第十七話 乙女の微笑み
リズリーは己の勘を信じている。
グレイとハクアがただの友達で済むという甘い考えを、その優秀な勘は徹底的に否定していた。
何なら最初にその話を耳にした時から、リズリーの勘は警鐘を鳴らし続ける。
だからグレイにその胸の内を問いただしたのだ。
その結果、グレイはただの愚痴係だと断言した。
ああ、一安心。とならぬのがリズリーの勘が鋭いところだろう。
グレイは決して嘘をついていない。しかしそれを、リズリーの勘は否定するのだ。
グレイ自身は決して気づいていないが、多分すでに友達を超えた思いをハクアに向けようとしている。
本人すら気づかぬ蕾のようなものであるが、リズリーの慧眼はそれを真っ先に見抜いていた。
だが当たり前だろう。姫騎士の美貌は遠目から見ただけでも痛感するもの。
その人柄や性格まで良く、そこにあの儚げで美しい容姿が合わされば男なんてイチコロだ。
色恋と無縁で、初恋すらないグレイであってもそれは変わらない。
一目惚れこそしなかったが、一つ屋根の下で二人きりで会話を交わす日々を送れば、惹かれるのは自然の理だ。
だが別にそれでも良い。
片思いなら決して叶わぬ初恋で終わる話だ。王族と貧民街に住む平民の恋愛など成就するはずがないのだから。
しかしリズリーの勘は酷く警鐘を鳴らし続けていた。
だからハクアが何を考えているか確認したくて、ユウを使って呼び出した。
ハクアがただの愚痴係と考えているならば一先ず安心だ。まさか王族が平民、しかもマヌル人を好きになるはずがない。
リズリーは当初、そう思っていたのだ。
――ああ。これは駄目だな。
一目でわかった。
ハクアもまた、グレイに特別な想いを抱いている。そしてそれは、多分グレイよりも深い。
グレイが未だ蕾ならば、ハクアは大輪と言えるほどの差があるだろう。
だから単刀直入に聞いたのだ。
「――あんた、グレイのこと好きでしょ」
リズリーにとっては正解の決まった問いかけだ。
YES以外の選択肢はない。
「えっと。その、どういうこと? あなたは、一体……」
「そうね。少し先走りすぎたわね。私はリズリー。グレイの、まあ幼馴染。こいつもそうで、名をカストロンと言うわ」
「よろしくな、姫騎士様!」
まず自己紹介をするべきだろうと改めたリズリーは、仲間の分も簡潔に伝える。
「そう。私はハクア……よろしくね」
「ええ。噂に聞く姫騎士様にそう言われるのは光栄ね」
「はっはっは。まったくだ」
リズリーはそう言いながら鋭くハクアを見つめ、カストロンは何も考えていないのか楽しそうに笑う。
「で、よ。グレイのこと、好きなんでしょ?」
「えっと。……それは、うん」
「……ちょっと聞き方が悪かったかしらね」
簡単に肯定したハクアに、リズリーは首を振る。
ハクアが今想定している好きと、リズリーが尋ねる好きは違う。故に言葉を変え、再度口を開いた。
「グレイのことが、恋愛的に好きでしょ? 姫騎士様」
「っ……」
その言葉に、ハクアは息を呑んで目を見開いた。
先ほどの答えはあくまで親愛。だがリズリーはそれを飛び越え、踏み込んできた。
ハクアの奥底。あえて考えないようにしていたその思いを、ほじくり出そうと鋭く言葉を突き立ててくる。
「それは、その…………」
ハクアは数秒沈黙した。
モゴモゴと口を動かすが、そこから言葉が発せられることはない。
「私達はグレイが大切よ。ずっと誰かのために戦い続けて、私達を助けてくれるグレイがね」
「ああそうだな。リズリーも俺もグレイに助けられた。ユウもグレイがいなきゃ死んでいただろう! だから俺達はグレイを守るのだ!」
「そういうこと。だから、これははっきりさせておかないといけないのよ」
リズリーもカストロンも、ハクアを見つめていた。
そしてユウも、ハクアを見上げていた。
「ハクア様。さっき、グレイと手を繋いでただろ」
「っ……」
「好きなのか? グレイのこと」
みんなすでに察している。ハクアもまた、わかっているのだ。
あとはハクアが口に出せばそれでいい。
だからハクアは言った。
「……わからない」
「はっ?」
「わから、ない……」
ハクアはその気持ちに名前を付けなかった。
目を伏せて、苦しげな表情でそう絞り出す。
すでにリズリー達は察しているのに、ハクアは決して明言しない。それは口にしてしまえば、大きく変わってしまうと思ったから。
今の大切な関係が壊れるようなことを、ハクアは言いたくなかった。
「…………姫騎士様が良い人なのは私達もわかる。でも、私達とは住む世界が違うのよ」
そんなハクアに、リズリーは言い聞かせる。
「…………」
「クリスタ人の王族と、マヌル人の平民。その差はとても大きいし、故に大きな障害ができる。それはグレイを沢山傷つけるものよ」
リズリー達はグレイのことを一番に考えている。
グレイが仲間達のことを一番に考えるよう、逆もまたしかりだった。
故にグレイが傷つかないように、苦しまないようにリズリーは動く。
「ただの友人関係であったとしても、その立場によって多くの困難が降りかかるわ。だから私達は、関わって欲しくない」
ハクアに対し、はっきりとリズリーは伝えた。
住む世界が違うからこそ、関わり合うことで歪みが生まれるものだ。
本来関わるはずがない両者だし、関わるべきではない二人なのだ。
このまま流されるままに関係を続けて、幸せになるとは到底思えない。
それがどうしようもない身分差というものだ。
そんなリズリーの言葉を聞いて、ハクアは揺れる瞳で目を伏せる。
もちろんハクアもちゃんとわかっている。
わかっているから、リズリーの目を見て答えた。
「嫌だ……」
ちゃんとハクアもわかっているのだ。
「……嫌、だ――」
リズリーの言う通りだ。
姫騎士ハクアには、相応しい人間というのがいる。それは歴史ある公爵家の長男かもしれないし、はたまた大きな功績を挙げた騎士かもしれない。
つまりマヌル人の平民は相応しくなかった。
グレイはどうあがいても、ハクアの伴侶にはなれない。
ハクアの望みではなく、姫騎士の偶像がそうさせる。
その上この関係を周囲の者達は決して許さない。
ハクアを崇める騎士や兵士達は大いに怒るだろう。その姿に憧れを抱いている民達も嘆き悲しむ。
貴族や王族は、ハクアを誑かしたとグレイに危害を加えるかもしれない。
わかっているのだ。ハクアだってちゃんとわかっている。
ただ愚痴を聞いてもらうだけの関係に留めたとしても、グレイに迷惑がかかる身分の差というのがあるなんて。
「私は……嫌だ」
「姫騎士様!」
「私は、グレイと、一緒にいたい! たくさん、お話ししていたい。これで、お別れなんて嫌!」
わかっていても、どうしようもない激情というものが存在する。
それは古今東西あらゆる時代で人を狂わし、時には国すら滅ぼす感情だ。
理性という人が勝ちえた素晴らしい能力を、あっけなく塗りつぶしてしまうほど苛烈なのだ。
ハクアはこの関係の意味を理解してなお、別れることを拒否した。
恐らく人生で初めて、我が儘を言った。
「……それが姫騎士様の思いなのね」
リズリーは、それ以上何も言えなかった。
王女たるハクアがそれを願うなら、平民が阻止するなどできるはずがない。
平民は王族に、逆らうことすら許されぬのだから。
あるいはあまりにも重いその感情に、言葉など無駄だと察したのもあるだろう。
「ごめんね……」
「ハクア様は……グレイが好きなのか?」
「…………うん」
ハクアは妖しく笑っていた。
小さく頷くその顔には、恋焦がれるような妖艶な笑みが浮かんでいる。
それは同性たるリズリーも、幼きユウも見惚れるほどの笑みだった。
「迷惑を、かけないように努力する。だから、許して」
「……わかったわ」
「ありがとう……」
ハクアはその言葉に、とても嬉しそうに笑っていた。
グレイとの時間が心の底から大切なようで、それが守られたことに息を吐く。
「グレイ……」
そしてハクア、誰にも聞かれぬほど小さくその名を呟いた。
彼を想うかのように、目を細めて朗らかに微笑む。
その笑みは、この場にいる全てを魅了するかのようだった。
なぜ恋する乙女の微笑みは、これほどまでに美しいのだろう。
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