第十九話 烈火の怒り
グレイ宅へのハクアの来訪が十を超えた頃、両者の関係は少しずつ変化していった。
当初は殺し合いをした仲であったが、互いの事情を理解し、交流を重ねることで良い関係になれたのだ。
まあしかし、いささか良い関係になり過ぎた、とも言えるだろう。
「ここは、静か、だね」
「だろ。……あいつらが一番良い場所にって建ててくれたんだ」
「そっか」
グレイ宅の庭にて、二人はそんな会話をしていた。
周囲を建物に囲まれ、太陽の光が上から射すこの家はとても雰囲気が良い。
貧民街の喧騒すら聞こえぬほど静かだった。
「庭の花、グレイが育ててたんだ」
「ああ。雑草が生えてたら寂しいからな」
そして庭にある花壇を手入れするグレイを、後ろからハクアが覗き込む。
庭を彩る花々は、全てグレイが一から育てたものだ。その色とりどりの花を見れば、ただの道楽とは思えぬできだった。
「甘いもの好きだったり、お花育てたり、意外と可愛いよね、グレイ」
「馬鹿にしてんのか?」
「ふふ。私は、良いと思うよ」
クスクスと笑うハクアから、幼子を可愛がるような雰囲気を感じる。
グレイは馬鹿にされた気になるが、多分ハクアは本当に良い意味でしか言っていないだろう。
「私も、お花は好き」
「……ハクアと花は確かに似合うな」
「そうかな?」
「そうだろ。剣を握るより、よっぽど似合っている」
「っ……」
ハクアはその言葉に目を見開き、意味を咀嚼し口元を緩ませた。
貴族の男は宝石を散りばめた武具ばかり送ってくるから、グレイの言葉に嬉しくなる。
「……ハクア?」
「ん、なに?」
「そういえば、ちょっと近くないか?」
「そ、そうかな」
気づけばハクアの手が、グレイの肩に置かれていた。
屈んで手入れをするグレイと、触れ合うほど近くにいる。
どうにも最近、ハクアの距離が近いというのがグレイの思うことだ。
無論嫌ではないが、さりげなく触ってきたり、柔らかな微笑みを見せられると勘違いしてしまうだろう。
十八の男など単純なもので、グレイはいつも胸がドキドキしてしまう。
それは貧民街の主と言うには、少し子供のような態度だ。
「ごめんね」
「あ、いや。嫌じゃないんだ。ただ……そういう距離は、多分、良くないから」
「そう、だよね……」
しゅんとしたハクアに、慌ててグレイは弁明する。
グレイの本心を言えばとても嬉しい。しかし二人の立場を思えば、あまり良くない距離だろう。
「っ、それより。今日は何の話があるんだ?」
「そうだね。えっと一昨日は──」
庭に設置されたベンチに腰掛け、二人はいつものように話をする。
しかしハクアはグレイと肩が触れ合いそうなほど近くに座って、楽しげに話していた。
柔らかな笑顔を見せながら、グレイを見つめて話すハクアは、とても美しい乙女の顔をしていたのだ。
◇
グリシャ・G・クリスタは姉のことを良く知っているつもりでいた。
姫騎士ハクアは完璧な少女だ。魔術の腕は文句なしで歴史上最強。その魔術によって強化された肉体で、天才的な剣術すら披露する。
十歳で戦場に立ち、憎きアザール帝国の軍を敗走させた傑物だ。
その上で容姿にも優れている。白髪に白眼はクリスタ王家とも、何なら赤い瞳のクリスタ人とも違うが、それは伝説に聞く神の色だ。
神は白かったと多くの書物に書かれているよう、ハクアは間違いなく特別な存在だ。
そして特別であるというのに、それを鼻にかけることはない。故に民達はハクアを英雄と崇めるのだ。
グリシャはそんなハクアの側にずっといた。
そのハクアが歩む英雄の道を、進みやすいよう整備してきた自負もある。
しかし――あの顔をグリシャは知らない。
グリシャの知るハクアは、ずっと人形のように無表情で儚い少女だ。
どこからどう見ても完璧な姫騎士ハクアの姿しか、グリシャは知らない。
「――でね――があって――」
「――なのか――なら――」
何を話しているかはよくわからない。
だがハクアの顔はよく見える。
横に座る男と触れ合うほどに近くに座って、楽しげに笑っているのだ。
ハクアの笑顔をグリシャは知らない。
それがあんなに美しいというのを、グリシャは知らなかった。
「っ――」
グリシャは思わず下唇を噛む。
「姉様は……騙されているのです」
そしてポツリと呟いた。
「マヌル人の平民に、清き姉様は騙されて、この後、絶対、酷いことになるに決まっています」
あんなハクア見たことないから、グリシャはそう断定する。
あのグレイという男は絶対に詐欺師だ。ハクアを誑かし、その純情を弄ぼうというのだ。
でなければマヌル人の平民に、ハクアがあんな顔を見せるはずがない。
「まさかアザール帝国の策謀……姉様は、罠に落ちている……?」
グリシャの中ではどんどんとストーリーが組み上がっていた。
グレイという極悪人が、ハクアを騙し、その純潔を奪おうとしている。
ああ、何たることだ。姉を救い出さねばならない。
グリシャは腰に差したワンドを強く握る。
「姉様、絶対に私が助けます」
その目には暗い闘志が灯っていた。
ハクアは凡そ一時間程度で名残惜しそうに立ち上がる。
そして一言二言交わした後、フードを深く被ってこの場を後にした。
「…………」
グリシャはその背中を見送り、数分後物陰から立ち上がる。
ワンドを抜いて、鬼の形相を貼り付けながらゆっくりとグレイへ歩んだ。
グレイはどうやら花壇の手入れをしているらしい。
グリシャに背を向け、非常に隙だらけだ。
音もなくグリシャはその背に迫り――。
「さっきから見てただろ。何のようだ?」
その直前でクルっと振り向いたグレイの声に、足を止めた。
「…………貴様がグレイだな」
「ああ。そうだよ。クリスタ人だな……」
クリスタ人の特徴である赤い瞳を爛々と輝かせ、ワンドを構えたグリシャ。それをグレイは冷静に見つめていた。
「……ハクアの関係者か?」
「軽々しくその名を呼ぶな! マヌル人の平民が!」
「おっと。確かにそうだ」
王国の姫を呼び捨てなんて、無礼も良いところだ。
不敬罪で打ち首になっても不思議でない。
「姫騎士様の関係者か? お前は」
「……王国第四王女。グリシャ・G・クリスタだ。控えおろう!」
「っ……」
思った以上の重要人物の登場に、グレイは硬直する。
騎士か何かかと思っていたが、まさかの王女様。平民たるグレイとは天と地ほど離れた身分の御方だ。
「それはすまない。気づかなかった」
「それが王族を前にした言葉遣いか?」
「教育を受けてない。ここでは礼儀より舐められないことの方が重要だったからな」
無礼なグレイにグリシャは怒る。しかしグレイの人生を考えれば、大切なのは強さだけだった。
礼儀は二の次。ギャング共をぶっ倒せる強さだけを追い求め、この平和な東地区を作ったのだ。
故に王侯貴族を相手した礼儀など弁えているはずがない。
「そうか。だから己の身分も弁えず、姉様を誑かそうとしたのだな」
「…………それは」
「言い訳は結構。死のみがそれを償う唯一の方策だ! 氷よ、穿て――」
グリシャのワンドが光、周囲に浮んだ鋭い氷のつぶてがグレイへと殺到する。
「っ――殺す気か!」
手に持っていたスコップで氷を打ち落とし、グレイは一気に戦闘態勢に入った。
生憎武器は家の中。使えそうなのはガーデニング用の小さなスコップしかない。
そして王族故に殺すわけにもいかず、様々な条件を課せられた上での戦闘へ突入する。
「姉様を騙くらかしたクズは死ね! 氷剣」
グリシャの持つワンドが凍り付いていき、鋭い氷の剣ができあがる。
氷の魔術は非常に難易度が高いと聞くが、彼女は高い魔術の練度を誇るのだろう。
下手な騎士より強そうだ。
「はあっ!」
「っと」
しかしグレイには及ばない。
彼女の力量は確かに高いが、そこが限度だ。
貧民街最強。あるいはマヌル人最強のグレイを倒したいならば、騎士団長か姫騎士でも連れてくるしかない。
スコップのハンデを負ったとしても、グレイはその氷の剣と軽々打ち合っていた。
「さてと……どうしようかね」
打ち合いながら、グレイは考える。
剣があれば柄を上手く使って昏睡させることができたが、柄の短いスコップだとそうもいかない。
上手いこと手刀で気絶させるか。
そう考えるが、グリシャは倒せないグレイに怒りが積もり、よりヒートアップしていく。
「氷よ――もっとだ。奴を殺せ」
グリシャの周囲に数十を超える氷の礫が浮かび上がる。それは一つ一つが恐ろしいほどに鋭くて、簡単に命にまで届くだろう。
「あー。やばいな……今は力があまり出ない時期だし」
気が進まないが、グリシャをぶん殴って止めるか。
そう考えた瞬間だった――
「――何してるの?」
恐ろしいほど冷めていて、恐怖を掻き立てる声が聞こえたのだ。
その声が聞こえた瞬間、グリシャも、グレイすらも本能的に動きを止めてしまう。
「グリシャ。何してるの?」
グリシャの背後に、ハクアが立っていた。
その顔には感情が浮んでいなかった。
じっとグリシャを見つめていて、それが不気味で美しい。
「あ、姉様……なぜ? 帰ったのでは……」
「違うでしょ。何してるの?」
「……姉様を、誑かす、男を、殺そうとしていました」
「…………なんで、そんなことするの?」
「っ……」
ハクアの問いかけに、グリシャは息を呑む。
いつも優しくて、グリシャを気に掛けてくれるハクアの姿はそこにはなかった。
氷のように冷たくて、静かな怒気を放っている。
だからグリシャは、取り戻さないといけない。
「姉様はっ! 騙されています! なぜこんな男と一緒にいるのですか!! こいつさえ死ねば、絶対に目を覚ましてくれるはず――」
ハクアの意思を無視して、己の思うがままにグリシャは一気に踏み込む。
そして鋭い氷の剣を滑らすように振るうと、一気にグレイへ振り下ろした。
「うおっ」
突然の行動に慌ててグレイはその剣を避けたが、剣は背後の花壇へと直撃する。
すると氷の剣は、美しく咲く花々を呆気なく散らした。
グレイが育てた花達は、切り裂かれ、凍り付く。
美しい花壇はたった一振りで、あまりにも無残な姿になってしまったのだ。
「花壇がっ……」
グレイは大切に育てた花々が無惨に散らされた光景に目を見開き、ハクアは──
「っ――グリシャ!!!」
その光景を見たハクアは、絶叫するように叫んでいた。
無表情だった顔には初めて見る怒りの感情が浮んでおり、多分人生で初めてハクアは
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