、
「相手の星の人間が、替え玉となって戻ってきている」
というだけで、彼らが、
「何かの工作に走る」
ということであれば、それは、
「日本人に対しての挑戦であり、もっといえば、他の国の人に対しての、遠回し的な挑戦ではないだろうか?」
ということであった。
「自分のまわりにいる人間を、相手が誘拐して、その人に、相手の星の人が化けて、入れ替わっている」
という発想が、実は、一つの症候群として研究されているという。
それを、
「カプグラ症候群」
といい、同じ特撮番組で、似たような発想があった話もあった。
この話は、脚本家も違うのだが、どこか、高橋の話に似たところがある。
というのは、
「高橋の話が、少子高齢化という未来における社会問題を予言しているかのようであり、もう一つの話は、将来学術的に発表された症候群としての、カプグラ症候群を予知するものだ」
ということで、面白い発想となるのではないだろうか?」
それを考えると、
「日本における特撮という文化もすごかった」
と言ってもいい。
だから、
「低俗にはなりつつあるが、半世紀にわたって、アニメにしても、特撮にしても、昔のものは色あせないし、今も、そのすごさというものが、現れている」
ということになるのだ。
どんな長いものであっても、数年に一度の軽い波は訪れる。
それが、高橋の考えた一つの流れであり。それこそが、
「歴史が答えを出してくれる」
ということになるのではないだろうか?
そんな日本に住んでいる我々は、
「決して、世界にひけをとるという人種ではないということであり、一種のファシズム的な発想なのではないか?」
と考えるのだ。
「人間消失事件」
これは、日本においては、今でも起こっていることであった。
( 完 )
歴史が答えを出す周期 森本 晃次 @kakku
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