第二十六話 愚か者に死を

 フラフラと執務室を出ていくハクアの背を、国王バルカンはじっと見つめていた。

 無表情を取り繕うハクアであったが、バルカンには通じない。

 ハクアの中には未だグレイへの想いがあることを、バルカンは正確に見抜いていた。


 扉が閉まり、数秒立てば執務室には静けさが訪れる。


「……ハクア。我が手中から、逃れることは許さん」


 そう呟いたバルカンの瞳には、深い欲望が灯っていた。

 万の軍勢と双璧をなすハクアの力を、彼は手放すつもりがないのだろう。


 その切っ掛けすらも、許さないほどに。


 ――トントン。


 執務室に、ノックの音が響く。

 ハクアが出て行って数分後、二人の人間が執務室を訪ねていた。


「入れ」

「失礼いたします、陛下」

「失礼しますぜ」


 バルカンの呼びかけにより入室したのは、二人の男女だった。

 二人とも騎士の正装に身を包み、息を呑むほどの覇気を放っている。歳は五十代ほどだが、その覇気に陰りが見えなかった。

 一目見れば、誰もが両者の実力を理解できるだろう。


 恐ろしいほど二人は強い。


「第一騎士団団長レベルカ・アーナ。ご命令により、参上しました」


 そう名乗ったのは長身の女だ。

 赤く長い髪をたなびかせ、その胸には騎士団長の証であるエンブレムが飾られている。

 何より目を引かれるのは、彼女が黒いサングラスを着用していることだろう。


「第二騎士団団長アバン・ベルベルト。参上しやした」


 続いてそう名乗ったのは、大柄な男だ。

 スキンヘッドの上に筋骨隆々。非常に威圧感のある出で立ちで、胸に付けたエンブレムに相応しい騎士団長の覇気を放っている。


 名乗りの通りこの二人が、精鋭たる第一騎士団の長と、王都を守護する第二騎士団の長。

 クリスタ王国が誇る最強だ。


「来たか。待っていたぞ」

「我ら二人を動かすとは、どんなご用事でしょう陛下?」


 第一騎士団長レベルカは、バルカンからの突然の呼び出しにそう尋ねる。

 騎士団長という最強を動かすならば、それ相応の理由があってしかるべきだろう。


「貴様らはグレイ、という男を知っているか?」

「いいえ。存じ上げません」

「貧民街に住むマヌル人だ。早急に消さねばならない」

「マヌル人ですと? まさかただそれを殺すために我らを呼んだと?」


 国王の言葉に、僅かな怒気を見せるのは第二騎士団団長アバンだった。

 己が最強であると自負するアバンにとって、貧民街に住むわけの分からない男を殺すために呼ばれたのはプライドを傷つけられる思いなのだろう。


「アバン。陛下のご命令だ」

「否。マヌル人など騎士を数名送れば片付く話だ! うちにはガイデルという期待の騎士がいる。奴にやらせましょう」


 アバンは自信満々に答えるが、バルカンは首を振った。


「それこそ否だ。このグレイなる男は異常なまでに強いと報告を受けている。それにそのガイデルという騎士も負けたと聞くぞ」

「なんですと!」


 バルカンの言葉に、アバンは驚きを見せた。

 その様子を見るに初耳のようで、ガイデルは此度のことを上に報告していなかったのだろう。


「異常なまでにというのは? それほどの強者は全員三十年前の内戦で死んだはずではございませんか?」


 驚くアバンを尻目に、そんな強者がマヌル人にいるはずないとレベルカは冷静に首を振る。

 かつては英雄グレンザーなど強者たるマヌル人もいたが、すでに全員死んだはずだ。


「三十年も経った。そういうのが現れることもあるだろう。恐らく使い手・・・だ」

「……ああ、それは危険ですね」

「うむ。教える者が全員死んだ以上、恐らく自力習得。それだけでも、消さねばなるまい」


 その意味深な言葉に、レベルカの表情が変わった。


「その上で、奴はハクアを誑かした。あまりにも危険な存在だ」

「なるほど。理解しました」


 レベルカはそれだけで察したようだが、アバンは首を傾げる。


「誑かすとはどういうことだ?」

「ハクア様は、そのグレイなる男に恋をしているということだアバン」

「っ! なんと。ハクア様にそのような感情があったとはな」


 レベルカの説明を聞き、声を荒げるアバン。

 アバンはハクアを幼い頃から見てきた故に、彼女がいかに淡泊かをよく知っていた。

 感情を表に出すことはなく、まるで人形のような少女だからこそ、アバンは驚くのだろう。


「その相手がマヌル人とは許せぬ話だな。わかりました。ハクア様を誑かしたクソ野郎は俺が殺してきましょう」

「陛下は私達で行けと仰せだ」

「いいや、必要ない」


 これまでの説明を聞いてなお、アバンはレベルカの手助けを取り付く島も無く拒否する。

 たとえ王命だとしても、従う気がなさそうだ。


「アバンよ。我は万全を期して貴様らを呼んだのだ」

「いいえ陛下。俺達の強さを侮らないでいただきたい。クリスタ王国が誇る騎士団長が、使い手であろうとマヌル人に負けるはずがありません」


 その台詞は驕りであると同時に真実であろう。

 魔術が使える特別なクリスタ人の中でも五指に入る実力者アバンにとって、マヌル人一人殺すためにレベルカの協力も必要と言われるのはプライドを傷つけられる思いだ。


「そうか……ならば貴様一人に頼もう」


 バルカンもそこまで言われたら否定はしない。レベルカまで呼んだのはあくまで保険。バルカン自身も過剰戦力と思っていたほどだ。


「では『煉獄』と謳われたその力で、マヌル人を焼き払え」


 たとえグレイがどれほど強くとも、まさかマヌルの英雄グレンザーほどの力はないだろう。

 ならばアバン一人で十分だ。


「承りました!」


 どんと胸を叩き、アバンは高らかに叫ぶ。

 その顔には勝利への確信のみがあり、敗北への不安は一切ない。


 そんなアバンを、真横に立つレベルカは複雑な瞳で見つめていた。



 ◇



「油断はするなよ、アバン」

「するはずがあるまい。あるのは勝利への確信だ」

「それを油断と言うのだ」


 国王の執務室を後にし、レベルカとアバンはそんな会話をしながら廊下を歩く。

 レベルカは呆れ顔であり、アバンは笑みを浮かべていた。


「負けるはずがあるまい。どれほど強かろうと、グレンザーではない。それに強ければ強いほど面白い。心躍る戦いになるだろう」

「脳筋だな。救えない」


 アバンという男の思考を、レベルカは理解できない。

 第二騎士団長に就くとなればある程度の頭はあるが、それを覆い隠すほどに脳筋だった。

 彼は戦いを至高とし、戦争を生きがいと言う男だ。


 騎士になるにはよいのかもしれないが、人間的にはあまり好きにはなれなかった。


「ただ、あまり大事にはするなよ。ハクア様には秘密裏に進めねばならない」

「別にいつまでも隠し通せるわけではあるまい。多少は良いではないか」

「ハクア様の目が覚めるまでは隠さねばならない。その恋が騙された故のものであり、一時の気の迷いと気付くまではな」

「そうか。面倒くさいな」


 そう言ってポリポリと頭を掻く。

 アバンの魔術があれば貧民街に大火事を起こすことも可能だが、そこまですればハクアの耳に入るだろう。


 騙されておかしくなったハクアの耳に、そんな事実伝わってはいけないとレベルカは断言していた。


「まあ気をつけ……む」


 アバンがそう言った瞬間、ふと廊下の奥に目を向けた。


「おや……アバン殿にレベルカ殿か」

「レインクルト殿下。それに、グリシャ様ですか」


 廊下の奥から歩いてきたのは、クリスタ王家の王子と王女。


 ハクアの兄にして第一王子たるレインクルトと、妹にしてハクアのお付きたるグリシャだった。

 二人とも年も離れた母も違う兄妹であるが、共に歩くほどには仲が良さそうだ。


「二人が共にいるのは珍しいな」

「ええ……まあ、任務の一環です」

「なるほど」


 二人が来た方向が王の執務室だったこともあり、レインクルトはそれ以上詮索せず話を濁す。


「お二人はどのような用事で?」

「妹の相談に乗っていたのだ。どうやら悩みがあるようでね」

「そうですか。王子であると同時に、良き兄であらせられるのですね」

「はは。そうだと良いね。じゃあ邪魔しちゃ悪いし、僕達はここで。グリシャ」

「はい。失礼します」


 レインクルトとグリシャは去って行き、その背をレベルカはじっと見つめる。


「どうしたのだレベルカよ」

「いや……何でもない」


 少しの沈黙の後に首を振り、レベルカはまた歩き出した。


「準備を整え、任務を遂行しろ。アバン」

「無論だ」

「もし失敗しても、私がバックアップをしよう」

「舐めるなよ! レベルカ!」

 

 アバンの敗北を予兆させる言葉に怒りを見せるが、レベルカはどこ吹く風だ。

 サングラスの奥には、王命を確実に遂行させるという強い意志が見て取れた。


 もしアバンが失敗すれば、レベルカは第一騎士団の精鋭を引き連れてグレイを抹殺しにいくだろう。

 ハクアを除いた時、王国騎士団最強に君臨する女傑の標的にされて、生きていた者はこの世にいない――

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