第五話 反撃の糸口
一旦話を整理しよう。
医者の老婆が言うには、ハクアには思考誘導の呪術が掛けられているらしい。
それをなしたのはアザール人。だが敵対しているアザール人が、ハクアに呪術を掛ける機会はほぼない。
ハクアほどの存在を呪うには、触れあえるほどの距離でなければならなかった。
しかしアザール人がハクアに触れたことは、過去一度もなかった。
ならば結論として、身内と信じていた者の中にいたのではないか。そう老婆は言う。 他人種と言っても、目の色さえ隠せば偽装は可能だ。
以上の点を踏まえた上で、思考がクリアになったハクアは一人の人間を思い浮かべた。
「レベルカ……さん」
全ての条件に当てはまる、第一騎士団の団長レベルカ・アーナ。その名をハクアは口にする。
国王バルカンの懐刀とも言える女傑は、常にサングラスを掛けていた。
彼女の目の色を、確認したことは一度もない。
「レベルカって騎士団長でしょ。何で?」
ハクアの呟きに、まずリズリーが疑問符を浮かべた。
王国の騎士団長がアザール人だったなど、信じられる話ではない。
「思い返せば、レベルカさんに、何かされた、記憶がある」
ハクアの脳裏に浮ぶのは、一番最初の戦場での記憶。初めて人を殺し、泣き叫んだハクアにレベルカは冷たい瞳を向けていた。
そして、何かされたのだ。
その時の記憶は曖昧だが、怪しい動きをしていたのは間違いない。
その上でレベルカは、常に目を隠している。
「レベルカさんが、アザール人。なのかな」
「そうかもな。なら第一騎士団長は、アザール帝国の間者ってことか?」
「それにしては杜撰すぎるね。間者がサングラスをかけるだけなんて」
グレイの疑問を、老婆は即座に否定した。
確かに間者と考えれば偽装が杜撰すぎるだろう。やるなら人体に悪影響があるとしても薬品を使って目の色を変える。あるいはクリスタ人を一から育てて送り込むはずだ。
「陛下とレベルカさんは、とても近しい。多分、陛下は知っている、はず」
「そう考えるのが普通か」
それが一番可能性が高いだろう。
考えてみれば、ハクアは決して姫騎士から逃げなかった。それは彼女が持つ責任感とも言えるが、呪いも多大に影響していたのだろう。
思考誘導の呪いが、ハクアに姫騎士であれと呪縛を植え付けた。
「ハクアが潰れるまで姫騎士であり続けたのも、つまり呪いか」
「だろうね。これは、他者を操り人形にしてしまおうっていう最悪の呪いさ。呪術の中でも質が悪い」
その言葉に、場は沈黙した。
姫騎士ハクアに掛けられていた呪い。それによって、ハクアは殺戮兵器に改造されてしまった。それはあまりに重い事実である。
誰もが思考を張り巡らせ、重たい空気が場に流れる。そんな中で、まずカストロンが口火を切った。
「俺は馬鹿だからよくわかんないけどよ、結構やばい事実なんじゃないか? 王様がアザール人を騎士団長にして、姫騎士様に呪いを掛けてたんだろ?」
「……まあ、そういうことだな」
「やばくね?」
「やばいな」
皆が心の内に秘めていたことを、カストロンは口にする。
これは、やばい真実である。恐らく知っているのは国王バルカンと、近しい者だけ。王国の上層部がひた隠しにする真実と言えるだろう。
知られたと気づかれれば、暗殺されることは間違いないだろう。
全てが引っくり返る、やばい情報だ。
しかし、グレイは笑った。
「やばいが、反撃の糸口になる」
「どういうことだ?」
「言っただろ。策がある。この事実があれば、不安定だった策にも道筋が見える。まだまだ茨の道だけどな」
老婆が来てしまったため、告げる途中だった一つの策。
全員で幸せになるが、困難な策が一つあった。
「……あんたまさか」
「ああ」
皆が疑問符を浮かべる中、リズリーは何か思い至り、それにグレイは小さく頷いた。
現状、ハクアを救うか見捨てるか、という二択を突きつけられている状況だ。
だが救えばグレイやその周囲が国家に狙われ、見捨てればハクアは戦場に連れ戻されて今度こそ心を完全に壊して自決する。
最悪の二択だ。どちらを選んでもハッピーエンドは訪れない。
だから、そもそもこの二択を破壊する。
こんなクソみたいな選択肢しか与えてくれない奴を、打倒するしかないだろう。
「王に代わってもらおう。それしかない」
国家転覆を狙うかのような発言が、グレイの口から飛び出していた。
◇
クリスタ王国の歴史は血生臭い歴史と言える。
それは建国当時から始まり、かつてマヌル人と戦争して全てを奴隷としたり、王位を巡る内戦なども多々あった。
その他様々なことがあり、正当に王位が継承されたことのほうが珍しいという国家である。
現国王バルカンも、第三王子という立場から兄二人を処刑して王座についた。
先代の王が次期王を決めずして突然死した故の内戦。非常に不利な立場であったが、生まれ持った強欲を糧に手段を選ばずバルカンは王位を勝ち取った。
無論その道が正しいものだったとは口が裂けても言えぬだろう。
人としてやってはいけないことも平気でやった。そうして手に入れた王位だ。
ならそんな血塗られた手段で手に入れた王座も、また血塗られた手段で奪われる。
そういうものかもしれない。
「……はあ。下らないな」
そんな自国の歴史を思い浮かべ、そう呟いたのは王国第一王子レインクルト・G・クリスタだ。
歴史を振り返る理由はただ一つ。閉じこもってしまった家族が原因だった。
「ハクア……っ」
その脳裏に浮ぶのは、愛する妹の顔だ。
戦場から逃げ出して、好いた男と閉じこもってしまったハクアを思い浮かべ、顔を歪める。
全てはレインクルトの認識が甘かったから起きた悲劇だろう。
妹が今どういう状態なのかを、兄でありながら理解していなかったのだ。
すでに壊れかけていたのに、守ることができずその結果がこれだ。
レインクルトの後悔は、どれだけ悔やもうと拭いきれない。
「まったく……母様と約束したのに。ああ。でも、ハクアを守るためには……どうすれば。いや、決まっているか」
故に、レインクルトはもう後悔したくなかった。
妹をこれ以上傷つけさせたくない。
そのための道を探し、見つけた。
バルカンは決してハクアを逃がさぬだろう。己の野望を叶える唯一の存在であり、ハクアありきで八年も準備をし続けた。
このまま一気にアザール帝国を落とそうとしているバルカンが、ハクアを逃がすことはありえない。
かつて王位を取った時のように、手段を選ばずハクアを戦場に連れ戻すはずだ。
故に、道は一つしかなかった。
――ガタっ。
「っ! ……誰だ?」
深い思考にはまっていたレインクルトは、ふと聞こえた物音に顔を上げる。
ここはレインクルトの自室。人払いをしてあり、決して誰もいるはずがなかった。
しかしレインクルトの慧眼は、何かを見抜くように一点を見つめる。
「――兄様」
「ハクア!?」
そしてその慧眼が的中したようで、空気が歪み、現れたのは最愛の妹だった。
「それに……グレイ君か」
ハクアの姿に驚きつつも、同時に現れたグレイにもレインクルトは視線をよこす。
「これは、どういうことだい? ハクア、大丈夫か? 戦場から逃げて、閉じこもったと聞くが」
「それは……。その」
その問いかけにハクアは言いよどみ、それでレインクルトは大体察する。
やはりハクアは大丈夫ではないのだろう。グレイの腕をぎゅっと掴み、不安げに揺れる瞳を見れば痛いほどわかるものだ。
「あの、レインクルト様。お願いが、あるんだ」
「……兄様」
「……そうかい」
グレイが緊張感のある面持ちで口火を切り、ハクアも覚悟を決めた瞳をしている。
それでレインクルトも、覚悟を決めた。
「兄様、助けて……」
ハクアが絞り出すように告げたその言葉。
それはレインクルトが初めて聞く言葉だ。
ハクアは絶対に弱音を吐かなかった。常に完璧であり続け、その偶像を家族ですら信じたほど。
そんなハクアが、助けを求めていた。
今にも死にそうな顔をしながら、でも死にたくないから縋るように兄に助けを求めている。
ならそれに応えずして、何が兄か。
「もちろんだ。僕に任せてくれ」
故にレインクルト・G・クリスタも、立ち上がる。
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