第二十九話 ハクアVSグレイ
その一撃を回避できたのは、長年姫騎士として君臨していた故の勘である。
「っ!!」
グレイより、とてつもない殺気と共に放たれた渾身の一撃。ハクアはそれを、無意識で後ろにステップすることで回避した。
からぶった剣は河を割り、大きな水しぶきを立て視界を悪くする。
「本気で来い、姫騎士――」
水しぶきに紛れるように、迫り来るグレイの二手目。
「ま、待ってよグレイ!」
それをハクアは、水の魔術で盾を生み出すことで防ぐ。
どうにか対話をしようと声を上げるが、グレイの殺気が収まることはなかった。
それどころか、その剣は確実にハクアの命を狙っている。
水の盾を一瞬で四散させ、そのまま剣先はハクアの心臓へと穿たれる。
「『氷剣』!」
間一髪のところでハクアは剣を生み出し、その一撃を防ぎきった。
「グレイ、どういうこと? 私、悪いことした? それなら、謝るから」
「本気でやろう。姫騎士」
「っ――」
対話は無理だ。
グレイの目がそれを物語っている。
だからハクアは、ぐっと剣に力をこめた。
「そ、そんな言うなら、倒しちゃうから!」
グレイを拘束し、無理矢理対話に持ち込むしかないだろう。
無傷で捕らえるのは無理だ。
だがハクアなら大抵の怪我は治せる。
ある程度怪我させるのは覚悟して、捕縛。ハクアはそのために意識を切り替えた。
ハクアという人格を殺し、姫騎士という人格をその身に宿す。
そうすれば震えは止まり、視界がクリアになっていく。
「水よ――手足となれ」
ハクアはグレイを捕縛するため、河の水を手中に収める。
天才的な魔術によって、自然下はハクアのフィールドだ。
浅く流れも緩やかな河は、あっという間に地獄と化した。
「……なるほど」
「捕らえて!」
生き物のようにうごめく水が、グレイを包み込もうと殺到する。
水で全身を包まれれば、いかにグレイといえど抜け出すことは不可能だろう。
それが水の力である。
「場を変えるか」
グレイは剣の一閃で水を弾き、一気に河から抜け出した。
クリスタ王国側の岸辺に逃れ、それをハクアは全速力で追う。
「待って!」
「はっ」
剣と剣がぶつかり合って、凄まじい覇気が周囲を揺らす。
凡人が立ち入ることを許さぬ、覇者の剣戟が幕を開けていた。
二手、三手と打ち合って、それで両者はその力関係を察する。
一年前は途方もない差があったのに、それをかなり埋められている。
グレイの強さは侮れるものではなく、果たして捕らえることができるのかと言うほどだ。
「グレイっ。なんで。こんな、ことするの」
「姫騎士殺しを果たすため」
「!」
そう答え、放たれた一撃は恐ろしい重さがあった。
氷の剣は一撃で砕かれ、ハクアは咄嗟に後ろへ身を引く。
「……強い」
そしてポツリと呟き、手加減などできない相手だと痛感した。
闘術の練度は恐ろしいほど高まっており、ハクアについていける力がある。
そんなグレイを捕縛など、超難易度の任務だろう。
「やる、しかない」
故にハクアは、ある程度大怪我させることは覚悟した。そうでなければ、捕縛は不可能。
それを数手で察したハクアは、魔術を練り上げる。
「むっ――」
「奥義――『魔王降臨』」
ハクアに向かって踏み出したグレイは、その魔術に足を止め、天を見上げた。
月下に闇が溢れ出し、異界より魔の王が降臨する。
ハクアの奥義は世界一。かつて一万の兵を皆殺しにしたその奥義が、たった一人に向けられていた。
誰もが恐怖する魔王の威圧。しかしグレイは、無表情でそれを見上げる。
「グレイ、止まって。降参したら、今なら止められる」
「否――」
「っ!」
ハクアの脅しは一切通じず、故に断腸の思いでハクアは魔王へ命令する。
「穿て! 殺さないように!」
「ゴゴゴゴゴ――アアアアアアアア!!」
魔王は闇色の光を集めると、たった一人に向けて解き放った。
殺すほどの力はない。しかし動くことができぬほどの怪我は負うだろう。
ハクアはすぐさま治すつもりだが、最愛の人を傷つける事実に心臓が痛いほど鳴っている。
「……奥義」
だというのに当のグレイは、じっと空を見上げていた。
それは魔王ではない。その上だ。グレイは呑気に月を見上げていた。
満月を見つめるグレイに対し、魔王の光は容赦なく襲いかかる。
無論逃げられるものではなく、呆気なく闇色の光にグレイは包まれた。
「グ、グレイ――」
ハクアはすぐさまグレイに駆け寄り、捕縛し癒やそうと魔術の準備をする。
だが闇の残滓が晴れたそこには、変わらずグレイが立っていた。
「――『
「えっ――」
だがそれは、果たしてグレイであると言えるのか。
背丈は三メートルまでに伸び、肉体は筋骨隆々だ。そしてそれは人の体ではなく、獣の体。
グレイの面影は残しつつも、その姿は二足歩行のネコ科の獣。
化け物が、そこにはいた。
そんなグレイは、じっとハクアを見つめていた。
「なに、それ」
「さあ、死合うか」
ハクアはそこで、初めてマヌル人を知った。
これが、バルカンの恐れた力だ。
いずれ破滅を呼び込むと恐れ、獣と罵倒し、皆殺しにして消した力。
かつての王も、前王も、もれなく恐れたマヌルの奥義。
『暴獣変化』は最古の血に働きかけて、膨大な力を得るものだ。
グレンザーが化け物と評したグレイが、その奥義を月の下で発動させたなら、どれほど恐ろしい力になるか想像に難くないだろう。
「しっ」
「! 『氷剣』」
反応するのがやっとだった。
グレイの拳がハクアへ届き、どうにか氷剣で受け止める。
だがそれも一撃で粉砕され、ハクアは宙を舞った。
「くっ。『水よ、踊れ。火よ、燃え上がれ。風よ、切り裂け』」
どうにか受け身をとり、迫り来るグレイに対し魔術を放つ。
もはや手加減など考えない。全力だ。全力を以て挑まねば、グレイを止めることはできないだろう。
「…………」
水がグレイへと迫った。手を振るだけで四散させた。
火がグレイを包み込んだ。気にすることなく歩いていた。
風がグレイを切り裂こうとした。その鋼鉄のような毛皮には、傷一つつかなかった。
人間がくらえば一溜まりもないその魔術達が、効いている様子が一切見受けられない。
「なんで……」
これがグレンザーが夢見た最強の姿。
そこへ到達したグレイは、ハクアの攻撃すらものともしない。
グレイを止めるためには、これ以上が必要なのだろう。
「グオオオオオオオオオオオッ!!」
グレイは咆哮を上げ、それにより空気が揺れる。
ハクアもビクっと体を震わせ、獣の恐怖を全身で感じた。
あれは本当にグレイなのか。
明確な殺意を持ち、本気でハクアを殺しに来るこの獣が、本当にグレイだと言えるのか。
「っ何もわからないまま、死ぬなんて嫌だ!」
ハクアは己を奮い立たせ、グレイを強く睨みつけた。
グレイを捕縛し、対話するためには、多分本気でやらねばならない。
別にグレイに殺されるならハクアはそれで良いのだ。
愛しい人を殺すぐらいなら、自分が殺される方を選ぶ女だ。
しかし、グレイとの思い出が汚されて終わるなど、あっていい話ではない。
ハクアの知るグレイは、とても優しい英雄だ。
間違っても、誰かを殺すことを望んでやる男ではない。
だからこの姫騎士殺しの意味を、明らかにせねば死んでも死にきれない。
「グレイ、本気、出すから」
「ああ。そうでなければ、いけないな」
ハクアはより深い力を解き放つ。
本来人には向けちゃいけないと、封印していたそれをグレイに向けた。
「グレイ!!!」
戦うのは怖いこと。
誰かを傷つけるのは大嫌い。
魔術を放つ度、ハクアは罪を抱える気がした。
でもこの戦いは、何かが違う。
それは多分――
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