第二十八話 〝姫騎士殺し〟

 戦場というのは地獄である。

 一年という歳月を経て慣れたと言えども、ここが地獄であるという事実は変わらない。


 マヌル人のリーダーカストロンは、戦場に漂う嫌な臭いに顔をしかめながら、隈がくっきりと浮いた目元で疲弊した兵士達を見渡していた。


「……いつまで、続くんだよ。これ」


 そして弱音が零れるように、カストロンの口からは今への悲鳴が聞こえてくる。

 元気で明るく、馬鹿な男と言われたカストロンの姿はそこにない。

 戦場に揉まれ、一人の戦士になった男がそこにはいた。


「カストロンさん……二人死にました」

「そうか……またか」

「ええ。またです」


 仲間が死んだことに、何の感情もわかなくなった自分が嫌になる。

 毎回戦いが起こるたび、数人仲間が死んでいくのだ。


 無論この戦争の規模を考えれば、非常に少ない戦死者数だ。

 だがそれが毎回のように起これば心は疲弊し、麻痺し、落ちていく。

 カストロンは、落ちた己が大嫌いだ。


「姫騎士様が……全部、倒してくれれば良いのに」

「そうだな……でも、無理なんだろうな」

「そうなんですか?」

「ハクア様はもうボロボロだ。いつ壊れるのか。もう壊れているのか。その時が来たら、俺達の負けだぜ」


 カストロンの言葉に、報告をしていた男は目を伏せた。


「下らないですね。いろいろと」

「まったくだ」


 クソみたいな現実に、もう二人は笑うしかなかった。


 アザール帝国とクリスタ王国との戦争が膠着状態になってから一年。

 少しずつ、少しずつ敗北へ近づく気配がしていた。


 本来は両国の間には戦力差が存在する。

 国を挙げ、全兵力を持って攻めてきたアザール帝国に対し、レベルカやグレイといった圧倒的個を欠き、国王交代のゴタゴタもあって一枚岩になれず、バルカンがボロボロにした王国軍しか持たぬクリスタ王国だ。


 本来負けているのが自然な状況を、拮抗させているのが姫騎士ハクアの存在だった。


 だがハクアはアザール帝国の軍を追い返すが、それ以上はしない。

 死者は少なく、故に戦いは長引き続ける。

 これはハクアが人を殺せないから起きた状況だ。


 クリスタ王国軍がどうにか盛り返すか、アザール帝国が諦めてくれるか。

 そうでなければ終わらない下らない状況だった。


「早く、帰りたいですね。子供、まだ小さいんですよ」

「そうだな。俺もだ。俺も、帰りたい」

「グレイさん、どこ行っちゃったんでしょうね」

「まったくだな。あいつが、あいつさえいれば、終わったかもしれないのに」


 みなが、グレイの再来を望んでいた。

 彼は英雄だ。グレイがいれば、この戦況を変えていたかもしれない。


 全員を纏めて、一気に攻勢に出て、そのまま勝てたかもしれない。

 そう思えるほどのものを、持つ男だった。


「……あ」


 ふと、カストロンは顔を上げた。


「どうしたんですか?」

「臭いがする」

「何のですか?」

「…………」


 カストロンは、ボーッと戦場を見渡した。

 大河を挟み、一年の時を経て堅牢になった両軍の陣地。そのアザール帝国軍の方から、カストロンは臭いを感じたのだ。


「今日は満月。夜が来る。マヌルの血が騒ぐんだ」

「……?」


 カストロンはじっと、臭いの方向を見つめていた。



 ◇



 怖い、怖い、怖い、怖い――


 恐怖が全身を支配して、動くこともままならない。

 体は震え、言葉を喋ることはできない。

 堅牢な個室の中にいて、ようやく息をすることができた。


 ハクア・G・クリスタはボロボロだった。


「グレイ、グレイっ……どこ、行ったの。怖い、よ。戦いが、終わらない。なんで、こんな、残酷なこと、できるの」


 堅牢な個室。部屋の隅のベッド。そして大量の毛布の中で閉じこもり、ハクアは恐怖と戦っていた。

 戦い、力を振るい、誰かを傷つけるたびに、落ちていく自分の姿を感じる。


 それでも守るために戦い、人を傷つけねばならない。

 ハクアは優しい子だ。本来そんなことできないのに、力を持ったからやるしかない。

 でも非常に不安定なハクアは、いつまでもそんなことできやしない。


 何よりアザール帝国が、ハクアを壊そうと行動するのだ。


「――ハクア様」

「ひっ。……な、なに。また、戦い?」

「いえ、夕食をお持ちしました」


 扉の外から使用人の声が聞こえるだけで、ハクアは怯えて体を震わす。

 アザール帝国がまた攻めてきたのではないかと、怖くて怖くてしかたなかった。


「そ、そこ。おい、といて」

「……わ、わかりました」


 使用人は食事を置いて、去って行く。しかしハクアは、その食事を取りに扉を開けることができなかった。


 扉の向こうには、戦争があるからだ。


「……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいっ――」


 アザール帝国は、ハクアという少女を理解していた。

 だから、心を壊す戦いをするのだ。


 ハクアが他者を傷つけることができない少女であるとわかれば、兵士に民間人の恰好をさせて最前線に立たせたり。

 ハクアが殺してしまった者の子供を連れてきて、その恨み言を拡声器を以てハクアの耳まで届かせる。


 アザール帝国は幾つもの策略により、ハクアの心を的確に壊し、姫騎士を殺そうとしていた。


「はぁ、はぁっ。グレイ、助けて。グレイ、どこ。グレイ、グレイ――」


 もう、姫騎士ハクアの終わりは目前だ。

 グレイがいれば、変わっただろう。しかしグレイがいないから追い詰められる。


 クリスタ王国が姫騎士に頼らぬ軍を作るその前に、ハクアが潰れて全てが終わる。

 そんな現状が、今はあった。


「あ、う……?」


 そんな中、ふとハクアは泣くのを止めて、何かに集中しだした。


「…………グレイ?」


 ハクアは最愛の人の名を呟いて、ゆっくり毛布の中から顔を出す。


「グレイ?」


 ハクアはじっと、どこか遠くを見つめていた。

 堅牢な壁の向こう側。とても遠くの景色に意識を向ける。


「グレイ……」


 ハクアは扉を開け、外に出た。

 使用人が持ってきた食事など目もくれず、陣地に奥に建設されたハクアの部屋を出て、戦場へと駆け足になる。


「ハクア様!? どちらへ!」

「グレイ!」


 使用人や護衛の騎士達が制止するのも振り切って、ワンピースにサンダルという凡そ戦場に似つかわしくない恰好で走った。

 兵士達も何事かとハクアを見るが、そんな視線もハクアは感じない。


 前線に建設されたバリケードも飛び越えて、両軍の間にある大河に出た。


 月明かりが戦場を照らす。

 息を荒げたハクアは、その河の向こうからやってくる人物に、目を見開いた。


「グレイ……っ」


 ハクアが見紛うはずがない。

 黒の外套を羽織り、灰色の髪をたなびかせ、鋭く黒い瞳の青年。ハクアが愛し、ずっと求め続けた男が、そこにはいた。


「グレイっ!」


 ハクアは感情の高ぶりのまま一気に駆け出して、河に足を取られることも気にせずグレイへ駆ける。

 そのままグレイへ抱きつこうとして――


「姫騎士、見つけたぞ」

「っ――」


 恐ろしい殺気を、グレイから感じた。


 ハクアは慌てて足をとめ、じっとグレイの顔を見る。

 間違いなくグレイだ。ハクアが世界で一番好きなグレイだ。

 でも、その殺気はグレイじゃない。


「な、なんで? グ、グレイどこ行ってたの。心配したよ、寂しかった」

「…………」


 ハクアの問いかけに、グレイが返答することはない。

 そっと剣を抜き、ハクアへ突きつけるのが返答だ。


「なに、これ」


 ハクアはそう言うが、これは知っている。

 初めて会った日。グレイとハクアが殺し合いをしたあの日に感じたものと、同じだ。


「姫騎士」

 

 ──あの日果たせなかった約束を果たそう。


 誓ったはずだ。


 大切な人のため、グレイはどこまでも戦い続ける。


「必ず殺してやる――姫騎士」


 グレンザーの導きのまま、姫騎士殺しが今宵始まる。

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