第二十二話 愛の示し方

 グレイの家に知らない女がいた。

 その事実に直面したハクアは、驚きと戸惑いで目を見開く。

 ショートカットにした金髪に、可愛らしい容姿。背はハクアと同じ百五十前半程度で、胸元を見れば服の上からでもわかるハクアよりも大きな胸が飛び込んできた。


 そして何より赤い瞳。


 クリスタ人の知らない女が、グレイの家にいたのだ。


「…………っ」


 彼女と鉢合わせたハクアは、混乱の渦に突き落とされる。

 こいつは誰なのか。グレイの関係者。まさか恋人。

 ハクアの思考は坩堝るつぼにはまった。


 言ってしまえばハクアはグレイのことを全て知っているわけではない。

 恋人の有無や家族構成などは、聞きづらくて聞いていなかった。

 ならば恋人がいるというのも十分に考えられる話だ。


 じゃあハクアのこの恋は――


「あ、姫騎士様! グレイさん、姫騎士様が来ましたよ!」


 ハクアが硬直して立ちすくんでいれば、少女は少しかがんでフードに隠された顔を覗き込んでくる。

 そして合点がいったのか、家の中にいるグレイへ声をかけた。


「おお。ハクア、来てくれたのか」

「あ、う、うん。……その。あの」


 ヒョコっと少女の後ろから顔を見せたグレイに、ハクアは目を合わせることができない。

 少女を見つめ、グレイの胸元を見つめ、それを交互に繰り返した。


「ん、ああ。ハクアはセリアと会うのは初めてだったか。紹介しよう。俺の幼馴染のセリアだ」

「初めまして姫騎士様! セリアといいます!」

「う、うん。初めまして。私は、ハクア」


 頭を下げて挨拶してきたセリアに、ハクアもそう返す。

 グレイは幼馴染と紹介したが、それにしても疑問が残る。

 教養がありそうな立ち振る舞いに、貧民街では珍しいクリスタ人である点。

 この可愛さならば、グレイが惚れてもおかしくない。


 ハクアは最後まで疑いの眼差しでセリアをジロジロと見つめた。


「グレイの、幼馴染?」

「そうです! 私が八歳の頃にグレイさんに助けていただいて、それからずっと一緒に東地区を支えています」

「一緒に……! まさか、恋人……」


 一緒という単語に引っ張られ、ハクアの目をグルグルさせた。


「いや、違うからな。セリアとはただの幼馴染。リズリーやカストロン。ゴーズと同じだ」

「そうですね。別に恋人ではないですよ」

「そ、そう……」


 慌てて訂正してきたグレイの言葉に、ようやくほっと息をつくハクア。

 もし恋人だったら己が何をしたかわからず、失恋による姫騎士の暴走はすんでのところで食いとどまった。


「まあ入ってくれ。お茶でも入れよう」

「うん。お邪魔します」


 ほっとしたハクアであるが、ちょこちょことグレイのすぐ側まで歩く。

 そしてセリアの間に割り込むように位置取った。


 じっとセリアを見つめるハクアは、警戒心が抜けないようだ。

 確かに幼馴染であろうが、未来はどうだろう。男が好きそうな体つきをしているし、油断ならぬ女だ。

 ハクアは子猫のように威嚇していた。


「じゃあグレイさん。安静にしててくださいね。私はまだ仕事があるので」

「ああ助かった。また頼む」

「はいっ!」


 ハクアの警戒心には微塵も気づかず、セリアはそう言って家を出ていく。

 そうしてようやく安心するが、彼女の台詞が引っ掛かっていた。


「グレイ、安静って?」

「ああ。怪我したんだよ」

「怪我!?!?」


 お茶を沸すためかまどに火をつけていたグレイは何となしに言うが、ハクアは大慌て。

 一体どんな怪我なのか。すぐに治さねばとグイっとグレイに体を寄せた。


「うおっ。大丈夫だから。セリアが治してくれたか。ほら」

「む……確かに、治ってる。でも、これって魔術で治ってる?」


 グレイは腕にできていた傷跡を見せ、ハクアはそれを舐るように観察する。

 するとわかるのは、魔術によって治癒されたものということだ。

 これをしたのは間違いなくセリアだろう。しかし、ありえない。


「治癒の魔術は超高難易度。平民ではまず扱えない。貴族でも一部だけ……」

「ああ、だろうな。セリアは貴族の子だ」

「……えっ?」

「捨てられたんだよ。とある貴族と、そのお付きの侍女による許されない恋の果てにな」


 グレイは悲し気な顔でそう語った。

 そしてその台詞だけでハクアは凡そ察してしまい、眉をひそめる。


「五歳までは貴族家の別邸で暮らしてたみたいだけどな……嫉妬した本妻が追い出してここに流れ着いた。その後は不幸の連続だ。母親はギャングに殺されて、一人になって死にかけていたあいつと俺達は出会った」

「そう、なんだ……壮絶だね」


 その話を聞いて、先ほどまで抱いていた警戒心がハクアの中から一気になくなった。

 セリアはただの可愛らしい少女ではなく、辛い過去があって必死に生きてきた少女なのだ。

 そんな少女に嫉妬して警戒していたことが、途端に恥ずかしくなる。


「みんないろいろ抱えてるよ。そういう世界だった」

「……グレイも?」

「ああ。いろいろな」


 そのいろいろを、グレイは語らなかった。

 ハクアを信頼してないわけではないが、語るようなことでもないとそういうことだ。

 話したとして面白いものではない。しかしハクアは、グレイのことをもっと知りたかった。

 何も知らないままでいるのが、とても辛い。


 だがそんな雰囲気をグレイは察して、話題を変えるように口を開いた。


「まあそれより、今日はなんか雰囲気違うな」

「! わ、わかる……?」


 話はこれで終わりだと移った話題は、ハクアの外見に関することだ。

 それにビクっと体を震わせ、ハクアは薄く頬を染める。


「ああ。なんか……その。とても綺麗だな」

「っ――」


 サラっと言われたその台詞に、ハクアは頬を赤くした。 

 横髪を掴んで口元を隠し、高揚していることがバレないようにしてみる。

 だがその嬉しさは隠せていない。


「いや、その……綺麗だってのは。あ、いや」


 それと同時にグレイも顔を赤くしていた。

 ふと思うがままに言ってしまったが、とても気恥ずかしい。

 ストレートに言い過ぎた。もっと考えられたのでは。そんな思考がグレイの中をグルグルとし、訂正しようとしてみるが上手くいかない。


「あのね、結構。気合、いれてきた」


 そう混乱するグレイに対し、ハクアは勇気を出して、恥ずかしそうに告げた。


「そ、そうか」

「グレイに、見てほしくて」

「っ――」


 頬を染めながらも、ハクアは勇気を出してこの関係に一歩踏み込んだ。

 ただの友達なら、こんなこと言わない。その台詞が意味することとは――


「凄い、綺麗だ。似合ってる」

「っ……ふへ。そ、そうかな。よかった」


 グレイの言葉に、ハクアの笑みが零れ落ちる。

 もう隠せるものでもなくなったため、その満面の笑みをグレイに見せつけていた。

 するとグレイの鼓動は爆発してしまうのではないかというほどうるさく鳴る。その笑顔は、あまりにも毒だ。


「あっと。お茶! お茶飲むか!」

「そうだね。お茶、お茶飲もうね」


 これ以上この空気が続くとどうにかなると直感したグレイは、かまどに掛けていたポットに集中する。

 早くお茶ができあがらないか。そうしてこの話を終わりにしよう。


 そう思うが、残念なことにハクアの猛攻は止まらなかった。


 グレイとハクアの間にあった僅かな隙間を、ハクアはグイっと縮めてくる。

 そして体が触れ合い、沈黙が訪れ、二人はかまどを見つめていた。


「……あー。ハクア、ちょっと近くないか?」

「そう? 普通。これぐらい、普通の距離、だと思う」

「そ、そうか。俺が間違っていたか!」


 肩が触れ合うほどの距離が普通とハクアは言った。これはグレイが無知なのか、はたまたハクアが間違っているのか。

 グレイは考えることをやめた。


「…………」


 しばらく沈黙が続き、火が燃える音と、コトコトと沸くお茶の音しか聞こえない。

 変わらず距離は近いままで、ハクアの甘い香りが漂ってくる。

 鼻腔をくすぐるその香りは、グレイを乱す色香があった。

 暴走しそうになる己を静め、目の前のお茶に意識を集中させる。


「あー。何か、ちょっと疲れてたりするか?」

「……別に」

「そ、そうか。いつもより、ちょっと様子がおかしい気がしてな」


 これほどまでにハクアはグイグイ来ただろうか。

 彼女はとても大人しくて、奥ゆかしい少女だったはずだ。

 こんなに積極的なハクアを、グレイは知らない。


「……そうかな。焦ってるのかな」


 グレイの問いかけに、ハクアは眉をひそめた。


「焦ってる?」

「うん……私には、未来がないから」

「……?」

「私の、婚約者が、あと数か月くらいで決まる」


 その言葉に、グレイは息を呑んだ。


 ハクアは目を伏せて語り、グレイの鼓動は急速に早くなる。

 胸がとても痛い。

 だけどこれは、感じるべきでない痛みだ。


「ねえグレイ」

「何だ?」

「許されない恋って、どう思う?」


 ハクアは話題を変えるかのようにそう言うが、その言葉の意味はすぐに理解できた。


「そうだな……あいつ、セリアの両親は許されない恋の果てに不幸になった。やるべきじゃないよ。本当にね」


 だからグレイは言うのだ。

 ハクアに幸せになって欲しいから、このまま傷つかない道を選ぶ。

 許されない恋はしてはいけない。未来には不幸が待っているから。

 あるいはハクアがしているその恋は、セリアの両親がしたものよりも何十倍も茨の道だ。


「そっか。そうだよね。そう思う。私も……」


 ハクアもそれをわかっていた。


「そう、思うのに。なんで、だろ」


 グレイの肩に、コテンと頭を乗せる。


「なんでだろ。嫌だな……」


 体を震わせて、嗚咽するようにハクアは呟いた。

 とても悲しいことがあるのだろう。グレイはそれに、かける言葉が見つからない。


「なあハクア……」

「なに?」

「下らないな。いろいろと」

「そうだね」


 グレイの肩から頭を上げて、じっとグレイを見つめていた。


「ごめんね。変な話して」

「いや。大丈夫だ」


 互いに、核心を言わなかった。

 すでに両者が両者の想いを察しているが、それを言葉にはしない。


 言葉にした瞬間、この関係が崩れて消えてしまうと思ったから。


「寒いね」

「そろそろ冬だな」

「……グレイは、温かい」

「っ……」


 グレイの背後に周り、その背中にハクアは頬を預ける。そして背中からぎゅっと腕を回した。

 深くグレイの背に抱き着き、己の柔らかな体を存分に押し付ける。


「ハクア……」


 グレイの鼓動はさらなる加速を見せた。

 服越しでもハクアの体温や柔らかさが感じられて、己の心がどうにかなってしまいそうになる。

 頬の感触、息遣い、意外に大きな胸の感触。そして深いハクアの愛。


 全部が余すことなく伝わってきた。


「あー。そんなに、寒いか?」

「うん。だから、グレイが温かい」


 かまども燃えているし、寒いはずがない。

 もし寒いとすれば、それは心が冷えているのだ。


 冷えた心を温めるためには、こうするしかない。

 どんどんハクアの力は強くなって、グレイの心もおかしくなる。


 ハクアは言葉に表さない。しかし態度で表すのだ。

 この愛が、相手に伝わって欲しくて。


「勇気、出してるんだよ」


 そう言ったハクアの抱擁は、より強くなった。

 押し付けられた胸から、バクバクとうるさく鳴るハクアの鼓動が聞こえてくる。

 何となしにやっているようなこの行為も、ハクアは勇気を出してやっているのだ。


 ハクアは異性にベタベタと触るような子ではない。反対に他人とは常に一線を引く少女だ。

 そんなハクアにとって、この行動は非常に勇気がいるものだった。

 しかし後悔しないように、不器用ながら己の気持ちを伝えるために、勇気を出して触れ合っている。


「ハクア……」


 グレイはお腹に回されたハクアの細い手に、己の手を重ねた。

 とても綺麗で細い手だ。可憐な少女の手に、武骨な男の手が重なる。

 雰囲気は徐々に高まっていき――


「いよおグレイ! 怪我は治ったか? だったら一狩り行こうぜ!!」


 バンっと音を立てて入って来た男、カストロンの登場で、二人は慌てて距離を取った。

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