第十一話 逃れられぬ呪縛
グレイの足取りには迷いがなかった。
貧民街を出て王都へと入る。そして通りを歩き、目指すのは広大な王都でも寂れた場所だ。
一体どこへ行くのかと思いつつ、ハクアは一歩後ろをついて歩く。
そんな凸凹コンビは、無論のこと目立つものだ。
超有名人たる姫騎士ハクアと、どこの馬の骨ともわからぬ男。恰好からして相容れるようには見えず、見かけた住人達は全員疑問符を浮かべている。
恐らくその脳内は個々に邪推をしているのだろう。
ただ人通りの少ない場所であったため、大きな騒動にならなかったのは幸運だ。
「どこ、行くの?」
「知り合いの店だ。ストレス発散には食うのが一番だからな」
そう言いながらたどり着いたのは、路地裏にある扉の前。
小さな看板を見るに、個人経営の
「邪魔するぜマスター」
そう挨拶をして扉を開けたグレイに続き、ハクアも店内へと入る。
そこはカウンター席のみのがあり、客は一人もいない。そしてグレイが呼んだであろうマスターの姿もなかった。
「ん、客かー?」
疑問に思っていれば、ヒョコッと小さな頭がカウンターから見える。
「マスターはいないよ。買い出し」
そう言いながら顔を見せたのは幼い少女だった。
カウンターに手をついて、背伸びをしながらグレイに告げる。
グレイとは知り合いのようで、また来たのかと顔に書いてあった。
「ユウだけか。じゃあ、いつもの二つくれ」
「へいへい。……そっちの人はグレイのつ――れ?」
ユウと呼ばれた少女は、チラりとハクアへ視線を向けて固まった。
その顔を知らぬ者は、王国において珍しいと言わざるを得ない。まだ勉学の途中であろう幼い少女すらも、ハクアが誰か一目で理解した。
「グ、グレイ! ひ、姫騎士様だ! 姫騎士様がいる」
「ああ、そうだな。いつもの二つな」
「違う! そうじゃない」
突如訪れた姫騎士ハクアにユウは大慌て。だがそれが普通の反応だ。
もはや物語の登場人物たるハクアが来店すれば、店員としては右往左往するのが必然。王族でもあるハクアを、こんな狭苦しい店に連れてくるなど何を考えているのだと憤慨していた。
「グレイ馬鹿! この店、王族来ること想定してない! というか何で、姫騎士様と知り合ってるんだよ!」
「お前久しぶりに会えば言葉が汚くなったな。兄貴泣くぞ」
「違うそうじゃない!」
ユウの疑問に対し、グレイは答えない。それに顔を真っ赤にして怒り出すユウ。
やはり二人はかなりの仲なのだろう。
「まあ……今回は何も見なかったことにして、いつもの二つ。それが最善の対応だ」
「でも……んぅ。わかったよ。席座れよな」
グレイの目を見て、少し釈然としない中でもユウはカウンター席に誘導する。
ハクアは戸惑いながらも、グレイの横に腰掛けた。
「ここは?」
「美味いスイーツを出す店だ」
「うちのメインは酒だよ!」
「酒も出すらしい。まあ知り合いの店だ」
とても狭くて、客は一人もいない。これではやっていける様子はないが、グレイのような常連で成り立っているのだろう。
「で、こいつはユウ。仲間の妹で、体が弱いからここで預かってもらってる」
「よ、よろしく、です。姫騎士、様」
「よろしくね……そんな、畏まらなくて、いいよ」
「で、でも。お姫様、だし」
台の上に立ちハクアと目線を合わせると、ユウはペコりと頭を下げる。敬語などは慣れていないのか、非常に拙いがハクアを敬う気持ちが伝わる。
王国を守護する姫騎士は、国民にとって憧れの存在だった。
「まあ自然体でいろユウ」
「グレイは自然すぎなんだよ! その図太さは見習いたいね」
「だろ。じゃなきゃリーダーなんてやってらんねえよ」
「全くもってその通りだ。ふん」
グレイの言葉に鼻を鳴らす。
仲間の妹とグレイは言うが、その関係性は実の妹のようである。彼女もグレイの大切な仲間の一人なのだろう。
そんな仲間を守るためにグレイは戦うし、どれだけのプレッシャーがあろうと折れることはない。
反対にどれだけ辛くても守りたいと思う者がハクアにはないから、こうして辛いのだ。
似たようなものを抱えていても、両者にある差をハクアは見せつけられる。
「ほらよグレイ、いつもの。……姫騎士、様も」
「ありがとう」
数分経ち、ユウが差し出してくれたのは小さなケーキだった。
その見た目はとても綺麗で、食に興味のないハクアも思わずゴクリと唾を飲む。
恐る恐る一口食べていれば、その美味さに目を見開いた。
「こいつ、グレイは甘味好き、なんです。こいつが美味いって言ったら、信じて良い」
「……そうみたいだね。甘味好きなんて、珍しい」
「悪いか?」
「ううん。……可愛いね」
「おい。何を言う」
口も悪くがさつなグレイが、甘味を好むのは見た目に反する趣味だ。
「ふふふ。別に……悪い、意味じゃ、ないよ」
「なんか生暖かい視線を感じたが……」
グレイに向かって可愛いなどと、馬鹿にしたと取られてもおかしくない。グレイはジト目になり、ハクアは柔らかく微笑む。
その様子を見て、両者がそれなりの地位にいる者などと誰も思わないだろう。まさに年相応の男女の姿だ。
「……なんか、姫騎士様って、思ってたより人間っぽい」
「ん、そう?」
「は、はい。もっとクールで、お人形みたいな、人だと思ってたから」
そうやってユウは、失礼な物言いになっていないかと悩みながら言う。
側から見たハクアは、常に無表情で王国を守るために戦い続ける英雄だ。英雄らしきエピソードしか民の耳には入らず、その偶像は神格化されていた。
その視点で見れば、グレイと楽しそうに話す姿は違和感を覚えるだろう。
「誰だってそんなもんだろ。みんな人間臭いものを持っていて、それを隠して振る舞ってる。姫騎士だってな」
「うん。……だから、あまり畏まらないで、いいよ。よろしくね」
「は、はい」
そう言って目を真っ直ぐ見つめてくるハクアに、ユウは驚きと興奮を持って頷く。
「姫騎士様は、あたし達を差別しないんだな」
「差別?」
「だってあたし、マヌル人だし。平民だし。騎士はみんな、あたし達のこと差別する」
「……そうだね。そういう人も、多いけど、私にはわからない。わざわざ差別して、人を傷つけて、そんなこと嫌だよ」
その台詞こそがハクアの本質だろう。
誰かを傷つけることを禁忌し、皆で平和になることを願う。戦うことは嫌いで、騎士というのは彼女に最も合っていない職業だ。
「姫騎士様、良い人! そんな人が、なんでグレイといるんだ? 何か騙されてたりしないか?」
「おい失礼な。騙してるわけあるかい」
「でも姫騎士様とグレイが一緒にいるなんて不釣合いもいいところだ!」
「……まあそうだが、だとしても騙してなんかないからな」
二人はそうやって兄妹のように喧嘩をする。そんな二人の姿がちょっと羨ましくなった。
ハクアには心を許せる人がいない。兄妹も部下達も、偶像たる姫騎士を見ているから、己を曝け出すなんてできやしないのだ。
だからこの空気が心地よい。それは多分──
『――父のために力を振え!』
「っ──!?」
呪縛が、ハクアの耳を過った。
「ん、おい大丈夫か?」
ハクアの顔色が一気に悪くなっていた。
ガクガクと体を震わせ、顔がこわばっていく。
逃げだそうとしたハクアを縛り付けるように、その声が聞こえたのだ。
すると己の中で見ないようにしていたものが、ハクアの中から湧き出てくる。
「ごめんなさいっ……」
「姫騎士?」
「本当は、わかってたの!」
恐怖に震えたハクアは、突然謝罪し、懺悔しだした。
「貧民街に、悪い人しかいない、なんてありえない。そこに普通に暮らす、住人がいるって、わかってた」
何の脈絡もなく放たれたその言葉に、グレイは目を見開き、ユウは戸惑い出す。
「考えれば、わかること。でも、目を逸らした。見ない振りをした。記憶から忘却して、騎士を率いた」
「おい、何言ってんだ」
「ごめんなさい……それが陛下の命令だから。私の思考は姫騎士になるのに必要ないから。そして……五人も死んだ。あなたがいなければ、もっと死んでた! 私の手で全てを焼き尽くしていた……」
それはグレイへの懺悔だ。
何かを切っ掛けに、ハクアは己の罪に苛まれる。
「姫騎士……」
それを聞いて、グレイに怒りが沸くことはない。
何かに捕われ、操られている姫騎士ハクアに、怒りなんて向けられない。
湧き上がるのは哀れみだ。
あまりに悲しいその姿に、助けたいと思ってしまう。
しかしハクアを包む闇から、救い出す方法が見つからない。
ハクアを縛る呪いのようなものが、その身を蝕んでいた。
ハクアの中には、逃れられぬ呪縛がある。その力を振るい続け、戦い続けろと叫ぶものが確かにあるのだ。
ハクアの意思を消し去ろうとし、ただの兵器に変えてしまう呪縛。
それをしかけたのは、間違いなく醜悪な存在だ。
「落ち着け!」
「っ……ごめん、なさい」
「姫騎士様が……ウェンデル殺したの?」
「そう」
「違うだろ! 殺したのはガイデルの野郎だ」
「ううん。私が切っ掛け! 私がもっとちゃんとしていたら、こんなことには……!」
「っ……」
その姿を見て、グレイは真に理解した。
ハクア・G・クリスタは姫騎士にはなれないのだと。
間接的に五人死んだだけでここまで取り乱す少女が、戦いを生業とする騎士になんてなれるはずがないだろう。
でもそれに相応しい力だけを持っていて、姫騎士であり続けないといけない。
故にハクアは心を殺している。
でも今のようにふと本当のハクアが顔を覗かせれば、姫騎士が積み上げた罪に耐えきれないのだ。
ハクア・G・クリスタは壊れかけている。
あと少しの切っ掛けで、完全に心が死んでしまうかもしれない。
そこから救い出す手段を、グレイは知らなかった。
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