第十八話 グリシャ・G・クリスタの憂鬱
姫騎士ハクアには直接の部下が存在しない。
特別騎士という特殊な地位に就くハクアは単身で動き、その命令権は国王のみが持つのが仕組みだ。
人が必要な任務があれば、その度に第二騎士団や王国兵団から戦力を借り受ける。故に言うことを聞いてくれないというトラブルもあったりした。
しかしながら多忙のハクアをサポートする存在が、いないわけではなかった。
「姉様。本日は一時よりベルス公爵様主催の式典への出席。十四時より第一騎士団との会議。その後は――」
ハクアの隣に付き、スケジュールを伝えているのはまだ十六歳程度の少女だ。
名をグリシャという彼女は、ハクアの腹違いの妹である。
「そう……わかった」
「今日もお忙しいと思いますが、頑張ってください!」
「いつも、ありがとね」
「い、いえ! 姉様のお役に立てるなら何よりです!」
労いの言葉を貰ったグリシャは、ハクアへ尊敬の眼差しを向ける。それは姉妹と言うより、主人と部下の方が正しいだろう。
だが両者の生まれの差を考えれば、自然な関係だ。
父は王であるといえ、一番身分の低い母から生まれたグリシャは王族の中でも地位が低い。
第四王女という地位も、将来は降家して一貴族の妻に落ち着くだろうものだ。
正妻との間に生まれ、信じられぬ力を持ったハクアとは、姉妹であっても格別な差が存在する。
しかしグリシャはそれに何とも思っていなかった。
姫騎士ハクアは、とても尊敬できる人物だからだ。
十歳で戦場に立ち、国を救った英雄。その力は歴代でも屈指であり、何千年先でも語り継がれるのは間違いない。
そんなハクアを姉に持ち、尊敬していたグリシャはハクアのサポートこそが己の天命だと確信していた。
ハクアのお付きを選ぼうと上層部が動く中でいの一番に立候補し、完璧なプレゼンを実行する。
その結果、妹ながらハクアのお付きとして傍に仕えていた。
「――今日も、ちょっとだけ出かけてくるね」
そんなグリシャにも、悩みがある。
「は、はい。次の仕事まで時間はありますが……どちらへ?」
「ん、秘密」
それはほんの数週間前からだ。
予兆はあった。違法薬物撲滅のために貧民街で活動するハクアが、任務が終わる度にどこかへ行く。
そんな報告は受けていた。
それは違法薬物の撲滅が完了し、貧民街での任務が終了してからも続いていた。
数日に一度、一時間ほどハクアはどこかへ消えていく。何をしているかと聞いても、ハクアは知られたくないのか何も言わない。
故にグリシャはその意思を汲んで何も言わなかったし、それを上層部に報告することもなかった。
しかし気になることは気になるのだ。
「……この時間が途切れる様子はない。姉様は一体いずこへ」
ハクアの身に何かが起こることは心配していない。騎士の一団よりも強いのがハクアだ。
しかし万が一も考えられる。
言葉巧みに騙されて、何かしているのではないか。
グリシャの思考は、そんなことまで考えだしていた。
「調べるべきかも、しれません」
ハクアが知られたくないと望むなら、それを全力で叶えるべきだ。
しかしグリシャは居ても立っても居られなかった。
己を突き動かすほどに、心が騒めいていた。
故にグリシャは、ハクアが一体何をしているのか。それを調べるために歩みを始める――
◇
まず尾行という手段は取るべきでない。
姫騎士への尾行を成功させるには、一流の諜報部隊を編成する必要があるだろう。そんな伝手は持っていなかった。
故にグリシャが始めるのは聞き込みである。
様子がおかしくなったのは貧民街掃討作戦の後から。ならばまず、その手伝いをしていた第二騎士団へ話を聞きに行くべきだろう。
「憎きマヌル人です! マヌル人が私に大怪我を負わせたのです。奴はハクア様を言葉巧みに騙しているに決まっています!」
すると聞けたのは、そんな話だ。
ガイデルと名乗った全身に包帯を巻いた騎士は、唾を飛ばしながらグレイなるマヌル人を罵倒する。
そいつはハクアを言葉巧みに操り、騙しているらしい。
「うーむ。そうか」
「ええそうなのです! なので第一騎士団の精鋭を動員して奴らを滅ぼさねばなりません!」
「そうかそうか」
どうにも目がイってるガイデルという男の言葉は、聞き入れるにはリスクがある。
悪逆たるマヌル人がクリスタ王国を乗っ取ろうとしていると最後まで叫んでいたが、グリシャは取りあえずスルーした。
マヌル人が悪い人種だというのはグリシャも歴史の授業で習ったことだが、だからといってそれは飛躍しすぎだろう。
ガイデルとは正反対に冷静になったグリシャは、次に王国兵団の本部へと向かった。
「ハクア様ですか? 確かに任務終了後、一時間ほどどこかへ行くのは我々も気になっていました」
すると聞けるのは、グリシャが知っているような情報でしかなかった。
どこへ何をしに行っているのかがグリシャは知りたいのだ。
「恐らく貧民街のどこかへだと思いますが、我々には何とも。決して教えていただけなかったので」
「そうか。しかし貧民街か」
貧民街のどこかへ、ハクアは向かっている。しかしそれだけではわからない。
果たしてハクアは何をしているのか。貧民街で用事など、何もないように思えるが。
グリシャは考え、ふと一つの名を溢す。
「グレイ……」
先ほどガイデルによって聞かされた名が、ふと脳裏に過ったのだ。
「お前は、その名を、知っているか?」
「は、はい。貧民街の有力者らしいです。彼がいると住人も協力的になるので、違法薬物の根絶に協力してもらいました」
聞くところによれば、貧民街の東地区は彼の縄張りらしい。他の地区にも顔が利くらしく、住人達からも慕われている。
そんな人物だから、協力してもらうことで早く仕事が終わったと言う。
「なるほどな」
やはりガイデルが言うような人物には見えなかった。
杞憂でしかなかったと首を振るが、ふと兵士が口を開く。
「ただ、ハクア様に襲いかかっていたりして、本当に良い人物なのかは疑問が残ります」
「襲いかかるだと!?」
「ええ。剣を突きつけて何かを話していました。ただハクア様が許しているのでもう何も言えませんが」
「っ…………」
大切な姉に危害を加えた男がいるらしい。その話を聞いて、グリシャの怒りは一瞬で頂点に達する。
ならそいつにも、今回の件に関係なくとも一旦話を聞かないといけないだろう。
丁寧にお話をしないといけない。
「ありがとう。情報提供、感謝する」
「は、はい」
「そいつにも、話を聞かないといけないようだ」
グリシャの目には、揺れ動くような闘志が宿っていた。グリシャの勘が、今回の件にはその男が多かれ少なかれ関わっていると訴える。
何よりハクアに剣を突きつけるという愚行を犯した男を、グリシャは許せなかった。
ただグレイという男について詳しく調べるのは、非常に難しいものだ。
まずマヌル人が多く住む貧民街は、非常に治安が悪いと聞く。つい先日まで違法薬物が蔓延していて、悪逆なマヌル人は人殺しを躊躇しないと言っていたか。
そんな場所へはさすがに聞き込みもできない。
騎士や兵士を動員する権限を持たぬグリシャは、単身で貧民街に行くなど身を震わす思いだ。
しかしだからといって諦めるわけにもいかない。
大切な姉のために、グリシャは命を賭ける覚悟がある。
故に非常に遠回りだが、数日かけて地道に地道に調査をした。
幸運だったのは、グレイの顔が広いのか王都内でも彼の事を良く知る者達が多数いたこと。
特に商人達は貧民街独自の作物であるマヌルカ芋の取り引きをしているとかで、非常に詳しかった。
そんな彼らが口々に言うのは、グレイは悪い人間ではないということ。
すでにグレイを悪と決めつけていたグリシャにしてみれば、嘘をつけと言いたくなるが押し並べて言うならば心が揺れる。
その情報で迷いつつも、一度話は聞いておかねばと決断したグリシャは貧民街に足を踏み入れていた。
「……結構、平和な場所だな」
フードで顔を隠してクリスタ人とバレぬよう工夫をしたが、その景色を見れば杞憂だったかと思ってしまう。
商人達が言うには東地区は安全らしいが、それは真実だったようだ。
大人達は普通に働いており、子供達の遊ぶ声も聞こえてくる。
グリシャが想像した貧民街の景色はどこにもなかった。
「……いや、まずはグレイだ。グレイの元へ行かねば」
少し呆けるものがあったが、ブンブンと頭を振って情報を頼りにグレイの家へと歩む。
少し変な人であったが、グレイ宅の住所を知る者と出会えたのは幸運だった。
「……ここか」
まるで迷路のような道で、何度迷うかと思ったが、ついにグリシャはたどり着く。
そして――
「っ!」
グリシャはその光景に目を見開き、直ぐさま物陰に身を隠した。
息を整え、ゆっくりその光景を視界に入れれば、見たくない景色があった。
「姉様……なぜ、そんなにっ」
一軒家の庭には一つベンチがあり、そこに並んで座る男女の姿がある。
楽しそうに会話をするその姿は、グリシャの知らぬハクアの顔だ。
「なぜ、そんなに笑っているのですか」
グリシャはギリっと奥歯を噛んだ。
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