第二十五話 忘却すべき恋
貧民街東地区の中心にそびえ立つ大きな建物は、東地区の運営本部である。
東地区がより良くなるよう、グレイをトップに選りすぐられた者達が日夜働く場所だ。
中に入れば多くの者が行きかい、住人達も相談事があれば訪れるために常に盛況。
そんな喧騒の中で、グレイはボーっと本を読んでいた。
基本的に戦いが主な仕事のグレイは、平時だと仕事が少ない。
故にみなが忙しく働く中で、呑気に本が読めるのだ。
そんなグレイの姿に、誰もがぎょっとしていた。
「おい、グレイさん……」
「ああ。明日は槍でも降るんじゃないか?」
「珍しいな。恐ろしい」
堂々とサボる姿に呆れているのではなく、今のグレイの姿があまりにも珍しいから皆驚くのだ。
「本を読む姿なんて……始めて見たな」
「しかも礼儀作法の本だ」
「もしかして偽物なんじゃねえか?」
本を読む。そんな珍しいグレイの姿に、皆好き勝手言い出す。
グレイと言えば口も悪くガサツな男だ。それが何を心変わりしたのか、黙々とお勉強をしている。
全員その変わりように戦々恐々としていた。
それを耳に入れつつも、気にせずグレイはページをめくる。
「……ふむ、なるほど」
したり顔で頷いているが、実際あまりわかっていない。
そもそも文字を覚えたのがここ数年で、その上興味がない本となれば頭に入ってこないのだ。
お勉強は大の苦手なグレイは、苦戦しながら読書をしていた。
「……ねえ、何してんのよ。本なんて読んで」
「そうですね。グレイさん頭おかしくなったんですか?」
そんな珍しいグレイの姿に、仕事をしていた幼馴染達も呆れた顔で声をかけてくる。
リズリーはもちろん、心優しいセリアすらも変な目でグレイを見ていた。
「失礼だな。俺だって勉強ぐらいするわ」
「礼儀作法ね……姫様のため?」
他の者に聞こえないように小さな声で、リズリーは問いかけてくる。
「……外の世界とも係わることが増えたからな。リーダーとしては礼儀の一つぐらい学ばないといけないだろう」
「ふーん」
「いや本当だからな」
今までは強ければ良い世界だったが、これからはそうもいかない。国と関わるなら礼儀作法も大切だろう。
というのが一つの理由であることは確かだ。
しかし多分、ハクアのためというのが理由の大部分を占めているのだろう。
「最近姫騎士様来てないようですけど、何かあったんですか?」
「……さあな」
「突然来なくなったらしいわよ。まあ、だから未練タラタラで本なんか読んでるのよ」
「っ……」
まったく、リズリーの言う通りだ。長い付き合いの幼馴染というのは、これだから恐ろしい。
つまりグレイがやっているのは悪あがきのようなものだ。
少しでもハクアのいる世界に近づきたくて、礼儀作法の勉強をしている。そんな気休めのような悪あがきだった。
「わかってたんでしょ。こういう未来が来るってのは」
「……ああ。そうだな」
元々住む世界が違ったのだ。
本来出会うはずがなかったのだ。
こうして別れの挨拶すらなく、ぷっつり切れるような関係性だ。
どれだけ愛し合っていようと、どうにもならない運命がある。
「忘れなさい。それが一番よ。良い夢を見たと思ってね」
「それは残酷ですよ。グレイさんだって忘れられない恋をしたんです」
「そうだけど……忘れるべきよ。それが幸せなんだから」
「……まあ、そうですけどね」
二人とも好き勝手言ってくれる。
だけどそうだろう。
叶うはずがないと知って、溺れていた恋だ。
このままズブズブと関係を続けていたら、最悪の結末を迎えたかもしれない。
今ここで終わったことが、一番幸せなのだろう。
「……はぁ」
そう理解してなお、グレイは溜め息をついた。
胸に残るハクアの温もりを、忘れることなんてできやしない。
何より不安だ。
すでに壊れかけているハクアが、手の届かぬほど遠くで完全に壊れてしまうのではないか。
そんな不安も、胸に残っていた。
「あとでお酌してあげるわよ。酒でも飲んで忘れなさい」
「そうですね。宴会でもしますか」
「カストロンとゴーズも呼ぶわ。楽しくいきましょう」
「そうだな……まあ、ありがとう。元気出すわ」
「それが一番よ」
無理やり笑顔を作って、グレイは立ち上がる。
「ん、グレイさん失恋でもしたんですか?」
「何でもねえよ。下らないことだ」
会話がちょっと聞こえたのか、首を突っ込んでくる者達を適当にあしらいながらグレイは歩く。
少し剣でも振って無になろうと、運営本部を後にした。
◇
この恋はいずれ終わる。
それをハクア・G・クリスタは知っていた。
だけど、もう少し。もう少しだけ恋をしてはいけないだろうか。
なんだったらずっと、この恋を続けたい。
しかしハクアの立場がそれを却下し、無理やり引きはがそうと魔の手が迫る。
姫騎士ハクアに、マヌル人の平民はふさわしくない。
たとえマヌル人最強の戦士だとしても、許されざる恋だった。
「ハクアよ……なぜ呼び出されたかわかっているか?」
グレイと触れ合い、西の山へ行った次の日。ハクアは国王の執務室に呼び出されていた。
その瞳は鋭く光り、ハクアを容赦なく貫いている。
怒っているのだろう。ハクアはそれをすぐに理解できた。
故に体を震わせ、王の前で俯く。
「…………」
「答えぬか……。どうにも貴様の様子がおかしかったから、諜報部隊を動かした」
「っ……!」
その言葉に、下唇を噛みしめる。
クリスタ王国が誇る諜報部隊は、隠密に特化した魔術を操る精鋭達だ。
たとえハクアでも気づけぬその力があれば、尾行など容易いことでしかない。
「マヌル人の男の下へ通っているようではないか」
「…………」
「グレイと言ったか。貧民街の有力者。どういう男かはすでに調べがついている」
「はい……」
ハクアは絞り出すように返答する。
わかっていたはずだ。このような未来が来ることを。
でも見ないふりをして、恋に溺れた。その結果がこれだ。
夢は永遠には見られない。ふと目覚めるように、現実がやってくるのだ。
ハクアの恋は、ここで終わる。
「申し訳、ございません」
「貴様は自分の立場をわかっているか? 国家の英雄、姫騎士だ。それがマヌル人という劣等種の男と関わるなどあってはならないことだ」
「っ……はい。言い訳は、致しません」
「そうか。まあ貴様は騙されたのだ。悪逆たるマヌル人にな」
険しい顔をしていた国王バルカンは、一転して優しさを見せる。
ハクアを許し、その罪は全てグレイにあるとした。
「国家の王女を誑かした罪はデカい。貴様を騙したグレイなる男は処刑する故に安心しろ」
「ま、待ってください! それだけはっ、それだけは止めてください!」
その言葉に、ハクアは声を荒げて否定する。
恋が終わるのはしかたがない。しかしグレイが傷つくことは絶対に容認できなかった。
「グレイは、関係ありません。私が、私が……全部、悪いです」
「ふむ……そうか」
「いかなる罰も受けます。だから、グレイを処刑することだけは、止めてください!」
「…………」
息を荒げ、ここまで取り乱すハクアを見るのはバルカンとて初めてだ。
故に沈黙し、じっとハクアを見つめる。
「そうか。貴様がそこまで言うならば処刑を取りやめても良い。しかし、もう二度と会うな。貴様は騙されていた。そして目が覚めた。そうだな?」
バルカンはハクアの恋を徹底的に否定する。
しかし、この恋は否定されたくなかった。
初めて心が燃え上がるように熱くなり、ずっと彼のことだけを考え続けた初恋だ。
ハクアにとって大切な恋で、決して騙されていない。
「……はい。私は、グレイに、騙されていました」
しかしグレイを守る為には、その恋を己自身で否定しないといけなかった。
それは心が壊れるほどの屈辱だ。しかし、全てを殺して肯定する。
それがグレイを助ける唯一の道だから。
「うむ、結構。貴様はこのような下らないことに
「はい。努力、いたします」
「アザール帝国は虎視眈々と我が国を狙っている。貴様の力が必要だ。その力を振るい、アザール人を打ち滅ぼし、大陸統一を目指すのだ」
「……はい」
どんどんと、心が死んでいっているのを感じる。
皆が望む姫騎士であるために、己の意思も何もかもを殺して歩み続けるしかない。
みんな、ハクアを見てくれない。
姫騎士という偶像と、その力しか見ていない。
だから心が死んでいくほどに、グレイの温かさを求めてしまった。
グレイの腕の中でなら、ハクアはハクアでいられるのだから。
「それと、貴様の婚約者になろうと多くの者が申し込んできている。こちらで審査をし、数か月で見合いもできるだろう」
「っ…………」
「よろこべ。マヌル人の平民ではなく、クリスタ人の貴族達。その中でも才能がある者を選ぼう。そうしてその力を次代へと引き継げ」
吐き気がするのを、全力で堪えていた。
表情を消して、姫騎士の仮面をハクアはかぶる。
「はい。とても、嬉しいです」
声が震えていた気がするが、それがバルカンに伝わらぬことを切に願う。
礼を言って深々と頭を下げたのは、表情を消しきれず歪んだ顔を見られないため。
ハクアの中にはグレイしかいない。
他の男と婚姻を結ぶくらいならば――いっそ。
そうふと思うが、ハクアの中には呪縛がある。
姫騎士であり続け、国の為に身を捧げよと叫び続ける呪縛がある限り、逃げられぬのだ。
それをしかけたのは、間違いなく醜悪な存在。
欲望を顔に張り付けた、父たる国王バルカンに他ならない。
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