第三十話 姫騎士の終わり

「これはどういうことだ。もう、訳わかんねー」

「まったくですね。カストロンさん」


 その光景は、凡人にとって立ち入ることすら許されぬものだった。


 カストロンも、その部下達も。数多の兵士や騎士達も、その光景をただ呆然と見つめている。

 ハクアとグレイ。二人の最強は、河を割り、天を割り、地を割る。


 今までの戦争が、ただのおままごとにしか思えなくなる神話のような戦いだ。


「グレイ。帰って来たと思ったら、何でハクア様と戦ってるんだ? 俺は馬鹿だからよくわかんねえよ」

「馬鹿だとかもう関係ないと思いますよ」

「そうか? そうかも」


 そう言い合ってカストロン達は笑う。

 もう笑うしかなかった。

 己の力及ばぬことが起きれば、人間笑うことしかできなくなるというのは本当なのだろう。


 故にカストロン達はただただ巻き込まれぬように観戦に徹し――


「――ようやく、たどり着いたぞ!」

「うえっ!?」


 猛スピードで突っ込んできた馬車に、一切気づかずカストロン達は悲鳴を上げた。


「な、なんなんだ」

「っ――! これは一体どういうことだ! ……む?」

「あ、えっと確か……グリシャ様?」

「貴様は……カストロンとか言ったか」


 戦場に突っ込んできた一台の馬車から、舞い降りたのはこの国の第四王女。

 グリシャ・G・クリスタは、怒鳴り声を上げながらドカドカとカストロンへ近づいてきた。


「これはどういうことだ? グレイの目撃証言を追っていつの間にかここまで来てしまったが、なぜ姉さまとあのクソ馬鹿間抜けアホチン男が戦っているのだ!!」

「お、俺もわかんない! です。というかグレイを罵倒しすぎだ」


 グリシャは怒っていた。

 ただでさえグレイのことは嫌いだが、あろうことか一年ぶりに顔を見せてハクアと殺し合うなど、もう我慢できない。


 このまま処刑してやりたいほどグリシャははらわた煮えくり返っている。

 今グレイが真っ先にしないといけないのは、ハクアへの土下座と謝罪である。


「い、今すぐめるのだ。殺し合いなんて幸せになれるはずがない!」


 グリシャはそう叫ぶが、だとしても誰も動けない。

 あの戦いに割り込む力がある者など、残念ながらこの場にはいなかった。


「くっ。ならば私が――」

「止めときなさい。君にはその力はないよ」

「っ!?」


 そしてグリシャが動き出そうとしたところで、誰かの声が聞こえてきた。

 その声がするまで、誰も存在に気づけない。慌ててそこに全員の視線が集中し、カストロンは目を見開いた。


「うえっ? なんで師匠が?」

「やあカストロン。久しぶりだね」


 そこに立っていたのは、グレイの師匠にしてマヌルの英雄グレンザーだ。


「き、貴様は何なのだ?」

「朽ちた英雄さ。僕は新たな英雄の誕生を見に来た」

「……っ、あれがそうだとでも言うのか?」


 グリシャは二人の戦いを指さして叫ぶが、グレンザーは穏やかにほほ笑んだままだ。


「そうだ。愛する二人の逢瀬を、邪魔しちゃいけないよ」

「っ!」

「見ているんだ。目に焼き付けるんだ。全員ちゃんと、あの戦いを目を凝らして見ていろ!」


 グレンザーは指をさした。


「姫騎士殺しの目撃者になるために」



 ◇



 魔から生まれたクリスタ人――


 泥から生まれたアザール人。

 泡から生まれたクルル人。


 そして獣から生まれたマヌル人。


 グレンザーは四人種すべて、ロクな生まれじゃないと断言した。

 そこに貴賤は存在せず、本来全部似たようなものだ。

 だから差別なんて馬鹿らしい。全員軒並みロクでもないなら、平等に生きられるはずだ。


 『暴獣変化』はそれを教えてくれた。


 マヌル人の中に眠る最古の血を覚醒させ、獣の力を得る奥義。

 かつて神の下で平等だったというその時代の景色が、グレイの目には見えるようだった。


「この力で、必ず作ろう」


 グレイは平和を目指している。


 自分自身が地獄で生まれて育ったから、それをなくしたいと考えた。

 全員で幸せになるのが一番良い。それが途方もない道のりだとわかっていても、グレイはそれを目指している。


 そのための第一歩は、一番近くの人を幸せにすることだろう――


「グレイ! グレイ! グレイ!」


 ハクアの魔力はどこまでも高まる。

 まるで果てがないようで、人外の力とはこういうものを言うのだろう。


 一万の人間を殺した力すら、ハクアの底ではなかった。

 姫騎士の力はどこまでも英雄に相応しい。全てを薙ぎ払う、圧倒的力を感じる。


「ああ。最高だ。ハクアは、俺に見せてくれるんだろう。底の底を。だからこそ、〝姫騎士殺し〟は映えるものだ!!」


 膨大な魔力がハクアから放たれ、それは他者を薙ぎ払う力となる。

 しかし暴獣変化により力を得たグレイは、その魔力の渦の中で笑っていた。


 全身に痛みを感じる。しかし最古の血は死を否定する。

 人外である姫騎士に、グレイの力は確かに届く。


「『魔砲』!」

「ふんっ!」


 ハクアより放たれた魔力の砲撃を、グレイの肉体は真正面から受け止め打ち消す。

 そのまま一気に踏み込んで、ハクアへと跳躍した。


「グオオオオオオオオオ!!」


 鋭い爪が、ハクアへ届く。


「っ! やああ!!」

「無駄だ」


 ハクアは必死で攻撃してくるが、グレイの爪はその全てを切り裂く肉迫する。


「ああ――」


 ようやく、届いた。

 姫騎士という頂点にグレイは届き、その座を奪い取ろうとする。

 あの日の、約束を果たそう――


「終わりだ」


 全てを切り裂いて肉薄するグレイを、これ以上止める手立てがハクアにはない。

 姫騎士という絶対的最強へ、届く爪をただただ見ていた。


「とっても、強いね。グレイ」


 そしてハクアは、その光景に安心するように笑ったのだ。


 一瞬でグレイはハクアを押し倒し、そのまま地面に組み伏せる。

 鋭い爪をそっとハクアの首元に突きつけて、勝者と敗者がここで決した。


 ハクアはもう、抵抗しない。

 だって初めて戦いを楽しいと思えたから。


 戦いが怖くないのは、グレイが受け止めてくれると信じたから。

 傷つけることは嫌いだけど、グレイは傷つかないと信じられた。

 魔術を放つたびに、一人じゃないんだって確信した。


「ようやく、成した」

「…………」


 そう呟いたグレイの顔を見て、ハクアも笑った。


「ごめんな。……こうでもしないと、示せないと思った」

「……ううん。ありがとう」


 愛する人であるからこそ、グレイの意図をハクアは汲み取る。

 やはり彼は最初から最後までずっと優しい人だ。誰かのために戦い続けて、誰かのために生きられる人。

 獣に変化しようと、その内はなんら変わっていない。


「奪いに来て、くれたんでしょ。私から、英雄の座を」

「ああ。奪えたか?」

「うん。奪えた。ありがとう」


 ハクアはそっとその体へ抱きついた。

 奥義によってもふもふとした毛皮に顔を埋め、笑い、そして泣く。

 グレイもまた、傷つけぬようにそっと抱き返し、二人は地べたに座って長い長い抱擁を交わした。


「姫騎士は、俺が殺した。死した英雄が、国を守ることなんてできやしない」

「……うんっ」

「これからは、俺がハクアを守る」


 その台詞に、ハクアは大粒の涙を流しながら泣き続けた。

 ずっと抱えていた苦しみが、ようやく消えてくれたように。

 愛する人が、助けてくれたことに感激するように、いたのだ。


 この日初めて、姫騎士は敗北した。

 クリスタ王国を支え続けた英雄は、新たな英雄に負けて、表舞台を去ることになる。


 その景色を、多くの者が目撃した。

 クリスタ王国の兵も、アザール帝国の兵も、それを見て、姫騎士が終わったことを理解した。


 築かれた偶像は崩れ去り、不敗神話は崩壊する。

 偶像たる姫騎士は、今日この日死んだのだ――

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